【Essay】「うたはたましいの記録である」② シド・バレット text 金子鉄夫


ヘラヘラ、ヘラヘラ笑っている。仮にも、合理的に身体の内と外の交通網が整備されてまっとうな、と信じている社会で血眼になっては気をすり減らし、くそったれとつぶやいては自らを養うことが先決な生の外部で、ヘラヘラ、ヘラヘラ不気味に笑っている変体がいる。ときに、その変体は子供のように震えながら、またあるときは逸したようにタコ踊りしながら、自らを養う。……生を嘲笑い、というような積極性もなく、そんな生をシカトして、ただヘラヘラ、ヘラヘラ笑い外部で浮遊している。その様態をみながら、やつらはくるっている、と、数々のくだらねぇ表の歴史に則り、また自らを養う。

……生は反対にシカトを試みるだろう。が、試みれば試みるほど、変体のその不気味でいてポップな笑いは大きくひびき渡り、気がつけば仮にも、理性を保っていると信じている脳内にサイケデリックなフラクタルがまたひとつ、ひとつ咲いていき、しかめっ面で自らの養いを尊守しているはずの表情がフラワーにヨダレ、タラタラ、その笑いに汚染されたように、今にもヘラヘラ、ヘラヘラ。……そうインターネット・カフェのうすぐらい片隅でシド・バレットという稀有の変体の歌声を聴いている僕のように。

……じゃぁ、少しだけシド・バレットの話をしようか。シド・バレット、1946年にイギリスで生まれ、後にも先にも類をみない変体、その音楽性にちなんで名づけるのなら稀有のサイケ態。このサイケ態がはじめて聴衆のまえに現れたのはピンク・フロイドでサイケデリックなドライブしている最中である。今も尚、存続する言わずと知れたプログレの大御所バンド、ピンク・フロイド。その発端において、ハンドルを握って、精神さえオーバードライブさせながら、すべてをコントロールしていたのがシド・バレット、その人である。

60年代末、イギリスでアメリカのジューシーでいて悪魔的な真っ黒なブルースの呪縛に支配されていた数々のバンドと一線を画するように、地下でビート・ジェネレーションからそれに続くヒッピー・カルチャーを下地にしながらも、常軌を逸したようなアドリブで実験をくりかえしながらあやしく、それでいてポップに咲いていたピンク・フロイドというサイケデリックでアナーキスティックなバンド。そのバンドで支離滅裂でヘロったヴォーカルとギター(虹色体質)でフロントに立ちながら、ご多分に洩れずLSDなどのドラッグを常用し精神を破綻させながらも、他のラリ中なミュージシャンとは違いサイケデリックにうぬぼれてサイケデリックを志向したのではなく、サイケデリックを思考した、すなわちサイケデリック自体を生きたシド・バレット。そのサイケデリックな生の一端を露にイニシアティブをとって全曲、作詞作曲したのが、あのビートルズさえ唸らしたピンク・フロイドの67年のデビュー・アルバム『夜明けの口笛吹き』である。そして、これがシド・バレットがピンク・フロイドという、現在にまで続く壮大な複雑極まったドライブのハンドルを握った最後のアルバムである。

今、『夜明けの口笛吹き』に驚くのは当時のリアルを体験していない僕でさえ、そのシド・バレットの生を具現化したクラクラなサイケデリックにトランスできるということだ。そのトランス感は、自らを分裂的な渦に投げ込んだシド・バレットというドキュメンタリーが微細な音の細部まで脈をめぐらしてサイケデリックを思考し、ということは思考さえも追い抜いた痕跡だ。『星空のドライブ』という曲に特に顕著であるが、シド・バレットは、ミュージックの外へ、それはミュージックが無い場所ではなく、むしろミュージックさえミュージックにならないミュージックが鳴っては溶ける場所(どろどろになって疾走する音符がステキだ)へオーバードライブしたかったのかもしれない。それを、まだシド・バレットに比べてだがミュージックのルールを保っていた他メンバーが高度なスキルで抑圧的に聴衆の耳に馴染むようにしている。それは、そのあとのピンク・フロイドの史跡を辿れば理解できるが、変態的ではあるのだが、同時代のミュージシャンたちと同じ共通の認識にたって十二小節のブルースからのパラノイアな縦の飛躍だ。それに対してシド・バレットはスキゾな横へ、横へ、ブヨブヨになって可塑性に満ちた逃亡を企てた。

その逃亡を実行するように翌68年にはピンク・フロイドをドラッグに塗れながら精神をボロボロにしながら脱退してしまう。それは社会からの脱退をも意味していたのかもしれない。サイケデリックを思考する、すなわち生きるということは自らを外部へ逃し、ヒトノカタチを脱ぎ、絶え間なくカラフルなアン・フォルムへ近づいていくこと。それができたのはピンク・フロイドという囲いがあってこそ、ミュージシャンという記号で括られ、その生を現実の社会の内部で養っていれたが、その囲いからも逃亡しシド・バレットは裸身(ブヨブヨのブヨブヨ)でサイケデリックと対峙する、二度と、現場へは帰ってこれない綱渡りさながらのトリップへ彷徨い出る。

70年に、そのトリップがヘロヘロにフォーキーながらも描写されたアルバム『帽子は笑う・・・不気味に』を発表。その頃にはドラッグへの依存はますます強まり、エピソード的なことからみても、たとえば恋人を食事も与えず部屋に監禁し続けたなど社会からすれば廃人同然だが、僕は、当時のシド・バレットが、そのミュージックと同じように人間の外へ、それは人間がいない場所ではなく、むしろ人間さえ人間にならない場所(タコと人がセックスしていても不思議ではない)、サイケデリックなユートピアを夢見た末だと、『帽子は笑う・・・不気味に』を聴いておもうのだ。そのアルバムに収められた曲は、曲の体をなしてない部分もあるが、あらゆる事物をアシッドに撹乱させながらも、焦点はまるっきし定まってないが、その瞳は愛にみちみちている。そして、ヘラヘラ、ヘラヘラ笑っている。その瞳が見る世界は、すべてが裏返されていながらもカラフルでラブ&ピースな世界。権力の支配などから完全にズレた奇妙だけれど愛しい世界。

そのあと、シド・バレットは、もう一枚アルバムを出すが(『その名はバレット』)70年半ばからは人前に姿を現さず引きこもり、ヒトノカタチを完全に脱いで、その世界そのものの住人になってしまった。それをみてやはり多くの人はシド・バレットはくるったといい、そして忘却してしまった。しかし、2007年の七夕に死ぬまで、シド・バレットは自身のサイケデリックな生を営み続けた。同時代の同じ生き方をしたミュージシャン、たとえばブライアン・ジョーンズ、ジム・モリソン、ジミヘンなどと違って早死のロックの神話に回収されもせずに。それはそれで当たり前のようにもおもう。だってシド・バレットは生きる、死ぬなんてことが理解できない、そもそも理解する器官のない純粋なサイケ態だからロックの神話さえシカトして、そんなことに回収される生の外部で、ヘラヘラ笑う。ヒトノカタチを脱いでしまった、その生は反体制的などという暑苦しい言葉に沿いもせず、体制さえも消失した外部で頗るポップでいてサイケデリック。

……シド・バレット、その生に馳せながら決して、サイケデリックであることが重要だとは間違っても言わないが、血眼な社会の、その外部で、自らの生を賭しながらすべてをシカトして、ヒトノカタチを脱いで生きることは、もしかしたら独自のポップな彩りの端緒かもしれない。自らを養うのが先決な生は、そんなのまっぴらゴメンだというだろう。まるでヒトノカタチをして。そして、またくるっているといいシカトしようと試みるだろう。……が、

たった一度でもいい、シド・バレット、この稀有のサイケ態に触れてみたらいい。

 

イラスト=広瀬鈴

【執筆者プロフィール】
金子鉄夫(かねこ・てつお)
1983年広島県呉市生れ。詩人。第一詩集に『ちちこわし』(思潮社、2012)。2012年、第1回エルスール財団新人賞現代詩部門受賞。