【Review】『隣る人』 text 吉田孝行



ある映画を観るときの醍醐味の一つは、間違いなく「始まり」と「終わり」の二つのショットを迎えるときの緊張や驚き、感動や失望にあると思うが、その二つのショットの素晴らしさにおいて、『隣る人』と題されたこのドキュメンタリー映画は、観るものの記憶に残る作品である。万一、上映開始時刻に遅刻をして、その身震いするほど美しい朝焼けのファーストショットを見逃したとしたら、もう一度チケットを買い求め、一つのショットも見逃すまいと目を凝らし、初めから見直すことをおすすめしたい。むろん、「始まり」と「終わり」の二つのショット以上に、「触れ合い」や「きずな」といったこの作品のテーマを象徴する感動的なショットは幾つも存在する。しかし、人と人との関係性のありようを見つめようとした監督の視線とはやや異なるところで、この作品を紛れもなく映画として成立させている二つのショットに着目し、作品の細部へと観るものの視線を促したとしても、この作品に対して何ら非礼を働くことにはなるまいと確信したい。

 映画の舞台は、埼玉県加須市にある「光の子どもの家」という名称の児童養護施設。様々な理由で親と一緒に生活することができない約40人の子ども達が暮らしている。その子ども達と親代わりに愛情を注ぐ保育士の交流を中心に、施設で過ごす子ども達と職員の日常生活を8年間の歳月を費やして描いた力作である。本作が初監督作品となる刀川和也(たちかわ・かずや)は、アジアプレス・インターナショナル所属の映像ジャーナリストとして、これまでフィリピンやインドネシアなど、おもに東南アジアの児童問題を取材してきた。戦争で家族を失った子ども達、児童労働や路上生活を強いられる子ども達を取材した経験から、帰国後、その関心は「児童虐待」や「家族崩壊」といった日本の児童問題に向かったという。


 児童養護施設は、かつて「孤児院」と呼ばれ、全国に約580施設があり、約3万人の子ども達がそこで暮らしている。父母の離婚や病気、死別、虐待、遺棄など、施設で暮らす子ども達の事情は様々である。しかし、この作品は、必ずしもそのような日本の児童問題の実態を、広く一般社会に知らしめることを目的として作られているわけではない。むしろ、血縁による親子とは異なるが、そのような関係性と同等か、あるいはそれ以上に、親密で愛情に溢れる大人と子ども達との関係性のありようを見つめようとした試みである。「光の子どもの家」では、通常の児童養護施設とは異なり、職員は交代勤務ではなく、一人の保育士が数人の子ども達を担当し、寝食を共にして生活をしている。『隣る人』というタイトルは、そのような子ども達と一緒に暮らすことを実践する養育思想を表現するために創設者の菅原哲男理事長が作った造語から採られている。

 物語は、ムツミとマリナという性格が対照的な二人の小学生と彼女達を担当する保育士のマリコさんを中心に展開する。親代わりのマリコさんは姉妹のような二人と寝食を共にして生活をしている。毎朝、子ども達のために朝食を作り、学校に送り出す。帰宅後は、宿題を見て、一緒に夕食を食べ、お風呂に入り、就寝前に絵本を読み聞かせ、同じ布団で寝る。マリコさんからの愛情を奪い合うムツミとマリナは、たびたび喧嘩もする。施設での日々の営みの豊かな表情、そして血縁による親子ではない大人と子ども達との関係性がどのように醸成していくのか、その過程が丁寧に描かれている。とりわけ、子ども達を「抱きしめる」、子ども達の「手を握る」など、繰り返しスクリーンに現れる身体が触れ合う場面は、感きわまるほど感動的である。


 その親密さや温かさ、愛情に溢れる様子をダイレクトに表現するために、ナレーションやテロップによる説明、情緒を喚起するような音楽は意図的に排されているが、それは、キャメラとマイクが写し撮った光景を、理解するのではなく、感じようとすることを観るものに促すために機能しているのだ。また、子ども達の存在や葛藤を大人達は愛情に溢れる態度で受け止めるが、その関係性や感情の交流を撮影する監督自身もまた、その様子を抱擁するように受け止めており、作り手の誠実な姿勢が、何よりもこの作品を優れた作品へと昇華させている。監督自身もまた「隣る人」の一員なのである。

 児童養護施設を舞台に映画を作るという試みは、容易なことではなかったであろうと思われる。完成に至るまでに費やされた8年間という歳月は、子ども達の成長の過程や大人と子ども達との関係性の変化を見つめ続けた結果というだけではなく、監督自身の「隣る人」としての感情が満ちるまでに必要であった時間の集積でもあったと言えるであろう。そのような感情と時間の総和として、一本の力作が産み出されたことを、素直に受け止めたい。

 

 『隣る人』
監督:刀川和也 製作:アジアプレス・インターナショナル
2011年/日本/DV/カラー/85分  
ポレポレ東中野にて公開中 11:00/13:00/15:00/17:00/19:00 
他全国順次公開 公式サイト http://tonaru-hito.com/

 

【執筆者プロフィール】吉田孝行(よしだ・たかゆき)1972年北海道生まれ。一橋大学大学院修了。民間企業に勤務する傍ら、映画美学校でドキュメンタリー映画の制作を学ぶ。『まなざしの旅―土本典昭と大津幸四郎』(代島治彦監督)などの制作に携わる。2011年の山形国際ドキュメンタリー映画祭では、ヤマガタ映画批評ワークショップに参加した。