“僕たち”が『遺体』を通して本当に伝えたかったこと
東日本大震災から2年――。死者・行方不明者・負傷者の数は合計2万人を超え、津波による壊滅的な被害、それに伴う原発事故の収束はいまだ見通しが立っておらず、現在進行形の問題として私たちの日常に存在している。しかし日が経つにつれ、メディアによる報道は徐々に潮が引き、被災地以外に暮らす人びとにとっては緩やかに風化がはじまっているのもまた事実。極限状態の被災地にありながら、それゆえにメディアに報じられることのなかった遺体安置所を舞台にしたノンフィクション『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)が映画化され、現在公開されている。監督・脚本は『踊る大捜査線』シリーズ、そして『誰も守ってくれない』で新境地を切り拓いた君塚良一。3月3日、シナリオセンターにて原作者・石井光太氏と君塚監督の対談が、『遺体』出演女優・小橋めぐみ氏の司会によって開催された。
現在の劇映画状況を見わたすと、震災などまるで起こらなかったのではないか、という錯覚に陥りそうになる中で、本作の存在感はきわめて異色、もしくはまっとう。対談内で触れられているように、本作品と出会う選択肢のひとつとして、この記事を読んでいただけたら幸いです。(取材・構成 皆川ちか)
石井 原作が出版されたのは2011年10月です。その1ヶ月後くらいに君塚さんから映画化したいとお話をいただきまして、僕からのお願いは、まず現場に行っていただきたい、ということでした。現実を描くということは、思いを背負うことです。ま、これは追い追い話していくとして、君塚さんは「分かりました」と仰って舞台である釜石へ行かれました。
君塚 今日は時間があるので、雑誌などの取材ではあまり話していないことも話そうと思います。1995年の阪神淡路大震災。当時、僕はシナリオを書きつつドキュメンタリー番組の構成もしていました。フジテレビから、笠井信輔アナウンサーが震災当日に現場へ行ったルポを30分のドキュメンタリー番組にしたい、とお話をいただいて14時間くらいの素材テープを見たんです。路上に転がっていたり、火災で焼けてしまったご遺体。倒壊した建物の陰からのぞいている身体の一部……。そうした映像を、何の覚悟も心の準備もなく、見ました。テレビ番組なので、ご遺体をカットするのは暗黙の了解。また、被災者へのインタビューでは意外と「明日からがんばろう」といったコメントもとれたので、それこそ「がんばろう神戸」みたいな映像にも出来るな、と。僕もあまり迷わずにナレーション原稿では、「それでも人は生き続けなければいけない……」といったことを書いた気がします。ただ、自分の中で、素材映像で見たことと、実際に放送されたことは何か、決定的にちがう、とは感じました。
だけど、忘れました。あの日までの16年間、その違和感を思い出したこともありませんでした。あの日、2011年の3月11日、僕は映画『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』の脚本をテレビスペシャルも含めて5時間分、書いていた時期でした。夜はアシスタントと復興支援だー、経済を回さなきゃー、とお酒を呑んでいました。何かしなきゃ、とは思いつつ、でもいま忙しいから、と。そのうちに後ろめたさが出てきたんですね。現実がこうなっているのに、エンターテインメントを書いている自分に。そんなときに、小橋さん経由で本広克行監督から『遺体』を渡されて、もうびっくりして……一晩で二回、読みました。被災者が、同じ町の犠牲者のために働いていたという事実に、まるで……神話のような感じがしたのです。これは映画になるんじゃないか、と。まずは石井さんと一緒に釜石へ行って、映画の登場人物たちには全員モデルがいるので、取材というより彼らにお会いして、一人一人に「映像化したいのですが、どう思いますか?」と尋ねてゆきました。そのときに感じたのは、石井さんとモデルになった方がたとの強い関係性です。この信頼関係を壊してはいけない、と肝に銘じました。
石井 ノンフィクションをやるということは、やる側がその対象者と一緒にどれだけ涙を流したか、だと思うんです。例えば、新聞は一次情報を伝えることが役割です。取材というと一括りにされてしまいがちですが、ノンフィクションの本を書く取材は、テレビや新聞のそれとは、まったくちがいます。何ヶ月も何年間も対象となる人物と一緒にいて、その人の重みを自分も背負わなければ書けるはずがないし、書く資格もないと僕は思います。『遺体』で僕のしたことは、民生委員の千葉さんの傍につくことでした。納棺をし、遺族や遺体に言葉をかける彼の温かさを横にいて感じて。そこでようやく書く資格が生まれると思うし、千葉さんも僕を信じてくれる。そして伝えてくれる。そういった積み重ねがノンフィクションの取材なのではないかな、と。
君塚 映画をつくるうえでの取材ということに関しては、僕は関係者の方がたにお会いした後、手紙のやり取りをしたんですね。だけどなにしろ1年経っているので、ご本人の言葉も物語化してくる。なので、僕が改めて取材をするより、リアルタイムで取材をしてきた石井さんの本をありのままに映画化しようと決めました。
小橋 石井さんはいつから現場に入られたのでしょうか?
石井 2011年3月11日は、ちょうど新刊を出したばかりで著者インタビューなどが詰まっていたんですが、全部すっ飛ばして14日に被災地へ入りました。もう被害の規模も目の前に広がる光景も、圧倒的な現実で。テレビを点けると「がんばろう」が繰り広げられている。だけど、自分の見ている現実は全然ちがう。そこで考えたんです。なぜ津波が怖いのかというと、人が亡くなるからであって、その核心の部分から目を背けるのは震災を見つめることにはならない。それで遺体安置所へ行きました。そこで、千葉さんはじめ市の職員の方がたが遺体を搬送して、きれいにして、言葉をかけて。その言葉の温かさ、強さ。それこそが亡くなった方の尊厳、そして遺族を支えているにちがいない、ということに気づいたんです。自分には、それを伝えることしかできない。同時に伝えなければ、それらはその場限りのものとして消えてしまう。おそらく君塚さんは、そこを感じとってくださったのではないでしょうか。映画を観て、本当に感謝しました。ドラマチックにしようと思えばいくらでもできたのに、そうはされなかった。たぶんそれは、君塚さんがモデルとなった方がたと実際に接して、彼らの思いを汲んでくださったからなのだと思います。
思いを背負うとはどういうことなのか。それは、つくっているときに絶えず問われます。『遺体』には、原発に関しては一切書きませんでした。書いた方がいいのかもしれない、その方がわかりやすく、よりノンフィクションらしくなったかもしれない。だけど、僕が実際に出会った方がたの思いを背負って書いていった結果、こういう内容になったわけです。君塚さんはまさにそれを、映画でやってくださいました。
君塚 制作するにあたって『誰も守ってくれない』のスタッフを呼んだのですが――これは今日いらしてる皆さんもそうだと思いますが――彼らの家族や知り合いに被災者や犠牲者がいるかもしれない。だから、この映画に参加したくないかもしれない。そうなら遠慮せず断っていいですよ、と予め伝えました。美術部は人形とはいえ150体もの遺体をつくって、つらかったと思います。あの出来事を追体験するわけですから。泣きながら、一体一体に魂を込めてご遺体をつくってくれました。撮影は約一ヶ月間。順撮りで、遺体安置所を演劇の舞台のように360度、どこから見てもどこから撮っても違和感のない空間をつくりました。母親を亡くした女性役の小橋さんは画面の奥にずっといましたし、娘さんを亡くしたお母さん役の女優さんも、いつも現場にいました。彼女たちを西田敏行さん演じる相葉さん(原作の千葉さんに相当する人物)が常に見ているわけです。撮影直前に急きょ内容を変更した場面も、いくつかありました。小橋さんが亡くなったお母さんにお化粧をしてあげるシーンですが、シナリオでは千葉さんがするところを、西田さんが「僕なら、娘さんにさせてあげたい」と提案されたんです。
小橋 私もあのとき演じていて、もしも自分だったら、私がお母さんにお化粧してあげたい、してあげなくちゃ、という気持ちになりました。
君塚 そう。それでリハーサルなしで、台詞も動作もアドリブで、あの場面を撮ったんですよね。娘さんのハンドバッグの中にハンドクリームしかなくて、でもまあいいか、ってくだりも。
石井 西田さんも同じことを仰ってました。この映画では演じるんじゃなくて、西田敏行という人間として、あの現場で何ができるのか? そう自分に問いかけていた、と。その象徴が靴を脱ぐ、もう一つの即興シーンに表れていました。相葉さんが遺体安置所である体育館の中へ入っていくとき靴を脱いでいますが、あれは原作にはないんです。3月の東北で、ものすごく寒くて、遺体から出たヘドロが床に敷いたブルーシートにべったり貼りついていて、とても裸足になれない状態なんです。だけどモデルとなった千葉さんは、映画をご覧になった後、あのシーンで本当は自分もああやりたかった、と仰ってました。あのとき、これだけの遺体を前にして土足で体育館に上がるのは心がつらかった、だから西田さんが映画の中で靴を脱いでくれて、本当にありがたかった、と。それを聞いて、この本を映画化する意味をものすごく感じました。西田さんがあのセットを前にして咄嗟にやった行為――靴を脱ぐ行為――が、一年半前の千葉さんの思いと一致した。映画化、いわば物語化することで、事実を伝えるノンフィクションとはちがうものを伝えられる。逆にいうと、それでしか伝えられないこともあるのではないか、と。
西田さんが、遺体という言葉を遺体安置所では使えなかったと仰っていましたが、実際に安置所では“遺体”とか“火葬”といった言葉を聞きませんでした。そういう会話は皆さん、体育館の外へ出て話していたんです。安置所の中には遺体も、ご遺族の方もいるので、そういう言葉は使ってはいけないという空気がありました。撮影の後半、群馬県の廃校を使ったセットへお邪魔したことがあったんですが、体育館の前にスタッフさんの作った焼香所があって、やはり会話がありませんでした。撮影の合間に西田さんが体育館の前に椅子を置いて、安置所に背を向けて座ってらしたんです。山の中なので、目の前には草原が生い茂って、蛙がガーガー鳴いていて。その姿が強烈に印象に残りました。後日、そのときのことを西田さんにお話したら、撮影の合間合間にセットを見ることができなかった。引きずり込まれてしまうから、と仰ったんです。必死に遺体安置所から外へと気持ちを向けていたんだな、と。僕もあの撮影現場で、実際の安置所と同じ空気を感じました。
つくり手には選択肢を残す義務がある
石井 このあいだ新聞のインタビューを受けて、今の時期にこういう映画をつくることに耐えられない人もいるかもしれない。それに関してどう思いますか? と尋ねられ、原作も映画も含めてそんなことはない、と答えたんです。2012年1月の段階で、君塚さんと一緒に関係者すべてにご挨拶をして、映画をつくりたいけど、どう思いますか? と訊いてまわって、明確にノーと言った方はひとりもいないんです。拒絶する人がひとりでもいたらやめようと、予め君塚さんは仰いました。君塚さんはモデルになった方全員の承諾をとって、その思いを抱えて、できる限り忠実に映画をつくった。それを観た関係者の方がたは、誰ひとりとして自分の思いとはちがう、と言わなかったし、むしろ、つくってくれてありがとうという声が圧倒的でした。もちろん被災者の中にはこの作品に拒絶反応を示す人も、観ない人もいるかもしれません。だけど、全員の求めるものをつくることはできない。これは事実です。ではつくり手には何ができるのかというと、それは全体から見たら少数かもしれないけれど、現場にいた関係者の思いを背負う。そしてその人たちに対して忠実につくる。これしかできないと僕は思うのです。
君塚 映画製作に携わる人間はみんなそうだと思うのですが、映画をつくるというのはけっこう個人的な動機からなんです。僕は石井さんの本を読み、16年前にできなかったことが今ならできるかもしれない、という極めて個人的な動機から出発しました。今つくるか、そうでないなら、ずっとつくらないか。このどちらかしかない。ご遺族は永遠の苦しみを抱えておられる。それを思って、それでもつくらないというのは、僕の中では目を逸らす、やりすごす、ということになる。余談ですが、前作の『誰も守ってくれない』は、神戸の連続児童殺傷事件を基にしたんですが、そのときも「まだ10年しか経ってないのに、いいんですか?」と言われたことがあります。それを言われると、何を言ってもしても通じないのかなあ、と思いましたね。
石井 僕も読者の方から、この本を読めませんでした、というご意見をたくさんいただいてます。でも、それに対して批判されたことはない。先日も釜石市出身の方――その方はご家族を津波で喪いました――からお便りをいただいて「あまりにつらくて読めませんでした。映画も観に行く勇気はまだありません。だけど、つくってくださってありがとう」とのお言葉をいただきました。
僕は、つくり手には選択肢を残す義務があると思うのです。例えば、中沢啓治さんの『はだしのゲン』を気持ち悪いという人はたくさんいるでしょう。そういう人は読まなくてもいいと思う。学校の図書館に置いておく必要もないかもしれません。けれど、選択肢のひとつとして、あの本が学校にあるかないかでは全然ちがうと思うのです。復興に関しても、“前に進む”“忘却する”など色いろな言葉があります。「忘れちゃいけない」と言う人もいます。だけど僕は、忘れてもいいと思っている。人間が生きていくには様ざまなことをインプットせざるを得ないし、そうしないと生きていけません。被災者の方とて、津波と対峙する時間は時の経過と共に少なくなっていくでしょう。だけどそれは“忘れる”のではなく“前に進んでいる”ことなのだと。一方で、津波の実態を知らない人もいますし、2011年3月11日以降に生まれてきた人間もいる。その人たちが、このことを知りたいと思ったときに伝える作品を残しておかなければならない。それも、ノンフィクションを読まない人でも、映画ならば観るかもしれない。或いはマンガなら、小説なら、という具合に、様ざまな形のきっかけを残しておくことが必要だと。つくり手、少なくともドキュメンタリーなどノンフィクションのつくり手は、この、きっかけを残すことが仕事だと思うのです。
ちなみに、映画化に際して反対意見はありませんでしたか?
君塚 実はあったんだけど……それを話すと、ここだけの話にならないんだよね(笑) この映画はフジテレビの出資ですが、テレビの報道部も、この遺体安置所へ取材には行ってるのです。決して隠ぺいをしようとか、ここは映すなと言われたとかではなく、実際に足を運んでいた。だけど、あの壮絶な現場で、ご遺族にカメラを向けられなかったと聞いています。だから本作の企画に報道部からは、我われができなかったことだから、ぜひ実現してほしい、と言われました。
石井 報道として、すべきではない部分も正直な話、ありますからね。それを映画という形でできるのであれば、という役割もある。
君塚 昨日も長野放送の記者と話したんですが、彼はこの映画を観て、「あなたたちはこれを報道しなかったじゃないか。そんな無言のナイフを突きつけられた感じを受けた」と、自分を責めるように語っていました。「僕らはあのとき、生き残った方にマイクを向けて、がんばりますという言葉を引き出し、それを報道することが同じ被災者の方がたを勇気づけられると信じていたんです」と。それは、その通りだと思う。それに対して批判する気持ちでこの映画をつくったわけではないのです。
石井 僕もそれはインタビューなどでよく言われました。会社や組織に属する自分は、遺体安置所の存在を伝えることができなかった。対して石井さんは個人でやられた、と。けれど、本には本の、マスメディアにはマスメディアの役割があります。テレビは一次情報を即座に伝えるという面で、非常に強い力をもっている。それは本の人間がどれだけ急いでも必死にやっても、絶対に敵いません。しかも無料で、ですから。しかしその分、見たくない人にまで伝わってしまう恐れもあります。もし遺体の情報をテレビで流したら、その人を捜している家族の方が見る可能性がある反面、この状態を悪用しようとする人間が見ることだってある。ですから僕は、遺体安置所の報道それ自体はマスメディアがすべきではないと思っています。では本は、映画はどうでしょう。これらは千数百円という価格の中で、本人が選択したうえで読んだり観たりするものです。だからマスメディアの方が、この作品に関してコンプレックスと言っては変ですが、申し訳なさを抱く必要はないと思います。役割のちがいなのです。マスはマスでしかできないことをやるべきですし、僕のように本を書く人間は、本を書くことでしかできないことをやるべきだと。映画であれば、映画でしかできないこと。そういった、それぞれの分野でしかできないことが、どれだけあるかということが選択肢として豊富にあること。それが重要なのだと思います。
伝えなければならない義務
石井 原作、あるいは映画をご覧になったら分かっていただけると思うのですが、死体と遺体はまったくちがいます。意味は同じです。だけど、津波に流されて、ヘドロだらけになって死後硬直している死者。それが、足の踏み場もないくらい床一面にごろんと置かれている。それを一体一体、洗って、遺族を見つけて、火葬場まで送り届ける。そうすることで、死体が遺体になってゆく。その過程で、どれだけの人が死者に携わり、その尊厳を守っていたか。そういう部分から映画もしくは原作に触れていただきたいと願っています。それがあのとき、あの十日間に何が起きていたのかを知る手助けになるのではないか、と。
あれから2年が経ちます。傷は癒える、という言葉があるけれど、癒えることはないと僕は思うのです。自分の大切な人がある日、津波に呑まれて亡くなって、葬式もできず、ヘドロまみれで、火葬場で焼くこともかなわず腐っていって、土葬されて。いまだ見つかっていない方もたくさんいる。それを30年後、40年後に思い返して、つらくない人はひとりもいません。傷が癒えることはない。生きている人間はその傷に蓋をして、生きていくことしかできない。傷から目を逸らすことはできても、癒すことはできない。そんな人たちに対して「もう癒えたでしょう?」「いつ癒えるの?」と問うことは、絶対にしてはならない。それはつまり、「癒えたなら、もう終わりにしようぜ」ということですから。こんな例があります。拝み屋さんという、死者の霊を呼びよせることができるといわれる人を訪ねたご遺族がいます。その方のお父さんはまだ見つかっていなくて、お父さんの霊を呼んでもらったんですね。そしてトランス状態になった拝み屋さんはこう言ったのです。「津波で亡くなった人の遺体が全部見つかっていないから、俺はまだ出ていけない。遺体がみんな見つかったら、俺もいくよ」。ま、僕は霊の存在は信じていないのですが、肝心なのは、遺族はその言葉で、ギリギリのところでバランスをとっているということなのです。そういう例をたくさん見ました。2万人ともいわれる亡くなった方のご遺族・友だち・恋人を含めたら、その数は数十万人、いや100万人は超えるでしょう。日本はこれから100万人規模の被災者を抱えながら、前に進んでいくことになるのです。その現場である遺体安置所あるいは捜索の場で何が起きていたのかを知らなければ、その人たちを理解することは到底できません。けれど、実際に現場を見た人間はごく一部です。さらに、それを伝えられる立場にいる人間となると、もっと限られてくる。そういう人間には、伝えなければならない義務がある。そう、義務だと僕は考えています。癒えない傷を見つめて、伝えていくこと。それが自分の役割ではないかな、と。
君塚 映画が完成して、昨年の11、12月に釜石で上映会を行いました。久しぶりに訪れて、瓦礫の山が少しずつなくなっていて、物質的な復興はやっと始まったかな、という感触をもちました。だけど、ある地元の方が「みんな疲れた顔をしている」と仰ってました。それと徐々に、日に日に、震災関連の報道がなくなってきて、孤立した感じがする、とも。それは報道の責任であり、我われ一人一人の責任でもあります。具体的な行動を起こせなくとも、ただ思い続けるだけでも構わないのです。私たちが思い続けないから、テレビ局はそれを感じとって番組をつくらない。報道しない。結果、伝えられていかない、となる。僕もこの作品をつくった以上、通常なら「後は観客の皆さんに委ねて……」といったまとめ方をするのですが、この作品に関しては、それは言いません。これからも関わって、伝えていかなければ。心からそう思っています。
【上映情報】
『遺体 ~明日への十日間~』
2012年/105分/日本/カラー
脚本・監督:君塚良一/製作:亀山千広/エグゼクティブプロデューサー:種田義彦
プロデューサー:高橋正秀・古群真也
出演:西田敏行/緒形直人/勝地涼/國村隼/酒井若菜/佐藤浩市/佐野史郎/志田未来/小橋めぐみ ほか
企画協力:新潮社/製作:フジテレビジョン/制作プロダクション:FILM
配給:ファントムフィルム ©2013フジテレビジョン
全国にて公開中
※本作の収益は被災地に寄付致します
【書籍情報】
『遺体―震災、津波の果てに』 石井光太著
新潮社 2011年10月発行 定価:1575円 四六判 /266ページ
ISBN978-4-10-305453-5
※発売中のドキュメンタリーカルチャーマガジン『neoneo』vol.01にも、石井光太氏のインタビューが掲載されています。→http://webneo.org/archives/3733
※君塚良一監督と原作者・石井光太氏の特別対談の全編は、Youtubeで観ることができます。
→http://www.youtube.com/watch?v=f-891rwtTG8&feature=youtu.be