【Review】フジテレビNONFIX『原発アイドル』クロスレビュー text 青木ポンチ/小林和貴

『制服向上委員会』©アイドルジャパンレコード

「居心地の悪さ」を写し出す少女たち             青木ポンチ

テレビの深夜ドキュメンタリーの情報は、少ない。よほどアンテナでも張っていないかぎり、普通は見逃してしまう。だが時折、他の時間ではお目にかかれないような実験的な番組が放送されていたりするから、気は抜けない。民放局ながらスポンサーの気配を感じさせず、担当ディレクターの心意気が画面からにじみ出てくる、そんなフリーな番組が。

ふと出会い頭に、こうしたドキュメンタリーの良作とめぐり合うのも、夜ふかしの醍醐味だ。『原発アイドル』も、番組表でそのタイトルだけ見て引き込まれた。何だろう、原発アイドルって。予備知識なしに見るワクワク感が、いい。

アイドルの正体は「制服向上委員会」。深夜らしいマイナー臭がプンプンと立ち上ってくるが、筆者の大学時代、1992年から活動の続いているグループというから驚きだ。バブル景気のはじけた92年当時は、J−POPやトレンディードラマの隆盛と裏腹に、アイドル冬の時代。制服向上委員会は「おニャン子クラブ」と「モーニング娘。」の挟間に細々と咲き、20年後も細々と咲き続けている。

だがその姿はカスミ草のようにはかなげなものではなく、バラのようなトゲを持っている。市場原理をとことん追求する秋元康やつんく♂のようなプロデューサーの間逆をいく、とことんゲリラ戦に徹するプロデューサー、高橋廣行が生みの親である。この男、
いかにも一筋縄ではいかない。その出自は、バリバリ学生運動世代のフロントランナー。反体制の急先鋒に見えた男が、大衆文化の象徴であるアイドルを手がけているのだから、面白い。しかしその手法は、あくまでゲリラ的だ。

制服向上委員会は、まずテレビには出ない。CDも売れない。AKB48よりだいぶ早い、「劇場で会えるアイドル」だ。「ファンと一緒に成長する」AKBイズムも共通かと思いきや、時にファンを置き去り、翻弄する。それは「サプライズ」といった範疇をこえ、見る側のファン、そして演じる側のメンバー自身をも不安に陥れる。

3.11が、その傾向に拍車をかけた。節電の夏に高橋が問うたのは『ダッ!ダッ!脱原発の歌』。かくして、彼女たちは反原発デモをはじめとする「政治の場」に駆り出されていく。

カメラは『脱原発の歌』発表から今に至るまでの、メンバーたちの姿を追っている。興味深いのは、彼女たちは政治の場に駆り出されながらも、決して政治的存在に染め上げられてはいないこと。そこが若き日の高橋ら「社会派ロッカー」とは立ち位置の違うところだ。どんなステージでも、キャピキャピと歌い踊り、笑顔をふりまくメンバーたち。だがもちろん、彼女たちは一枚岩のお人形集団ではない。カメラは、原発事故が彼女たちにもたらした微妙な「違和」にフォーカスする。

「微妙な」がポイントだ。決して「劇的」ではない。彼女たちは『脱原発の歌』を歌いもてはやされることへの違和感をうまく言葉にすることができず、表立って感情をぶつけ合うこともない。

テレビ的な演出かどうかは不明だが、メンバーが車座に座って「原発」について話し合うシーンがあるが、「盛り上がらない学級会」のよう。だが、はたと気付く。このモヤモヤした姿は僕らの社会そのものではないか、と。

「原発推進村」も「原発反対村」も、ベクトルが真逆なだけで、似たところのあるムラ社会。いずれにも染まらぬぼんやりした大衆、それが制服向上委員会の多数派であり、僕たちの多数派だ。あれだけ反原発デモがうねりをあげたといっても、砂のように圧倒的な大衆にとってはほんの一部が騒いでいる過ぎない。

『脱原発の歌』のあと活動から離れたある少女の姿は、「原発論争に飽き、距離を置きはじめた日本国民」多くの姿と重なる。リアルな人間模様に、見ている側まで居心地が悪くなってくる。

2012年夏の脱原発デモ

メンバーを去る者のドラマだけではない。被災地・福島からメンバーに加わる者のドラマもある。その出自だけで、見る側は「被災者」としての新たなドラマを期待する。
だが、その期待はあっさりかわされる。福島から来た14歳の少女は、ほかのメンバー以上に原発問題に無頓着だった。ただアイドルであるために、彼女は『脱原発の歌』を屈託なく歌う。

高橋プロデューサーは「自分はノンポリ」「原発問題、本当はどうでもいい」とうそぶく。だが、圧倒的多数のノンポリ集団にあえて劇薬を投入し、その化学反応を試しているようにも見える。
それは、本作の監督の視点にも通じる。大きな時代のうねりの渦中にカメラを置きながら、決して高ぶることなく、逆に斜に構えすぎることもなく、ていねいに少女たちを観察していく。

良心的な存在として、メンバー最年長、32歳の橋本美香の姿も追っている。彼女は高橋とは一蓮托生、メンバーのお姉さんでありグループのスポークスマンであり、制服向上委員会の象徴だ。唯一、ブレていない「大人」なので安心して見ていられる。
だが逆に、ブレまくるほかの少女たちこそ、ブレまくる僕たちとそっくりだ。原発事故という危機に瀕してなお、日本人は精神性は子供のままなのかもしれない。そんな日本の構造が透けて見える、スパイスの効いたドキュメンタリーだった。

本作鑑賞後、監督が「小野さやか」だと知った。話題の映画『アヒルの子』(2010)は未見だが、カメラの置き方、対称との距離のとり方…その「居心地の悪さ」と、暑からず寒からずの温度感が心地よかった。今後のドキュメンタリー界に不可欠な存在になっていきそうだ。

【執筆者プロフィール】
青木ポンチ あおき・ぽんち
1972年生まれ。東京都出身。「株式会社スタジオポケット」所属のライター・編集者。『週刊ザテレビジョン』誌などで映画レビューを執筆。ほかエンタメ全般、社会問題、自己啓発など幅広い分野で執筆中。ブログ:http://ameblo.jp/studiopocket/

『制服向上委員会』@アイドルジャパンレコード


少女達の夢をも食う原発                 小林和貴

アイドル戦国時代と言われる昨今、“脱原発を訴えるアイドル”は、遅かれ早かれ誕生しただろう。乱立するアイドルたちは、みんな可愛らしくて歌がうまい。歌に関しては、下手でもなんとかなってしまう。ただ「可愛らしく歌っている」だけの存在では、乱立するアイドルの中に埋没してしまう。

そこで誕生したのが、他と差異を付けるために様々な付加価値を付けたアイドルだ。何かが流行れば、それに便乗して、毎月のように○○ドルが誕生している。鉄道が流行すれば鉄道好きの「鉄ドル」、歴史が流行れば歴史が好きな「歴ドル」…思いつく限りのアイドルが様々な流行と共に誕生している。

その状況を考えれば、2011年夏のあの時期に、脱原発を訴えるアイドルが誕生するのは極めて自然なことであった。デモへの参加者は日ごとに増え、毎週金曜日には首相官邸前に何万人もが集まり、一つの流行のようになっていた。流行に便乗し、脱原発を訴えるアイドルが誕生するのは当然の流れである。

震災から3ヶ月後に歌われ始めた「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」は、またたくまにデモ参加者の間で広まり、制服向上委員会は、脱原発の集会や催し物に引っ張りだことなった。しかし彼女たちはデモの勢いに便乗したわけではなく、デモが盛んに行なわれる前から「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」を歌っている。さらに震災以前から社会問題に絡めた歌も幾つか歌っており、制服向上委員会は、脱原発だけではなく、社会問題を取り上げるという付加価値を付けた「社会派アイドル」なのであった。

それにしても、デモの参加者の前でアイドルが歌う、という光景は異様だ。夢を売るものと、現実への異議を申し立てるものが同じ空間にいるのだから。アイドルとデモは、そもそも相反するもののはずだ。現実の問題に対して行動するデモに対し、アイドルは偶像であり、夢や願望をファンに与えるもの。本来は現実に山積する様々な問題から目を背け、忘れさせるための存在であるはずだ。そのような彼女達が社会問題に取り組み、デモや集会の場でパフォーマンスを行なう。アイドルが脱原発を訴える事で、相反する存在が同じ場所に併存し、「脱原発」という一つの目的で結束できている。アイドルという偶像が、現実にすり寄った形だ。多くの人が歌を口ずさむ姿は、まさに一致団結である。

『原発アイドル』は、脱原発の運動に取り組むアイドルの活動を追う、というよりは、あくまでアイドルを目指す少女たちの日常が、「脱原発の歌」を歌うことによってどう変化したか、を描いている。彼女達は、脱原発という大きな流れの中で、アイドルとしての日常を変えられていく。「ダッ!ダッ!脱・原発の歌”」を一緒に歌っていても、彼女たちの原発に対する思いは様々だ。

あるメンバーは、戸惑いながらも脱原発への気持ちを強めていった。リーダーでもある彼女は、ファンの前で話すときと、デモで話すときの姿を使い分けるようになる。アイドルとしてあるべきは、ファンの前で可愛らしく喋る姿だが、デモに参加する時は、真剣に脱原発について考える姿勢を見せる。そうやってアイドル特有の可愛さも残しながら、デモに順応していくのだ。

またあるメンバーは、「脱原発」だけが正しいのか、と疑問に思い、他のメンバーとの考えの違いに悩まされる。アイドルを続けるためなら、口だけでも脱原発に賛同していれば良いのに、彼女は正直に番組の中で疑問を口にする。その結果、一時活動休止という選択をとるが、一歩引く事で、自分なりに脱原発の必要性を考え、納得し始める。

印象的だったのは、親の反対から「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」を歌い始めてから脱退したメンバーの一言だ。

「いざ辞めてみると、制服向上委員会並みに周りが、原発、原発、言っていないのに気付いて。原発について考えることもなくなりましたね。」

これが等身大の少女の言葉なのだろう。おそらくメンバーの中にも、同じ気持ちの子はいるはずだ。福島出身の少女さえ、原発について聞かれると何も答えられなくなってしまう。本当の意味で脱原発の必要性をわかっているメンバーはいないのかもしれない。

番組の中で制服向上委員会は、「子供達も脱原発を願っている」という大人たちの勝手な言い分を証明するために利用されているように見えた。アイドルでありたい、という彼女達の気持ちを利用して、「脱原発」の一つの象徴として祭り上げられている。しかし、彼女達はそれすらも分かっていて、アイドルという日常を守るために渡された「脱原発」を受け入れ、大人に望まれた「少女」を演じているのかもしれない。

アイドルは毎年のよう大量生産され、消費されていく。人気を手にしても長続きするのは難しく、すぐに次のアイドルに人気を奪われてしまう。少しでも長く生き続けることは、多くの少女達の願いだろう。そのためにはまず、周りの大人の顔色を伺わなければいけない。どれだけプロデューサーに従うことができ、周りの大人に気に入られるか。どれだけ目をかけてもらい、自分を売り出してもらえるか。それがメディアへの露出へと繋がっていく。露出が増えれば増える程、自分をアピールすることができ、ファンを増やすことができる。今やファン投票で選抜メンバーが決められる総選挙が名物のひとつとなったAKB48でさえ、一見民主主義的な方法で選ばれているように見えるが、選抜メンバーとして上位に入るのは、元々メディアへの露出が多い子たちだ。

誰もが一度は思ったことがあるだろう。「どうしてこの子が、こんなにテレビに出ているのだろうか」と。だがそう思うのは初めだけで、連日テレビで目にするうちに自然と「話題の人」になっていく。そして、そのような位置付けを決めているのは、プロデューサーや周りの大人たちなのである。

『制服向上委員会』©アイドルジャパンレコード

『原発アイドル』に話を戻すと、制服向上委員会のプロデューサーは、特に熱心な脱原発推進者ではない。笑いながら「どちらでも良い」と言い放っている。プロデューサーからしてみれば、脱原発は注目を浴びる材料の一つでしかない。結局のところ彼女達も、他の○○ドルと変わらない、「社会派」という付加価値を付けられたアイドルに過ぎない。そして彼女たちもそれを知っている。リーダーの小川杏奈は、だれよりも早く脱原発に馴染み受け入れているが、それは脱原発を心から支持し、訴えているからではない。どうすれば周りの大人たちに気に入られ、どのように振る舞えばアイドルとして生き延びる事ができるかを知っているからだ。だからこそ、彼女は一番人気の座を獲得できるのだ。

アイドルの夢とは、いったいなんなのだろう。「ちやほやされたいだけ」と言う人もいるだろう。しかし、多くの子達は「より多くの人に認識してもらいたい」という理由でアイドルとなっているのではないだろうか。他者との関係が希薄な昨今、誰も自分のことを見てくれないと不安になる若者は多い。多くの人の中に埋没してしまい、“個”ではなく“その他大勢”となる自分への不安。その不安が強い子たちが、すすんでアイドルとなっているのではないのだろうか。彼女達の大切な夢は、メディアも含めた多くの他者に認識されることで、その他大勢ではなく“個”としての自分であり続けることである。その思いが、“アイドルになりたい”という夢へと変化しているのだ。

このような少女が増えたのは、根本的には大人に問題がある。私自身から下の世代は、個性を持つ事を強要されてきた。オンリーワンであることの大切さを説かれ、自分は他の人と違う特別な存在であるのだと教えられてきた。しかし現実には、夢を持てば「このご時世なにを言っているのだ」と言われ、自分が特別な存在なのだと信じていれば非難される。本当の意味で個性を持つ事は許されず、周りが望む“個性”を持つことのみが望まれてきた。つまり空気の読める、“個性的”な若者を欲されているだけなのだ。

でも、誰だって特別な存在になりたい。自分にしかできないことをやりたい。 “普通”と言われる生活をするのですら大変な今だからこそ、短くとも他とは違う事がしたいと考えるのは当然の事だ。昨今のアイドル乱立は、こういった若者の感情を巧みに利用した、大人たちの産物でもある。そして、その中でアイドルを目指す彼女達は、大きな地震があろうと、原発が壊れようと、周りの人間の顔色を伺い、従うことを無意識に強要している大人から自分の夢を守るために、今自分がやらなければならないことを必死になって見極めているのだ。

『原発アイドル』では、制服向上委員会を色物扱いしなかったこと、彼女たちの日常や内面を追おうとしたことは評価したい。しかし少女たちにとっては、番組スタッフも周りの大人と変わらなかったのだろう。無意識にガードされているように私は感じた。現役のメンバーは、脱原発の歌を歌っている以上、一言でも周りの意にそぐわない発言をすれば“失言”となってしまうから、番組の問いから無意識に本音を隠そうとするのはあたりまえのことだ。『原発アイドル』で思いを率直に語るのは、現役のメンバーよりも、実は脱退したメンバーなのである。

ディレクターの小野さやかは、少女たちと年齢が近い。「脱原発」の意識を問うだけではなく、彼女たちの夢を理解しその内面に寄り添うことで、もっと本音の部分を引き出せたはずだ。番組の構成が良かった分、「脱原発のアイドル」としてではなく、少女として、ひとりの人間としての本音を見せて欲しかった。

【執筆者プロフィール】
小林和貴 こばやし・かずき
1989年生まれ。東京造形大学映画専攻卒。

デモに参加する『制服向上委員会』©アイドルジャパンレコード

 【番組情報】

『原発アイドル』(フジテレビ『NONFIX』)

演出:小野さやか/構成:港岳彦/撮影:高沢俊太郎/語り:阿部芙蓉美
出演:制服向上委員会、小出裕章、PANTA  ほか
プロデューサー:熊田辰男/ 森山智亘
制作協力:LADAK/制作・著作:フジテレビ 

※ギャラクシー月間賞 受賞

 2012年10月18日(木) 02:10~03:10放送
(2012年10月17日(水) 26:10~27:10 )

【再放送】2013年3月14日(木) 02:55~03:55 
(2013年3月13日(水) 26:55~27:55 放送)