「個の姿勢」を尊重すること
本書は、2014年から15年にかけて東京・御茶ノ水のエスパス・ビブリオで行われた、吉田喜重、舩橋淳両監督による「まだ見ぬ映画言語に向けて」と題された対談イベントを書籍化したものである。
41歳の年齢差のあるこのふたりの出会いは、いまから20年ほど前にさかのぼる。すなわち、2003年にニューヨーク市内で開かれた小津安二郎の生誕100年を記念したシンポジウムで、本書にもたびたび名前が登場する蓮實重彦などをまじえて晩餐を行ったこと、また翌年に『ろくでなし』(1960)から『鏡の女たち』(2003)にいたるまで、吉田の全作品の回顧上映が行われたさい、舩橋が公式パンフレットに吉田喜重論を執筆したことにあったという。その後、2013年に舩橋がドキュメンタリー番組『小津安二郎・没後50年 隠された視点』(NHK・松竹合作)を監督するにあたって吉田にインタビューを申し込んだところ、同作のためにインタビューを行ったほかのどの映画人や知識人よりも吉田の発言が際立っていたことから――舩橋はこの経験を、映画の守るべきエティカ(倫理学)を示されたと語る――、吉田との対話を撮影後も行う必要性を痛感し、前述のイベントが企画された。それから6年ほどが経った現在、対談はいくつかの再構成や加筆が行われたうえで、400ページを超える大著としてまとめられた。
本書は全10章にわけられ、それぞれ吉田と舩橋の視点からの、自身と映画との出会い、映画における性表現、映画と政治権力との関係性、現場における工夫などが語られる。
まず留意しておくべき点としては、「映画とはこれこれこういうものだ」といった教科書的な啓示を期待して読むならば、本書は彼ら自身の経験談に傾きすぎているようにも感じられる、ということだろう。
もちろん、ふたりの来歴から日本映画史が逆照射されるような一面は存在する。吉田の場合、木下惠介をはじめとする松竹の名監督たちの現場に助監督としてつき、伝統的な日本映画のシステムを肌で吸収したことがまずあげられるであろうし、舩橋の場合は対照的に、大学卒業後にニューヨークで映画を学び、同地のテレビ・ドキュメンタリーの制作会社でキャリアの初期を過ごしたことに、撮影所システム崩壊後の映画人の、多様性の一端を見ることはできるだろう。ふたりの映画人としてのキャリアがほぼ交錯していないこと――舩橋は吉田自身が「遺作」と呼ぶ『鏡の女たち』の発表後に本格的なキャリアを開始していること――にもお互いが背負った映画史を、それぞれ補完するような一面が垣間見えはする。
とはいえ、映画を総体としてとらえるということを、本書はおそらくは志向していない。むしろ「個」を重視した語りのなかからしか得られない、固有の「映画のエティカ」を志向していることこそが、本書の大きな特色であるといえるだろう。
不定形のものとして「映画」に接すること
こうした姿勢の根幹にあるのは、ひとつには彼ら自身の知識や経験の限界の自覚にあるかもしれない。自身――ということばはこのふたりのみならず、映画の生起した19世紀末から現在までの、すべての潜在的な観客を内包するだろう――は映画史におけるほんの数パーセント、いや、それにも満たない割合の作品を見たに過ぎないのだから、まかり間違っても映画史の総体などを知ってはいないのだと自覚すること、そして今この瞬間も流動的に変化しつつある映画を、不定形のものとして捉えることが肝要なのだという意識が、おそらくは作用していると感じられる。
また、自身の理解や操作が及ばない、「他者」として映画に接するという意識も大きなものだろう。前述のように、舩橋は吉田作品の回顧上映のさい、パンフレットに「吉田喜重、真のサスペンス」というタイトルで吉田の作家論を寄稿しているが、そこでの舩橋は「一つの意味に還元されることを拒み、その基盤となる存在自体をぐらぐらっと崩壊させてしまう」ことが吉田作品の特色であるとしたうえで、それは「予測不可能な観客の視線の先に自分の映像を展開するために選択した一つの覚悟であった」と述べる。つまり、観客による解釈を作者自身の手によって限定させるのではなく、作者も予測できなかった解釈がしばしば生起するような、より開かれたスタイルへの志向が吉田作品にはあるのだと読み取れる。
じっさい、吉田自身も木下惠介を例にあげ、その監督としての才能には一定の賛辞を与えながらも、彼の「みずからが演出し、撮影した映像によって、観客を思うままに自由に操れると考える」ような姿勢そのものは首肯できなかったと述べている。そのうえで、「決定的な意味を表現することのできない映画、そのあいまいさ、不確定性こそが映画の魅力であり、かえってその意味を観客の持つ創造力にゆだね、自由に読み解かれていく映画こそが、映画のかぎりない可能性だと考えるようになっていった」と自身の映画監督としての出発点を語るのである。
では、こうした「あいまいさ、不確定性」は、具体的には吉田作品にどのように表れているのか。そのすべてを列挙することこそできないものの、たとえば本書では、『情炎』(1967)が議論の俎上にのぼる。本作は表面的に見れば不倫を題材にした、設定のうえではけっして珍しい物語ではないものの、ナレーションにそのひとつの特色があり、過去を物語るための使用ではなく、むしろ映像のいずれもが「現在」であることを際立たせるための使用がなされている。その仔細についてはじっさいに映画をご覧いただきたいが、すなわち、登場人物それぞれの物語は時系列に沿って示されることはなく、その順序や真偽は観客の想像力にゆだねられていくのである。
いっぽう、舩橋の場合も、基本的に作品の制作においては、このような吉田の姿勢に共鳴するような作法を心がけていることが読み取れる。舩橋はたとえば、自身も携わったNHKのドキュメンタリーの制作現場では“5W1H”、つまり「いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのように」やったのかを視聴者が腑に落ちるようにナレーションやテロップで説明することが求められることを例にあげ、「この姿勢はむしろ見る者を信頼せず、バカにした制作姿勢である」と述べる。そのうえで、このようなあり方とは対極の位置にある、「映画」を志向していると語る。
じっさいに作品の内容に即して説明すれば、舩橋の初期作『ビッグ・リバー』(2005)は彼の志向する「映画」の好例となるだろう。本作はそれぞれ国籍の異なった若い男女がアリゾナの荒野を旅するという内容だが、ラストシーンは日本の青年のもとをアメリカ人の女性が去るものの、彼女が青年のもとにふたたび戻ってくる可能性を暗示した、余韻を残すものとなっている。吉田はこうした「観客の感情を宙吊りにしたまま結末をつけずに終わる」手法は、本作のいたるところに散見され、「意味決定を拒絶、避けること」への舩橋の意識が明確に見られると語っている。
映画言語への思い
さて、「他者」としての映画を志向するうえでは、当然どのような技術を用いるかを、深く考慮する必要も出てくる。各々の映画作家が選ぶ技術こそが、本書では「映画言語」ということばで説明をなされるわけだが、そうした観点から見れば、序盤で舩橋が語る、アメリカン・スクールにおける映画教育の功罪は興味深いものである。
実制作を重視した多くのアメリカのフィルムスクールでは、カリキュラムにおいては技術面での教育はしっかりとなされるものの、いわゆる学問としての映画はいったん脇に置かれてしまう。そして、映画学の知識ないし社会意識の欠落から、何を撮ればいいのかがわからず、ドロップアウトする学生も少なくはないという。
制作における具体的な技術に関しては、たとえば「トーキング・ヘッズ」という技法が語られる。この、セリフをしゃべっている頭部を写す文化が、アメリカの撮影現場ではかなりの割合で浸透している現実について、舩橋は「とてつもなく乱暴」と喝破する。そして、そうした文化と対極にあるのが、エドワード・ヤンや候孝賢の作品に見られるような「人間をその生きている環境と一緒に映像の中に組み込んでいくアプローチ」であり、処女作の『echoes』(2001)の制作過程では、まさにそうしたことを意識したと述べている。
吉田作品の場合は、たとえば『嵐を呼ぶ十八人』(1963)が語られる。この映画は社外工の青年たちを主人公とした作品だが、「社外工たちの個人の人格がフォーカスされることを周到に避けながら作られ」、個々人のクローズアップはなく、また俳優たちのキャスティングや衣装は、その個性を際立たせるのではなく、あえて類似性を覚えるようなあり方を志向しているという。これは顔が記憶に残るように描くという「演出の基本」を逆手に取ったあり方だと舩橋は語り、つまりこうした技法をあえて選択していることに、撮影所のシステムに安易におもねることのない(*)、吉田の作家的矜持が読み取れるのである。
「見せられる」から「見る」へ
本書における論点は実にさまざまであり、吉田の『エロス+虐殺』(1970)に端を発した日本の近現代史へのまなざしや、ドキュメンタリー作品も多く手がけている両者ならではの、「フィクションとドキュメンタリーのはざま」への考察などもそれぞれ興味深いものである。私自身、本書の満足度は非常に高いものであったことを、ここで申し添えておきたい。
本書に不満があるとすれば、その基盤となった対談が、舩橋の吉田へのリスペクトの感情からスタートしていることもあってか(もちろん、遠慮や忖度があろうはずもなく、相互の深い信頼感情によるものでもあるだろうが)、ふたりの間に意見の鋭い対立がほとんど見られなかった点だろう。対談がより熱を帯びるのは、そういった場面であることも往々にしてあるからだ。
また、この対談は実作者によるものであるからか、たとえば、四方田犬彦から加藤幹郎にかけての批評家たちの『エロス+虐殺』論が、時系列の混乱を解きほぐすような精密なテクスト分析であったことに対し、全体としてはどちらかといえば彼らの「何がやりたかったか」という側に寄っている。そのため、いわゆる「批評」を期待する側としては、いささか食い足りない部分はあるかもしれない。
しかし、とも思う。吉田や舩橋、ひいては小津安二郎など、数多くの先人たちが観客に映画を「見せる」のではなく、観客が自発的に「見る」姿勢を尊重していたことを考慮すれば、むしろ彼らの対談を受けて、観客である私(たち、と押し付ける気はない)のあり方が問われているのではないか。映画を生み出すのは、いうまでもなく監督をはじめとした作り手の側ではあるが、いわゆる「映画文化」はたとえばマスメディアや劇場の関係者、ひいては作品に触れる観客一人ひとりが作り出していくものである。振り返れば、吉田の作り手としての出発点には――松竹への入社試験を、大学4年生の秋という当時としても遅い段階で受験することができた背景には――当時の映画界の好景気、すなわち、1950年代の日本映画と観客たちとのある種の幸福なつながりがあった。もちろん、半世紀以上前の状況と現在が容易に比較できるわけではないが、とりわけ、コロナ禍が引き続き蔓延し、映画文化が危機にさらされている現状では、こうしたことを改めて意識した観客も多いのではないだろうか。
ならば、彼らの問いを自発的に「見返し」、ひいては、自分自身の映画観をよりたしかなかたちで涵養していくことこそが、一観客である私に求められるものでもあるだろう。それは私にとっての「まだ見ぬ映画言語」の始まりであるとともに、わずかな形ではあれ、これからの映画文化への主体的な寄与の始まりでもあるはずだ。本書の3周目を読み終えて、そのようなことを考えた。
(*)吉田はその次作の『日本脱出』(1964)を最後に松竹を退社するものの、それまでの『ろくでなし』から『嵐を呼ぶ十八人』の6作品は松竹で制作されている。
【書誌情報】
『まだ見ぬ映画言語に向けて』
吉田喜重、舩橋淳著
定価:3600円+税
刊行:2020年12月11日
判型:四六版
発行元:作品社
ISBN 978-4-8618-2832-4
http://www.sakuhinsha.com/art/28324.html
【執筆者プロフィール】
若林 良(わかばやし・りょう)
1990年生まれ。neoneo編集委員。論考に「「障害」を見る私たち」(映画『ナイトクルージング』公式パンフレット所収)、「誰がために「境界線」はある――『岬の兄妹』論」(『ヱクリヲ WEB』所収)など。