――2回目の屠畜のときだったでしょうか、牛が連れて来られるところを俯瞰気味に撮ってらっしゃる非常に素晴らしいショットがありました。あれはカメラ1台ですか。
纐纈 そうです。あれは屠場の隣りが幼稚園で、その屋根にのぼらせていただきました。隣りの窓から子どもが屠場をのぞいたりできるようになっているんですよ。面白いでしょう?それって、ある意味すごい英才教育ですよね。街のなかに屠場がずっと変わらずにあって、そのそばには住宅や地域で作った幼稚園がある。街のなかに屠場が当然のようにある、というのには、最初はびっくりしたんですけどね。屠場にいくまであんな街中を牛がポクポク歩いていく、というのが、面白いというか、びっくりですよね。
それをどう表すかを大久保さんやスタッフとも相談して、何か所かポイントを決めて、カメラ1台で撮りました。でも、生きている牛が相手なので、できるだけスムーズに撮れるように、昭さんにちょっと待っていていただいたりして、スタッフ全員で猛ダッシュ!です。
――屠畜が終わったあとですが、最後の屠畜のあとに、それまで何世代もの家族が集っていた台所や屠畜場から誰もいなくなったところを映すエンプティ・ショットがあって、それが非常に印象的でした。
纐纈 わたしは、そういう空間がとても気になるんです。撮り方で、大久保さんといつも相談して選ぶのは、三脚を立てて、できるだけその空間ごと撮るということです。そこにいる人だけではなく、その場所と人の関係性というか佇まいというもの、全体を切り取るのにこだわる部分があって、手持ちでその人だけをずっと追っかけることはほとんどしないんです。その人だけを見るよりも、その人のたたずまいとか雰囲気とか、相手がいれば相手を含めた2人の感じ――距離とか視線のもっていき方とか―—をみる方が、いろいろ感じられるし、想像できると思うんですね。
そこに人がいなくても、そこで過去にどんなことが行われてきたとか、そこで聞こえてくる音とか、気配みたいなものが感じられれば、場所だけでも撮ってほしいと、大久保さんにリクエストすることがよくあるんです。土地と人との関係性みたいなものが、わたしはすごく気になっています。
――なるほど、そういうところから静雄さんの気配が立ちあがってくるというか、そのような人が出てくるというのもうなずけます。
纐纈 映像って、視覚化されたもの――聴覚もそうですけど――から情報を受け取るのだけれども、実際には、そこに映ってないものをどう受け取ってもらえるなんだろうなと思います。それをやりたいという思いがずっとあって、大久保さんも、そのことをずっと一緒に考えてくれました。インタビューにしても、その人の姿を撮るにしても、それそのものを撮るだけではない、という意識を常に持ってたいと思っています。そうやって撮ったものを見返すと、新たな発見がわたし自身にもあるんです。
――屠畜の様子はなかなか人目に触れることがない。だからこそそれを撮る、視覚化する、というのはこの作品の一つの目的だとは思うんですが、かといって、そこにカメラを向ければなにかが達成されるわけではない、ということでしょうか。
纐纈 そうですね。だから、お肉が解体されていく作業を具体的に見てもらうことはすごく大切なことだと思う一方で、ハウツーものではなくするためには、そこに携わっている人たちがどういう存在なのか、その人たちがこの仕事をやっているんだ、というところが重要で、やはりいかにそこに登場する人物を感じていただけるかがすごく大切だと思っています。
――この作品では、屠畜だけに焦点を当てるのではなくて、その周辺の様子も捉えています。差別の問題に関しては日本全体をも視野に入れながら、現在だけでなく、過去に未来に、というかたちで、長いスパンでものごとを捉えようとなさっている印象を受けました。
纐纈 屠場の仕事が映画のなかで重要なシーンになる、というのは最初からあったんですけれども、でも屠場の映画ではなく、家族の映画にしたいというのがありました。
ひとりの人にもいろんな面、要素があってその人自身が構成されている。今回でいえば、北出さんたちにとって、屠場の仕事も、解放運動も、被差別部落に生まれたことも、肉屋であるということも、それぞれが彼らのひとつの要素であるわけだけれども、それが全てでもないわけですね。時間に関しても、現在がすべてではない、過去・現在・未来という、流れの中で捉える必要がありますよね。ひとつの要素だけでものを見ようとする時に、それがレッテルとなっていくことが多いのではないかと思います。そしてそのレッテルを外すためには、様々なつながりを見ていくことがとても大切なのではないかと思います。
皆ひとりだけで生きているということは絶対になくて、関係性によって自らの存在がある。でも、そういう関係性のなかに、差別の問題もあるわけですね。
――例えば、屠畜の結果生じた皮革をだんじりの太鼓に使っているというあたりは、ある種、宗教的に昇華されていくようにも見える。それ以前に近所の人たちも、北出精肉店のお肉を食べて生活をしている。必ずしも屠畜に関わらない部分をも含めて、北出さん一家を捉えたいということでしょうか。
纐纈 そうですね、その意味では、北出さんたちのご家族が中心なんだけれども、それ以外の人たちの存在を、映画でどう感じていただけるかということも考えていました。だんじりとか、太鼓の話とか、行商も、そういうことにつながっていくシーンかなと思います。
――最後に、プロデューサーでもある写真家の本橋成一さん、応援団長としてクレジットされている鎌田慧さんとこの映画の関係についてうかがいます。
本橋さんは過去に写真集「屠場」(平凡社、2011年)を、さらに今年の3月には、映画と同時期に北出家の様子を撮影した「うちは精肉店」(農文協)という「ドキュメンタリー写真絵本」を出されています。鎌田慧さんもかつて、屠畜業と被差別部落の歴史、そのような差別に負けない屠畜職人の誇り、といったことをテーマに『ドキュメント屠場』(岩波新書、1998年)を書かれました。お二人からは影響も受けていらっしゃるとは思いますが、お二人の視点と、この映画に違うところがあるとすれば、それはどの辺りにあるとお考えでしょうか。
纐纈 本橋さんの写真集も、鎌田さんの本も、屠場の技術、職人技というものが重要な視点としてありますよね。そういうところで職人の仕事のすごさを感じ取った読者はたくさんいたと思うんですけれど、それだけでは映画にできるイメージが湧かない、というのがわたしにはありました。
そのときに、さきほど言った、新司さんたちにとって屠畜の技術は特別なものではない、彼らの人間性を見ていくなかで屠場の仕事もある、という視点から描ければ、屠場という場所が、別世界というか、自分と遠く離れたところの話しではないんだと感じていただけるのではないか。それなら映画として成立させられるんじゃないか、と思ったんです。
――差別問題のなかで屠畜業を考えているときには見落とされがちな屠畜の技術、職人技について目を向けてみようとなったときに、それを「特殊な」技術だと強調するのではなく、「日常」のなかに落とし込みたかった、ということでしょうか。
纐纈 問題と隣り合わせにいる人たちを見ようとするとき、どうしても「問題」のフィルターをかけてしまうというか、バイアスをかけて見てしまいがちですよね。しかし日々生きるものとしての営みは、本質的に私たちは何にも変わりがない。「被差別部落」という歴史を背負わされていても、町に原発が誘致されようとも、皆家族を養うためにこつこつと仕事をしながら一生懸命、日々を生きている。
北出さんご一家を通して、まっとうな食べ物を作る生産者の姿を、日常生活のつながりのなかで見ていただきたい、というのかな。私たちが食べているお肉をつくる、というのは、自分の世界とは違うところから来ているわけではないですからね。
『ある精肉店のはなし』より
【映画情報】
『ある精肉店のはなし』
2013年/日本/カラー/デジタル/108分
監督:纐纈あや プロデューサー:本橋成一 撮影:大久保千津奈
録音:増田岳彦 編集:鵜飼邦彦
サウンドデザイン・整音:江夏正晃(marimo RECORDS)
音楽:佐久間順平
撮影助手:秋野青 製作補佐:佐久間愛生、小野麻里、前田恵
製作デスク:中植きさら 製作統括:大槻貴宏
製作:やしほ映画社、ポレポレタイムス社
上映中
東京・ポレポレ東中野 大阪・第七藝術劇場 名古屋・シネマスコーレ(12/28〜)
他、全国順次公開
公式サイト:http://www.seinikuten-eiga.com/
【聞き手プロフィール】
岡田尚文 (おかだ・なおぶみ)
1972年山形県生まれ。フランス中世史、表象文化論専攻。特に「映画と歴史」、「映画における食肉と屠畜の表象」について研究している。主要論文「「映画の怪物」が生まれる場所―ギャスパー・ノエ『カルネ』の屠畜描写をめぐって」(『映画研究』3号、2008年)、「1950年代のアメリカ中産階級にとっての食肉―スウィフト社製産業映画『カーヴィング・マジック』を読み解く」(『映画学叢書 映画のなかの社会/社会のなかの映画』加藤幹郎監修、2011年)。