本作に収録された、ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルが開催されたのは1969年。当時は固定カメラによる撮影が基本だろうから、見たいミュージシャンの演奏の瞬間を捉えたショットなど最初から期待はせずに観たが、監督であるクエストラブは6日間、45時間分の膨大な映像から様々な側面を、かつ今観るべき内容をクローズアップしていた(クエストラブは50年近く眠っていた45時間の映像を2時間に編集したが、一連の作業には合計5ヶ月を要したとのこと)。
『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』(1970)において名演が記録されているスライ&ザ・ファミリーストーン(以後スライ)の演奏は3曲ある。呆気ない収録時間や演奏中にインタビューを被せるありがちな手法のせいで、もっと見たい有名ミュージシャンの映像が少ないという不満はあるものの、それは今後の完全版を期待することにして、マヘリア・ジャクソン、ニーナ・シモンなど優れたミュージシャンの特筆すべきパフォーマンスが収録されており、スピリチュアルなシーンは『アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン』(2018)を観た時のように泣きながら堪能することとなった(メイヴィス・ステイプルズは憧れのマヘリア・ジャクソンと同じステージに立てたことに圧倒されたと語っている。マヘリア・ジャクソンは前年に暗殺されたマーティン・ルーサー・キングの愛唱歌である「プレシャス・ロード」を歌うはずだったが彼女はステージに立ちその雰囲気の中で感極まってしまいメイヴィスに最初のリードを頼んだのだ。これがメイヴィスの人生とキャリアを決定づけたひとつだったとのこと。こういった瞬間がいくつも映し出されるが、予想通りスライの超絶ベーシストであるラリー・グラハムはあまり映らない……)。
まもなく一般上映は終了するだろうが、音楽映画としては比較的ロングランとなった。絶賛評もあちこちで見受けられ、調べればわかる話は特集記事や特集雑誌も幾つかあるし検索すればいろいろ出てくる。デトロイトでのアルジェ・モーテル事件の翌年に開催された背景と、50年埋もれてきた事実から読み取るべき重要なことは専門家に任せるとして、私が記しておきたいことが2つある。
ザ・フィフス・ディメンション
ザ・フィフス・ディメンション(以後5D)のメンバーだったビリー・デイヴィスJr.がインタビューで語っていたが曲名を知らなくても幅広く知られている名曲「輝く星座/レット・ザ・サンシャイン・イン」の収録エピソードが興味深い。
ある日、ビリーがニューヨークのタクシーの中に財布を置き忘れるが、それを拾った人は当時の人気ミュージカル『ヘアー』の制作に関わっていた。ビリーはこの縁で『ヘアー』の舞台に招待され、そこで聴いたのが「アクエリアス」「レット・ザ・サンシャイン・イン」だった。曲を気に入ったビリーはプロデューサーのボーンズ・ハウにこの話をしたところ、ボーンズは「アクエリアス」と「レット・ザ・サンシャイン・イン」をメドレーにすることを思いつき、レコーディングを行うことになる。こうして「輝く星座/レット・ザ・サンシャイン・イン」は生まれたのだ。
今回の映画により5Dが黒人のグループだったことを初めて知ったという評を世界中から目にした。レコーディングされた名曲のライブ演奏がソウルフルなこともあり、違う形で復権することとなった。因みにこの翌年である1970年に5Dの来日公演があり、彼らのレパートリーだったスライの「アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイヤー」を演奏していたと思われる(来日公演のセットリストは不明だが、1971年『フィフス・ディメンション ライブ』に収録されている)。
『ヘアー』といえば日本版の公演(初演は1969年12月)もあり、様々な参加者の中には小坂忠がいた。知っての通り、小坂忠が『ヘアー』に参加したことではっぴいえんどが誕生した。ビリーが財布を置き忘れなくてもはっぴいえんどは誕生したであろうが、5Dの影響があったと思われる赤い鳥及び日本の音楽シーンはひょっとしたら違うものになっていたのかもしれない。そのような勝手な妄想が今になって膨らんだ。
ザ・チェンバーズ・ブラザーズ
全く知らないグループ、その名もザ・チェンバーズ・ブラザーズ(以後CB)が序盤に登場した。「アップタウン」のタイトな演奏とエンドクレジットで流れるバラード「ハブ・ア・リトル・フェイス」の2曲が収録されている。黒人の兄弟だけのグループはいくつもあるが、CBはドラマーだけが白人で、しかもドラムセットがツーバスという特異さが目を引いた。
長らく音楽を聴き続けていても知らない、かつ興味深いことに出会えるのは幸せだ。
このグループは誰からも語られた記憶がなくU.S.ブラック・ディスク・ガイド(ブラック・ミュージック・リヴュー1991年11月増刊号)にも掲載されていないので自分で調べたことを以下に記しておくことにする。
CBは1967年に「ザ・タイム・ハズ・カム」を発表し同名曲が代表曲とされている。ゴスペル出身でありながら長尺でサイケデリックかつハーモニーを持ち合わせている。
スパイク・リーの『ブラック・クランズマン』(2018)は近年では特に素晴らしいサウンドトラックだったが、中でもザ・テンプテーションズのシングル「ランド・オブ・コンフュージョン」のサイケデリックな曲調が記憶に残っている。彼らはCBに影響を受けていたのではないか。今回、CBがサイケデリックの先駆けと知りそう思わせられた。
そして、90年代に台頭したア・トライブ・コールド・クエストの、「アイ・レフト・マイ・ウォレット・イン・エル・セガンド」という、一度聴いたら忘れられないタイトルだけを繰り返す歌詞(奇しくも財布を置き忘れるというネタがここでも)とドラムビートが絡み合う名曲にたどり着く。この曲で使用されたのがCBの「ファンキー」だったのだ。
「ファンキー」が収録された『ニュー・ジェネレーション』(1971)まで在籍したドラマーがブライアン・キーナン。彼はニューヨーク生まれだがイギリスに渡りマンフレッド・マンとの活動時期があったと記録されている。
スライのドラマー(当時)でフェスティヴァルの出演者であり、同じく白人のグレッグ・エリコがスライの前身グループから一緒だったのとは違いチェンバーズ兄弟と出会ったきっかけは不明。
ツーバスといえばジンジャー・ベイカーである。イギリス時代に交流があったかは分からないが、恐らくキーナンはベイカーの影響は受けていると思われる。
CBが「ピープル・ゲット・レディ」をカバーしたのが1967年で、ヴァニラ・ファッジも同年にカバーしている。カーティス・メイフィールドのオリジナルバージョンとはそれぞれ違った個性的なバージョンとなっている。ヴァニラ・ファッジのメンバーであったカーマイン・アピスはアメリカでのツーバスの使い手として有名だが、キーナンよりツーバスの使用が早かったかは現在未確認。
また、ジミ・ヘンドリックスがハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルに出演していたかもしれなかったという。となると彼が結成したジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのメンバーだったミッチ・ミッチェル(こちらもツーバス)もいたかもしれず、白人ドラマーの祭典と呼べるものになっていたのかもしれない。
キーナンは有名プロモーターのビル・グラハムの評価が高かったそうで、そのプレイの凄さにより自分たちが目立たなくなることを恐れ、対バン相手になることを嫌がったメインアクトのアーティストも少なくなかったようだ。「ライブ・アット・ビル・グラハムズ・フィルモア・イースト」でキーナンのドラムプレイを聴くことが出来る。
しかしキーナンはマネージメント上のトラブルからCBを脱退し、その後は何の履歴も見当たらないまま1985年に42歳で亡くなっていた 。
推測と不明と妄想にあふれたブライアン・キーナンに関する情報は今のところはここまで。
謎が謎を呼ぶ、ザ・チェンバーズ・ブラザーズとブライアン・キーナン。
以上のように『サマー・オブ・ソウル』がきっかけとなり、私は誰も関心の無いことに興味が沸き、コロナ禍以降すっかり止まっていたレコード屋巡りが再び始まってしまいました。
良い音楽を堪能した後に必ず寄る店が渋谷にある老舗音楽バー“グランドファーザーズ”。店が所有しているレコードから希望があれば、それを流してというリクエストが出来るのだが、ありそうでなく、なさそうである不思議なコレクションがここにある。残念ながらCBはなかったがマリリン・マックー&ビリー・デイヴィスJr.のヒット曲「星空のふたり」が流れてきたのには、ふたたび涙腺を揺さぶられた。
【映画情報】
『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』
(2021年/アメリカ/ドキュメンタリー/118分)
監督:アミール・“クエストラブ”・トンプソン
出演:スティーヴィー・ワンダー、B.B. KING、ザ・フィフス・ディメンション、ステイプル・シンガーズ、マヘリア・ジャクソン、ハービー・マン、デヴィッド・ラフィン、グラディス・ナイト・アンド・ザ・ピップス、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン、モンゴ・サンタマリア、ソニー・シャーロック、アビー・リンカーン、マックス・ローチ、ヒュー・マセケラ、ニーナ・シモンほか
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)2021 20th Century Studios.All rights reserved.
公式サイト:https://searchlightpictures.jp/movie/summerofsoul.html
【執筆者プロフィール】
澤山 恵次(さわやま けいじ)
1964年生まれ京都育ち。関西学院大学卒業。百貨店退職後ライブハウス勤務。コロナ禍以降職業不定。各種映画祭に顔を出し、現在東京ドキュメンタリー映画祭スタッフ(長編部門担当)。映画検定1級。学生時代にリュミエールに短評を投稿していたせいかTwitterの140字と相性が良い。