ドキュメンタリー専門媒体である本サイトでも、劇映画を取り上げていきたいと考えている。例えば、ドキュメント性とフィクションが切り結んだ緊張感を有しているものだ。
12月15日から公開されるフランス映画『愛について、ある土曜日の面会室』は、その点で格好ではないかと踏み、一般試写会に混ぜてもらったのだが。……実は少々、予想とは違った。
受刑者とその家族を描いた社会的な題材であり、監督の演出には端々にドキュメンタリーを学んだ人らしさが確かに伺えるものの―プレス資料によると、『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』などで知られるリティー・パニュに師事し、長編デビューの本作では俳優にジャン・ルーシュを見るよう求めたそうだ―、出来上がった映画はいたってメロウな劇映画だった。
映画としてのみどころは、むしろ加害者の肉親、被害者の肉親、服役者の恋人など、各様のモーパッサン的人間模様ドラマのなかで、登場人物の造型に独特のセンスがあること。思い込みの強い女性、芯のよわい男、それぞれの唐突な行動に、まるで隣人を見ているような説得力がある。テーマやコンセプトよりも、人間を見る眼のほうにドキュメンタリーが宿っていた。
本作完成時は28歳だったレア・フェネールは、才媛にして作家だ。ドンピシャでneoneo向きだったかどうかは即断できないけれど、本サイトの性格とは関係なく、いい映画。
ただ、映画と直接関係のない分野の方を招いてのトークは面白かった。一般試写会の場で、内容の確認や復習よりも、描かれている社会問題にフォーカスを当てるのは、映画の存在をより拡げるためのものだった。セッティング次第でトーク・イベントは、映画を媒介にして新たな視点が惹起される公開ラボの場に、成り得るのだ。
そのトークがなかなか普段は聞くことのできないものだったので、レポート記事にさせて頂きます。
(neoneo編集室 若木康輔)
『愛について、ある土曜日の面会室』公開記念トークショー
トークゲスト:阿部恭子さん(NPO法人World Open Heart理事長)
1977年宮城県生まれ。10代前半より、社会的少数者や弱者の権利擁護や生活を支援する活動に参加。2008年8月、東北大学大学院在学中に自ら発起人となり同級生らと人権問題を調査研究するための団体World Open Heartを設立。これまで見過ごされてきた「犯罪加害者家族」という問題に気がつき、仙台市を拠点として当事者に必要な支援活動を開始。全国的な支援体制の構築に向けて東京、大阪でも活動を展開している。近年、再犯防止教育の一環として受刑者らに加害者家族の現状を伝える活動にも力を入れている。
阿部 私はふだん、加害者の家族の方をサポートする活動をしています。そこから声をかけて頂き、この映画を拝見しました。
刑務所の面会室が主な舞台の映画です。面会室で受刑者と家族が話し合う場面の雰囲気は、私にとっては仕事の延長のよう(笑)。ふだん関わっている人たちと変わらないんです。あんまりリアルで、映画を見ている気がしなかったぐらいでしたね。
― リアルだと感じられた、具体的な点はどこでしょう。
阿部 面会のシステム自体は、日本とフランスとでは全く違います。まず、日本では透明板で仕切られて触れ合うことはできませんし、ほとんどの場合、土曜日に面会はできません。
ただ、刑務所は街から離れたところにあり、面会に行くとなると仕事を休まなくてはなりません。家族にとって時間もお金もかかる大変なことなのは、フランスも日本と同じだと、映画を見るとよく分かります。
それに日本と同じだな、とリアルに感じたのはその場にいる人の感情です。特に、外から来る人と中にいる人との感情のギャップ。
中にいる人は、ずっと次の面会を考えて暮らしています。ところが面会者には社会の中での生活があり、次の面会の都合をつけるだけで大変です。隔てられた時間があるため、やっと会えても「待っていたのに今頃来たのか!」「やっと来られたのよ!?」とお互い感情的になってしまうことが少なくないのですね。私が家族の方の付き添いで一緒に面会をして、何度か目の当たりにした姿です。
― 映画では、恋人を殺害した若者の姉が、加害者家族として登場します。
阿部 彼女がよく涙を見せる姿は、逆に日本と違うので印象的でした。裁判の段階から付き添う場合もあるのですが、家族の方はまず涙を堪えます。泣いたりすると、家族だと分かってしまうので。
でも内面は、暴れたい、泣きたい、死にたいと嵐のようだと思います。特に加害者の親御さんだと、子どもが手錠をかけられている姿を見る痛みは大変なものですから。
― そういった方たちに対して、どのようなサポートをされているのですか。
阿部 あまり考えたくないことのはずですが、潜在的には、誰もが加害者の家族になる可能性を持っています。交通事故なども含めれば、家族がなにか罪を犯してしまうことを止めるのは不可能なので……。
それでも万が一、家族が事件を起こしてしまった場合は、まず私たちの団体に電話を頂きます。
傷害の場合だったり交通事故だったりと、みな違いますから、「今どういった状態にありますか」とお尋ねします。そのケースのニーズに沿った具体的なサポートをあらゆる面でしています。活動を始めて4年目になりますが、この段階ならこのサポートが必要という把握は、ようやく大体できるようになってきました。
(会場に)もしも家族が逮捕されたと聞かされた時、みなさんはまず、どうされますか……?
「まず何をしていいのか分からない」が多くの方の正直なところだと思います。
そのため、電話で状況をお尋ねした後は、家族として何をすればよいのかをお伝えします。加害者がどの段階にいるかによって、やることは決まってきます。警察からの事情聴取があるかもしれませんし、裁判前の場合は、証人として家族が呼ばれる可能性があります。そういった今後起こり得ることを説明します。
それに、いろいろな手続きの必要が出てくるんですね。離婚しなければいけないとか。中で亡くなる場合もありますし。
私たちが活動している仙台では、一番多い相談は、転居です。家を処分し土地を売って今暮らしている土地から離れたいと思っても、実際に売れるかどうかは分からないし、売れなければ動けません。団体には不動産経営者に参加してもらっているので、そういった手続きを引き受け、総合的にサポートしています。
こうした実務的な、なんらかの答えを出す相談とは別に、心のケアも行っています。映画の中の少女のように、夫や恋人が逮捕された後で妊娠が分かった。どうすればよいか、という相談もあるんです。
この場合は、絶対的な答えはありません。話を聞いて、何度も何度も一緒に考える。これしかないですね。
― 付き添いで行かれると、面会室はどんな雰囲気なのでしょうか。
阿部 すごく、お互いに照れくさい、気まずい雰囲気です。
本当は、元気な顔を見られて嬉しいんです。でも、日本の家族独特なのかもしれませんが、ストレートに口に出して言えないんですよね。お母さんの場合だと、つい照れ隠しで「あんたのせいで……」と言ってしまう。中にいる人も、ただでさえ申し訳ない気持ちと照れくささで一杯なところで責められるので、「だったら来るなよ」と返してしまう(笑)。
よくそうなりがちなところで、「お母さんがここに来るまでにどんな気持ちだったか」と話して、橋渡しをするのが付き添う際の、私の役目です。会社を休んで面会できる日を都合する大変さを説明したりして。
面会の前には受刑者と手紙のやりとりはしていますから、そこでも家族の気持ちは伝えます。逆に、中でどれだけ反省し、苦しんでいるかが分かれば家族に伝えます。家族だとかえってうまく言えないことを伝える、メッセンジャー的な役割ですね。
― 映画では、加害者と被害者の家族が面会室で初めて出会います。
阿部 すごく劇的でしたね。ただ、現実には、多くの事件はそんなに家族の家と離れたところでは起きていません。隣の家の人、もしくは親戚が被害者というケースは珍しくないのです。これはこれで、映画とは違う複雑さがあります。
それに映画のようなドラマティックなケースも、フィクションだからありえないとは私は思いません。活動していて、(まるで映画でしかないような話だな)と思うようなことは、よく起きているんです。
― 現在、加害者に向けた再犯防止に向けてのカウンセリングも行っているそうですね。
阿部 「被害者教育」とも「贖罪教育」とも言われていますが、全国の刑務所で始まっている教育プログラムのひとつです。そこで私は、加害者の家族の心情を理解するためのクラスに関わっています。
みなさんが社会と隔てた場所にいる間に、家族のみなさんはこんな思いでいるんですよ、という講義をさせてもらっています。
加害者の家族の方は、本当に辛い目にあっています。「自分も刑務所の中に入りたい」と言いたくなるほど、世の中のバッシングが酷く、守ってくれる人がいない、生き地獄のような場合があるんです。さっき転居の相談が一番多いとお話しましたが、まさに理由はこれです。
ただそういう事実を伝えて、責める形になるのが目的ではありません。実は、「家族のために」と訴えたところで仕方ないんです。犯罪というものは、そんな単純なところでは起きていません。
講義の目的は、自分の起こした事件を客観的に見てみることにあります。
数人単位のグループ・カウンセリングを行う場合、私はできるだけ、「なぜこのような事件が起きたか」話してもらい、聞くようにつとめています。
「なぜ」は被害者側の方々はもちろん、加害者の家族も聞きたいことなんです。どうして止められなかったか、と自分を責めてしまう方も多いので。
事実関係は裁判で明らかにはなっているのですが、言葉がどうしても違った形で伝わってしまいます。そこを改めて、もう一度聞く。罪名ではなく「あなたはどんなことをしたのですか」。そのことで傷つけてしまったのは誰だと思いますか、と投げかけていきます。そう問う瞬間はこめかみが痛くなるぐらい、神経を使いますけれど。
事件がひとつ起きると、多くの人が傷つきます。加害者が事件を客体化してみるのは、その痛みを無駄にしないためです。
私たちの団体では、刑務所に入らない、不起訴になったり執行猶予になったりした加害者と家族を対象とした同様のプログラムも始めています。
どうしても、就職に不利になるなどの差別に、社会の中にいる加害者は直面します。そのなかで「なぜこのような事件が起きたか」話してもらう作業は、かなり大変ですが、苦しくても「起きたことはもとには戻せない」と投げかけ、自分が起こしたことを意味づけしてもらっています。
『愛について、ある土曜日の面会室』を拝見して、言葉では説明できないことを感じられるのが映画なのだと感じました。
加害者の家族も多くの困難を迎えること、一種の被害者といえること、それでも多くの人が辛さと闘っていることを、この映画をきっかけに考えてもらえればと思います。
(12月4日 シネマート六本木スクリーン4にて)
【作品情報】
『愛について、ある土曜日の面会室』Qu’un seul tienne et les autres suivront
2009/フランス/120分/35mm
監督・脚本:レア・フェネール
撮影:ジャン=ルイ・ヴィアラール
出演:ファリダ・ラフアド、レダ・カティブ、ポーリン・エティエンヌ
配給:ビターズ・エンド
<受賞歴>
2009年ヴェネチア映画祭正式出品
2009年ドーヴィル映画祭 最優秀第一回作品賞
2009年ルイ・デリュック賞 新人監督賞
2010年リュミエール賞 新人女優賞(ポーリン・エティエンヌ)
2010年エトワール賞 新人女優賞(ポーリン・エティエンヌ)
12月15日(土)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー!
http://www.bitters.co.jp/ainituite/