【自作を語る】偶然の旅人『孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて~』を作ること text 中村真夕


「孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて」は、浜松に暮らす5人の日系ブラジル人の青年たちを追ったドキュメンタリーだ。2008年8月、私はテレビの取材で浜松を訪れた。土曜日の夜、浜松の町を歩き、たむろしているブラジル人の青年たちに声をかける。そんな活動をしている大学教授がいると聞き、私は興味をひかれて浜松を初めて訪れた。それが私と浜松学院大学の津村公博教授との出会いだった。津村教授はクラブやバーの前で仲間とつるんでいるブラジル人の青年たちに声をかけ、彼らの生活について尋ねていた。



 










 

彼らの大半は中卒で、デカセギの親たちのように工場で働いていた。一番、最初に出会った19歳の青年・エドアルドもそんな青年の一人だった。彼は幼いときにデカセギの母と来日し、日本とブラジルを行ったりきたりして育った。日本にいたため、父との死に目にも会えなかった。日本で小中学校に通って、日本語も日本人なみにできるし、頭もいい。高校に進学して大学を目指したいと思っていたが、母を助けるために中学校を中退して、工場で働き始めた。

私が最も驚いたのは、ブラジル人の子どもたちは外国籍なため、義務教育が適用されていないということだった。中学校を中退して、年齢を偽って15歳で働いている子達もたくさんいた。市の教育関係者に話しを聞くと、外国籍の子どもには義務教育を強いることができないから責任はとれないという。「16歳以下で満足な教育も受けられず働いている子どもがいること自体、子どもの人権に反しているのではないか?」ー私はそんな問いを持ちながらも、ぐっと堪えた。

それでもエドアルドはいつも笑っていた。「デカセギに来たことは後悔していない。つらいこともあったけど、それが僕らを強くしてくれた」−エドアルドはそう言って、どんな状況にあっても前向きでいて、大学進学の夢をあきらめなかった。
19歳のユリは地元でも有名な青年だった。長身で、目の下に涙の刺青をし、手の甲には「Hustler」と書かれた刺青が彫ってあった。中学で非行に走り、日本の暴走族に入り少年院にも行った。その後、ブラジル人のギャングを結成し、車上荒らしで捕まり、二度も少年院に行った。そんな凄まじい経歴のユリだったが、会って話すと、頭のいい、素直な青年だった。彼の言葉で印象的だったのは、ブラジル人のギャングを作ったのは「悪いことをするためではなく、自分の居場所が欲しかったから」という言葉だった。普通の日本の社会ではリスペクトされないが、裏の社会ではリスペクトされるからだと。外国人の労働者の家族に生まれたばかりに社会から認めてもらえない彼の悲しみが聞こえてきた。またユリは自分を見限ってブラジルに帰国した父親との和解を切実に求めていた。ワルの見た目にはそぐわない、そんなユリの少年らしい悩みと悲しみに私は心を打たれた。

15歳のパウラは日本で生まれ育ちブラジルには一度も行ったことがなかった。しかし日本での将来の展望が見えない両親が帰国すると言いはじめる。パウラも中卒で工場で働いていた。彼女は大切な友人や恋人と別れ、生まれ育った日本を離れ、見知らぬ「祖国」に帰る運命になってしまう。一人でも日本に残りたいが、15歳で4世の彼女には成すすべがない。法的に4世は3世がいなければ、日本に残れないのだ。そしてパウラは恋人のベトと、ブラジルに帰っても関係を続けることを約束して、涙ながらに帰国していった。

















2008年9月、リーマンショックが起こった。追いかけていた青年たちと、その家族全員が仕事を失い、ブラジルに帰国することを余儀なくされた。まだ撮影を始めてわずか数週間で、青年たちは蜘蛛の子を散らすように帰っていった。偶然であったが、デカセギの彼らの運命の歯車が狂っていくのを私たちは目の当たりにすることになった。
フロワーモンスターズは、デカセギの子どもたちで作ったブレイクダンスのチームだ。デカセギであるために親の転職や帰国で、チームのメンバーがいなくなったりして、いつも流動的であったが、なんとかメンバーは8年、このチームを続けてきた。しかしリーダーのコカが家族全員が派遣切りに遭い、帰国をしなくてはならなくなった。コカは涙ながらに、半年後にチームに帰ってくると約束して、残りのメンバーにチームを託してブラジルに帰っていった。そして、数ヵ月後、初代リーダーのオタビオが解散寸前のチームを続けさせるために戻ってきた・・・。一年後、私たちは青年たちのその後を追って、ブラジルまで取材に行った。ブラジルで新しい人生を見つけた子、日本に帰りたい子、みんなそれぞれの人生の局面を迎えていた。

青年たちの一人はこう言っていた「デカセギは僕らの運命、どんな親しい友人も、愛する家族も、恋人ともいつか別れがくることを覚悟している」と。家族や友人との絆が日本人よりずっと強い彼らの中には、いつもこの覚悟があった。いつか別れがくるからこそ、今を精一杯、楽しみ生き、愛する。そんな覚悟を彼らは幼いときから持って生きている。そんな彼らの渡り鳥のような自由でありながら、悲しい生き方に惹かれ、私と津村教授はこのドキュメンタリーを「孤独なツバメたち」と名づけた。
出会った青年たちは皆、同じように「デカセギに来たことで、日本のことも学べたし、いいことだった」と口をそろえて言う。どんな過酷な状況に置かれても、前向きで生き続ける彼らの強さは、どこから来るのかと私たちはよく思った。それがラテン気質なのか、それとも移民で外国で苦労をしながら生きてきた祖先の遺伝子なのか。私は、日本人が彼らから学べることは沢山あると強く思った、そしてこのドキュメンタリーを見て、そのことを多くの人たちに知ってほしいと思っている。

 

 

『孤独なツバメたち ~デカセギの子どもに生まれて~』
2012年/日本・ブラジル/88分/カラー   オフィシャルサイト
5月26日より新宿K’s Cinema、6月30日より浜松シネマイーラで公開ほか、全国順次公開 


【執筆者プロフィール】 中村真夕(なかむら まゆ)  映画監督。16歳の時に単身で留学し、高校、大学をロンドンで過ごす。1996年に渡米し、コロンビア大学大学院を卒業。その後、ニューヨーク大学大学院で映画を学び、2006年に劇映画『ハリヨの夏』で監督デビュー、釜山国際映画祭コンペティション部門に招待される。新作『孤独なツバメたち~デカセギの子どもに生まれて』は順次全国公開予定。