【投稿】2つの「フタバ」から見えるもの―― 似て非なるそのアプローチ text 正木斗周

『原発の町を追われて』より

『原発の町を追われて』より

311以降の福島県双葉郡双葉町を描いた映像作品は、テレビ放送も含め、何本かあるようだ。ここでは、そのうち『フタバから遠く離れて NuclearNation』(舩橋淳監督)と『原発の町を追われて~避難民・双葉町の記録』(制作:堀切さとみ)の2作品について触れてみたい。

最初に私は『原発の町を追われて~避難民・双葉町の記録』(以下『原発の町を』と略記)の上映会に足を運ぶ機会があり、この作品を見、制作者を含めたディスカッションに加わったことから、ならばもうひとつの映画ではこの問題についてどのような描き方をしているのだろうかという興味を持って、『フタバから遠く離れて』(以下『フタバから』と略記)を見た。

 映画の完成度という点では、当然といえば当然かもしれないが『フタバから』はプロの作品という印象で、しっかりと、ある意味きれいに作られている。一方『原発の町を』は、手持ちカメラの不安定な映像やナレーションの多用などからしても、シロウト臭さは否めない。だがこの2つの映画は、そんな「外観」のちがいだけでなく、そもそも何を映し出そうとしているのかという点で、大きく異なっているように感じられた。

■3つの違和感

この文章を書こうと思ったきっかけは、『フタバから』を見て、『原発の町を』には感じなかった違和感を覚えたからである。したがって何より、『フタバから』という作品に対する違和感から話を始めることにしたい。

その違和感は、大きく分けて3つ。

1.冒頭にある「現代のノアの方舟」というキャッチコピーに対する感じ方。
2.なぜか登場人物が身近に感じられず感情移入できなかったという問題。
3.双葉町の定点観測を標榜する映画に突然浪江町が登場すること。

《1について》
「現代のノアの方舟」というキャッチについては、見た途端私は「何だかカッコつけたコピーだなぁ」という印象を受けた。論理的でも何でもないただの感想だが、双葉町民の避難は、そんなかっこよく語れるようなものなのか?と思ったのである。

考えてみれば元祖のノアは、「神と共に歩んだ正しい人」であったから、神から特別な便宜を図ってもらった恵まれた人物だ。苦悩を強いられ、自ら決断を下さざるをえなかった井戸川双葉町長(当時)の立場とはまるっきり違う。ノアの方舟が似ているとすれば、生活拠点丸ごとの大移動という点だけだが、それにしては「現代のノアの方舟」は大仰過ぎないか、なぜこんな表現を使ったのか、というのが私の素朴な疑問だった。

実際、映画自体、町長を英雄的に祀り上げるようなスタンスは採っていないし、今ひとつ理由がわからなかった。それがまず最初の違和感だが、このことはいったん措いて、最後にもう一度振り返ってみることにしたい。

《2について》
映画を見終わって私自身首を傾げたのは、『原発の町を』に比べて、『フタバから』にはなぜか感情移入ができないなということだった。公式サイトにあった「感情移入して何度か泣いた」や「涙が止まらなかったし思いがこみ上げ過ぎて」、「何度も涙が流れる」といったコメントが、宣伝としての誇張を割り引いたとしても、なぜかピンと来ない。

『原発の町を』に登場する同じ人物が『フタバから』で同じようにしゃべっていても、どうも遠くに、まるでショーケースの向こうにいるように感じられて、画面にのめり込めなかったのだ。

その理由を考えてみた。
まずごく単純な点からいえば、字幕表示される登場人物の氏名だ。『原発の町を』では、監督がインタビューをするほぼ全員、氏名(差し支えない場合は年齢も)が字幕として示されている。しかし『フタバから』では、それが限定的だ。

特定の、突っ込んだ取材をした人たちの氏名は字幕に出るが、避難所で意見を言い、カメラに語りかけてくるかなりの避難民に、名前はない。観客は、しゃべっているのが双葉町の人であろうということは想像できても、何の何兵衛さんかはわからない。当然ながら「(一般的な)双葉町の人が話している」という抽象的な受け止め方しかできない。観客にとってそれら登場人物は、具体的な陰影を持った人物ではなく、画面の向こうの平均化された客体にされてしまっている。少なくとも私にはそう感じられた。

『フタバから遠く離れて』より©2012 Documentary Japan, Big River Films

『フタバから遠く離れて』より©2012 Documentary Japan, Big River Films

同じことが、避難している個々の人たちの描き方にも言える。
例えば書家の渡部翠峰さんについては、『原発の町を』では騎西高校の視聴覚室を借りて書道教室を始め、生徒たちと密なコミュニケーションをとっている個性あふれる人物としてその姿が描かれている。この辺りは堀切作品の中でも最も心温まるユーモアにあふれた出色のシーンだと思うが、同じ渡部さんは、『フタバから』では車の中でタバコを吸っているただのオヤジとしてしか描かれない。

『フタバから』のこのシーンだけを見た場合にはどうということはなくても、『原発の町を』を見てしまったあとでは、避難民同士のふれあいが希薄に感じられ、どうしても平板な印象しか残らないのだ。

ふれあいというなら、逆に対立はどうか。

『フタバから』には、避難している町民の中での対立は描かれていない。これについては舩橋自身が著書『フタバから遠く離れて』(岩波書店)でこう書いている。

「大きな判断として、映画の中で「二つの双葉」問題をどう扱うかということがありました。(中略)町民の間の葛藤、反目という問題です。でも映画には、それらを入れないことにしました。(中略)内輪もめを入れて表面的な諍いだと見る人にとられてしまっては意味がないだろうと考えたんです。そんな分裂状態を強いてる大本は原発事故なのであって‥‥」。

一方『原発の町を』では、「二つの双葉」問題だけでなく、原発に関する考え方の違いや、保障問題を巡る議論、避難所での不満など、町民内に生じているさまざまな温度差が描かれている。特にそれがよく現れているのは、家族10人で埼玉に避難してきた田中信一さんの一家の例だ。

田中さんは映画の中で、東電で働いていた義理の息子のことを話している。事故が発生したとき、所長が「皆のことを犠牲にはできないから自分の意志で現場を離れてもよい」と通達を出し、80人の社員のうち10人が現場に残る。その一人が彼の息子だった。「特攻隊だったんだよ」。田中さんは現場を捨てずに責任感を持って作業を続けた息子を誇りに思う、と涙を浮かべながら言うのだ。

私はこの映画を、東京・国立にある映像居酒屋「キノ・キュッへ(木乃久兵衛)で初めて見たのだが、その時の上映後のディスカッションで、このシーンに関して、観客の一人が噛み付いた。「これはまさに、特攻隊の精神ではないか」、「日本人はそういう精神状態に巻き込まれやすいメンタリティを持っている。これを克服しないと、また『名誉の英霊』にされる危険性がある」、と。

さらに別のシーン、信一さんの父親は原発建設を認めてきた人で、映画の中でも必ずしも反原発という態度をとっていない。原発に批判的な風潮をさして「わけわからず騒ぐのはいちばん困る」という発言などもあり、別の上映のときには、そのシーンを指して「逆効果だ」と批判した観客もあったという。

さらにもうひとつ、田中一家の話題で、長女の信子さんは避難したばかりのさいたまアリーナで「すごくみじめで、情けない」気分でいたと話す。

ボランティアの人たちが働いてくれているのだが、ダンボールに囲まれて座り込んだ自分たちを上から見おろされて「何ともいえない屈辱」を感じたという。

堀切作品はこれらの、場合によっては誤解も受けやすいポレミックなシーンを、NHK的予定調和なしに真っ正直に、ケレン味なく表現しており、私はそこにこの映画の価値を見る。キノ・キュッへのオーナー佐々木健氏は、「あのシーンが撮れたということで、映画としての膨らみが出た」と評した。

『原発の町を追われて』より

ボランティアに関する発言にしても、美談としてパターン化するだけのマスメディアとはまったく違う事実を正直に映し出している。「避難民」と一括りにできない微妙な違いが、立体的に表現できているといっていいだろう。

この時の上映会では、以上のような内容に関して、1時間半にわたる熱い議論が続いた。それほど、『原発の町を追われて』は避難民の置かれている状況のヒダヒダを描くことで、観客をある意味挑発し、問題提起を行っているのだ。誰もがひとこと言いたくなるような問題性を、この作品は内包しているといってよい。

では『フタバから遠く離れて』ではどうなのか。

上記のような沸騰した議論は、起こらないのである。対立はないものとして扱われている。避難民は均一化された被災者で、個々の名前は印象に残らない。観客からは異論の出しようがないのである。

そうやってきれいにまとめてしまうことで、観客にとっては非常に分かりやすい作品になった。「避難民ってどういう人たち?」と聞かれたら、「これこれこういう人なんだよ」と『フタバから』を見た人なら答えられるだろう。『原発の町を』を見た人なら「一言ではちょっとねぇ‥‥」と口ごもるだろう。

私が『フタバから』に抱いた違和感、「なぜか感情移入できない」の原因を探って得た結論は、以上のようなことだった。

 《3について》
騎西高校に避難している人たちに、ようやく、わずか2時間だけであるが一時帰宅が認められる。放射能防護の重装備をして、手向けた花に手を合わせることすらも「時間がない」と焦る一連のシーンは、『フタバから』の中でもひときわリアリティを感じさせる優れた場面だ。

そして画面は、いつの間にか原発から14km離れた道路を歩く牛の姿に切り替わっている。14kmといえばすでに双葉町ではない。その牛というのは浪江町のエム牧場からさまよい出た牛だから、画面もまたすんなりと「希望の牧場」と書かれたエム牧場へと流れ、必然的に、ミイラ化した牛たちを前に牧場主の吉沢正己さんが話すシーンへとつながる。

このシーンを目にして、私は仰天した。

居眠りでもしてうっかり途中経過を見過ごしたのかと思ったほど、この突然のシーンには違和感を抱いた。

ここは浪江町である。双葉町ではない。「フタバから遠く離れて」いないのである。

なぜこんなシーンが登場したのか、これにはきっと深いわけがあるのかもしれない。であれば、おそらく監督はどこかで何らかの説明なりエクスキューズを発信しているはずだと思って、あとから本を読んだ。

著書『フタバから遠く離れて』にはこうある。

「一時帰宅で初めて警戒区域へ入ったとき、何度も動物と遭遇した。(中略)多くの家畜が畜舎に残され、餓死したという情報はいろいろな所から聞こえてきており、リサーチの過程で牧場主・吉沢正己さんに出会った」。

それだけだった。なぜ浪江町を採り上げたのかという説明はない。

変だなと思って別のページを繰る。たとえばこうある。

 「2011年5月に国が一時帰宅の許可を発表して以来、私の中で大きな悩みがあった。双葉町のみなさんもそれぞれ、短時間だが帰郷するだろう。そのとき、自分はついて行くべきだろうか?という疑問だ。福島に行かずして、定点観測により原発事故の痛みを描こうと撮影を続けてきた。それが根幹のコンセプトだった。しかしこれだけ張り付いてきた双葉の人々が、待ちに待った帰郷を果たす。こんな大事な場面を逃す手はない」。

 舩橋は定点観測をこそ「根幹のコンセプト」として、一時帰宅を撮影することさえ悩んだというのだ。まさにタイトル通り、「フタバから遠く離れて」に徹底的にこだわった姿勢だといえる。

にもかかわらず、浪江のエム牧場が一言の断りもなく挿入されている。

特に意識することなく画面を見ていれば、一時帰宅のシーンがあり、その近くには牛がさまよい歩いていて、それを追っていくと牧場にたどり着く‥‥と受け取れてしまう。

あたかも双葉町の中の出来事と錯覚させるようにして浪江町を映しだしたのはなぜなのだろうか。映画評論家の木下昌明もサンデー毎日の映画評で『フタバから』を採り上げているが、「『希望の牧場』のシーンも印象深い。ここの牧場主は、カネにならない被曝した300頭の牛の面倒をみている。彼は牛と運命を共にする覚悟を吐露する。近隣の牛舎を案内してもらうと、餓死した大量の牛がミイラ化している。その惨状に息を呑む」。と一片の疑問を呈することもなく論評している。しかもこの映画の他の優れたシーンを差し置いて、エム牧場のシーンを強調しているのだ。

正直いえば、私はこのシーンに仰天したと同時に、ほとんど即座に直感的な印象を持った。

「日和ったな」

という印象である。

定点観測という、下手をすると退屈な映像の羅列になりかねない記録映像を、何とかもう少し劇的なものとして盛り上げたいと、「絵になる」シーンを挿入する誘惑に駆られたのではないかということだ。事実は知らない。私の直感はそうだが、何か別の理由があるのかもしれない。しかし今のところ、私の「日和ったな」の印象を覆してくれる説明や証拠は見つかっていない。

そういえば、311以降の福島、あるいは原発事故に言及した映像作品には、吉沢正己さんのエム牧場が頻繁に登場する。

『バベルの塔』高垣博也、『犬と猫と人間と2 動物たちの大震災』宍戸大裕、『わすれない ふくしま』四ノ宮浩、そしてこの『フタバから遠く離れて』がいずれもそうだ。

内容にまでは立ち入らないが、中にはエム牧場を採り上げる必然性に疑問を感じるもの、扱い方自体に問題を感じざるをえない作品が見受けられる。なぜ無理をしてまでエム牧場を作品に取り込もうとするのか。言うまでもなく、エム牧場は「絵になる」からだ。

東電福島第一原発の被害の中でも、最高に衝撃的であり、象徴的であり、事故後の経緯についても吉沢正己さんという断固たる決意を持った人物の登場で、牧場を維持すること自体が国民的ドラマになってしまった。

ジャーナリスティックな嗅覚を持った人なら、誰もが扱いたいと思う、その気持は私にもわかる。しかし、自作の根本的なコンセプトを歪めてまでもドラマチックなものにすがろうとするのは、ただの依存にすぎない。

映像作家たちがエム牧場を見出したのではなく、みんなが揃ってエム牧場にもたれかかっているのだ。これは異常な「映画的惨状」である。

■映画づくりの基本コンセプト

以上、『原発の町を』と比較して私が抱いた3つの違和感を手がかりに、『フタバから』を眺めてみた。私の感覚では、という留保付きになるが、以上述べてきた2つの作品をまとめてみたい。

『原発の町を追われて~避難民・双葉町の記録』(制作:堀切さとみ)は、「私は‥‥」で始まるナレーションでもわかるように、制作者自身の個人的関心から関わりを深めていった一人称の作品である。たまたま堀切が住む地域にやってきた避難民と、個人的な対話を通して、そこから浮かび上がる様々な問題を描いている。

もちろん、前作である、上関原発建設に反対する祝島の人たちを撮った『神の舞う島』(2009)を見てもわかる通り、堀切も反原発の立場を取り、政府には批判的である。『フタバから』にあるような政治的シーンも撮りたかったとのことだが、私はむしろ、なくてよかったのではないかと思っている。あえて声高な主張をしないことによって、問題点を映像に語らせることが可能になったのではないかと思う。

一方の『フタバから遠く離れて NuclearNation』(舩橋淳監督)について、登場人物が平板に見えると私は感じたが、もちろんそれは『原発の町を』と比較しての話ではある。

対話がないわけではない。しかし、舩橋が映し出しているのは避難民といういわば「光景」であるように私には感じられる。感情移入できなかったと言ったのも理由はそこにある。つまり、客体化された三人称の表現だからなのである。

客体化し、あえて平板に作ることによって、どのような利点があるのか。政治批判的な目的意識が、この作品作りの根底にあるからではないのか、と私は推測している。

全原協(全国原子力発電所所在市町村協議会)の総会を映したシーンは、舩橋がどのようなスタンスで『フタバから』を作ったかがよく見える。

重要な会議であるはずのこの総会で、2人の大臣が次々と「公務につき途中退場」する。カメラはその姿を執拗に追う。ほとんどギャグ映画の1シーンでも見るようなしつこさで彼らが退場するまでを追いかけている。さらに自民党への請願のシーンでは、丸山和也が双葉町民に向かって「どこから来たの?」などとボケぶりを発揮しているところを捉えている。

はっきりと政治批判を意識した映像であり、これらのシーンは、他のシーンと比べて抜きん出て意図的だ。舩橋はここで、「バカヤロー」とでも叫びたかったに違いない。あるいはそのような気分をぜひとも観客に伝えたかった。そのためにトーンが他のシーンからは浮いてしまっても構わないという、非常に意図的な演出になったのだと思われる。

そういった政治批判の文脈で考えてみれば、町民内部でのいざこざは見えない方がよく、「大本は原発事故なのであって‥‥」と矛先を政治そのものへと持って行きやすいのだ。

原発事故がもたらした惨状は、国家とそれに癒着した独占企業が引き起こした大環境犯罪の結果である。それを糾弾しなければそもそも311以降のまともな決着などあり得ようはずがない。だから、政治的な文脈での徹底批判が必須であり、そのためには現実に被災者がどのような困難に直面しているのか、具体的に描き出す必要がある。

その具体例はどこにあるのか。象徴的な一つの事例が、双葉町であろう。

そうやって、震災と原発事故に対する政治的文脈の下に、避難民自身の思いを掬いとり表現にもたらそうという意思よりはむしろ、ひとつの「手段」として双葉の避難民が選び取られる‥‥。このような言い方は極端に過ぎるかもしれないが、少なくとも『原発の町を』と比較したとき見えてくる『フタバから』という作品に流れる水面下のコンセプトは、そのようなものだ。

双葉町の窮状を政府・東電にぶつけるためには、双葉町の中に分裂などがあると訴求力が弱まる。避難民の一致した意思でもって訴える必要がある。そのために、避難民は均一に描かれる。観客の誰もが、避難民に対してはほぼ同じ思い、感情を持って、つまり誰もが彼らに対して等しい距離を持って眺めることができる、そういう映像にせざるを得ないのである。

だがあえて異を唱えれば、仲間内に亀裂が走ること自体が、実は原発問題の本質ではないのか。同郷の被災者に非国民という言葉を投げつけなければならない状況の中に、原発の本質が露呈しているのではないのかと私は思う。

futaba_sub4b

『フタバから遠く離れて』より©2012 Documentary Japan, Big River Films

 ■終わりに

最後に、冒頭に述べた「現代のノアの方舟」というキャッチコピーへの違和感について再度触れておきたい。「そんなカッコイイもんかい?」と私は言った。正直に言って、このキャッチコピーには、マスメディアが陥りがちな、劇的なものに対する靡(なび)きが感じられる。

もちろん、退屈な映像より劇的なものが好まれるのは間違いない。その方が客も入るだろう。興行収入も上がるだろう。しかし作品のコンセプトに忠実であろうとするなら、抑制は必要だと思われる。

エム牧場については、諸監督が我先にと飛びつき映像化している光景を、私は皮肉を込めて「吉沢依存症候群」と名付ける。自作品への矜持はどこに置き忘れてしまったのかとさえ言いたくなる。

もちろん映画の劇場公開という金のかかる事業を考えるとき、興行成績やコストの問題を抜きにするわけにはいかない。しかし同時に、根幹のコンセプトを曲げるようなことになっては自殺行為であり、映画製作者はどこまでその矛盾に耐えバランスを失わずに目的を遂行できるか、その点が問われていると言えるだろう。

さて、ここで採り上げた2作品とも、これを書いている2013年7月の時点で、続編が制作途上にあるとの「噂」を耳にした。被災地から遠い地域の人間にとっては、原発事故もすでに風化し始めている。さらに新たな状況が映像化されたとしても、震災当時のような劇的な光景はもはやなく、その劇的な光景すら慣れ親しんだものになりつつある。そうでなければ人は平常心を保って生きては行けないからだ。

そんな中での「続編」に、これまでのようなドラマチックなシーンは望めない。人々の関心も薄れている中で、両監督はどのようなコンセプトで続編を作って行くのか。

「町民内の諍いは描かなかった」『フタバから』は、双葉町の人々が引き裂かれ悲鳴を上げているという厳然たる事実を現に目にして、その争いもまた原発問題の本質であるとの観点にたって続編で採り上げてくれるだろうか。逆に避難民に寄り添う形で取材を続けてきた『原発の町を』は、やはり寄り添う形ではあっても、問題を単に個人的悲劇に収斂させず、政治問題へとつながる展望を見せてくれるだろうか。

観客もまた懸念と期待の狭間で、それらの作品を待ち受けているのである。

『原発の町を追われて』より

『原発の町を追われて』より


【作品情報】
『フタバから遠く離れて』(2012年/日本/96分/HD/カラー)
監督:舩橋淳 プロデューサー:橋本桂子 撮影:舩橋淳、山崎裕 音楽:鈴木治行
テーマ音楽:坂本龍一「for futaba」 
出演:双葉町のみなさま、双葉郡のみなさま
製作・配給:ドキュメンタリージャパン、ビッグリバーフィルムズ
公式サイト:http://nuclearnation.jp/jp/

『原発の町を追われて — 避難民・双葉町の記録 —』(2012年/56分/日本)
監督:堀切さとみ 撮影:西中誠一郎、井口みどり、堀切さとみ
編集&ナレーション:堀切さとみ 制作協力:松原 明
音楽:自由の森学園高等学校 第24期生 筆字タイトル:渡部翠峰
公式サイト:http://genpatufutaba.com/

【上映会情報】

双葉町のドキュメンタリー二作品上映と交流トーク
【場所】つくばカピオ(つくばエクスプレスつくば駅下車徒歩5分)
【日時】2013年7月17日(水) 13:00 開場
 13:30~『フタバから遠く離れて』(船橋淳監督)
 15:20〜『原発の町を追われて』(堀切さとみ制作)
 16:30〜  交流トーク
 19:00〜『フタバから遠く離れて』(船橋淳監督)

※井戸川元双葉町町長のトークあり

【料金】
一般1000円  学生と福島からの避難者は無料
【問い合わせ】029-869-9108(事務局)090-7845-6599(長田)


【執筆者プロフィール】

正木斗周  (まさき・としゅう)
市民運動仲間のビデオ表現に感化されて、いつの間にかドキュメンタリーに関心を持つようになり、「3分ビデオ」などで遊んでいる趣味人。90年代の「民衆のメディア連絡会」から「ビデオアクト!」「レイバーネット」へと辿り、時には仕事としてビデオ編集もするようになった。本職は書籍編集、ウェブデザインなど。