1995年の米兵による少女レイプ事件をキッカケとする沖縄の怒りに対する鎮静剤として登場した「普天間基地閉鎖」のニュース。しかしそれは、沖縄本島北部の辺野古地区への新基地建設を前提としていた。さらに、この辺野古新基地計画は、垂直離着陸機オスプレイの配備・訓練を伴う新たな訓練施設網を、東村高江を中心とした北部一帯に構築する在沖米軍基地の再編強化の一環であることが分かってきた。
鳩山政権の迷走や、ここ数ヶ月のオスプレイ配備に関する報道は、日米の政府レベルでの協議を頂点として、日本政府と沖縄県、それに対して怒りの声をあげる沖縄県民という「序列」をなんども画面に映し続けた。それら多くの主張は、日米安保を聖域として保持しつつ、基地被害を「負担の平等」に換言し、それを「平和と安全」との天秤にかけるというロジックである。そこには少なくとも二つの誤謬がある。
一つは、旧自民党政権から鳩山政権へと支配構造が変化しようとも、沖縄の住民運動は一貫して辺野古の新基地建設や高江のヘリパッドの建設阻止運動を継続しているということである。本作は、2004年の運動の映像から始まるが、そこに映し出されるテント前の座り込みの日数をカウントする立て看板は、この映像以前から継続されている運動の厚みを想起させる。このような継続した運動がなければメディアのいう「迷走」も起きなかっただろう。政府レベルの視点からは「迷走」であっても、住民運動からすれば、そこへ至る出来事はすべて「一貫」した主張によるものなのである。
二つめの誤謬は、まさにこの一貫した反軍事基地の主張を成り立たせている根拠がどこにあるかである。基地「負担」とリンクする振興費や、それに対するケビン・メア元国務省日本部長の「ゆすりの名人」発言などのように、被害を負担と言い換えた上での予算措置による沖縄に対する懐柔政策が焦点化されることが多い。しかし、本作を観ればわかるように、高江の住民が「生活」を自らの立論の根拠とし、米軍に付き従う沖縄防衛局長を叱責するシーンは、政府間交渉や事務レベルでの沖縄対策がいかに無意味であるかをあらわしている。そして辺野古での「命を守る会」の文字や、イラク住民への加害に加担する基地使用と建設の阻止を海上保安官に訴える映像が示しているのは、「尊厳ある生」という極めて根源的な主張であり、揺るぎない正当性である。
本作に限らず、多くのドキュメンタリーは、反基地運動の最前線で闘う人々が、防衛局や建設業者との攻防を映し出す。それは劇場の中でそれらを観ることは、それらのシーンが強烈なスペクタクル性をもち、ややもすれば、それらは一種のエンターテインメントになりかねない危うさをもっている。警察官や防衛局員との激しい口論や、その後の「ごぼう抜き」や工事の強行などのシーンは、そのイメージを視聴者に強烈に訴えかけ、ときに眼を背けたくなるような嫌悪感、またはある種の興奮さえ抱かせてしまう。それによって私たちは、これこそが「闘争」であり「運動」だと思いこむかもしれない。その「瞬間」は、それは確かにそうなのだが、しかし思い出してほしいのは、本作品が2004年からの8年を記録した作品であるということ、そして登場する人々の継続性である。長い時間のなかで培われた反対運動の行動様式を、注意深くみてみると、強烈なイメージにもかかわらず、市民の非暴力不服従な直接行動がみてとれる。
そしてその継続性と直接行動の上に、運動の「創造性」が加味されていることによって、沖縄の反軍事基地運動は異彩を放っていると言ってよい。それは路肩にたてられたテントでの座り込みだけでなく、「海に座る」ことにも表れているように、場所をつくり出し、占拠することによって、創造的な表現を生みだしているということだ。このことは、本作の後半、普天間基地ゲート前の提供区域内を占拠し、ゲートを封鎖することに繋がっている。米軍施設と国内法の及ぶ範囲の陥穽をうつように、抵抗の拠点をつくり出していることを理解する必要がある。
この継続性と創造性は、直接行動そのものの性質といってよい。かつて黒人運動を指導したキング牧師は、交渉というもっとよい手段があるではないかと問われて、直接行動は話し合いを拒む社会に、その争点と対峙せざるを得ない状況を劇的につくり出すものだとした。辺野古、高江、普天間での非暴力直接行動もまた、軍事基地による平和と安全を吹聴するものに対して、住民の生活や軍隊によらない平和の構築を目指す社会に対峙せよとの正当な要求なのである。
映画『ラブ沖縄』が、その首尾一貫した視線で愛するのは、そのような創造的な抵抗の場所であることは間違いないだろう。また、その記録による「抵抗の場所」の拡散というさらなる創造的試みとして、沖縄の抵抗との連帯を示している。
―
【作品情報】
『ラブ沖縄@辺野古・高江・普天間』
藤本幸久・影山あさ子監督
2012年/108分/カラー/ビデオ
企画・製作 森の映画社 配給 影山あさ子事務所 著作 森の映画社
※公開中
ポレポレ東中野 〜12/30 10:30
1/12〜2/1 アンコール上映決定(時間はお問い合わせ下さい)
※横浜/シネマ・ジャック&ベティ、那覇/桜坂劇場、大阪/シネヌーヴォーにて
順次公開予定 ほか各地で自主上映
問合せ:森の映画社ホームページ http://america-banzai.blogspot.jp/p/index.html
―
【執筆者プロフィール】
徳田匡 とくだ・まさし
東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程。社会学、戦後沖縄思想。共著に『沖縄・問いを立てる―6 反復帰と反国家』『音の力 沖縄アジア臨界編』がある。