【Review】経済から遠く離れて 濱口竜介『親密さ』text 鈴木並木

みんなやっきになって、『親密さ』を推薦するためのこれぞという言葉を探してる。演劇にも強い映画ファンの某さんに言わせれば、「ここが現代演劇と映画の衝突点」なのだそうだ。とあるシネフィル氏は、アメリカやフランスの映画監督を次々に引き合いに出してみせてくれた。そしてほかならぬ本稿の依頼には、当然のように「ドキュメンタリー要素を含んだこの作品について云々」との一文があった。かくいうわたしも、巨匠と呼ばれる日本の(もう生きてはいない)何人かの映画監督たちの作品と本作とを比較してみたことがある。

たしかに、この映画の前半では演劇公演を準備する若者たちの様子が描かれ、後半はその公演を映画として再構成したものになってはいる。そして、人間関係をぐわっとわしづかみにする大胆な手つきや、ここで聞ける会話の響きそのものの快感は、なるほどいくつかの名前を連想させるだろう。劇映画によく見られる経済性からへだたった語り口を「ドキュメンタリー的」と呼び習わす行為は、言葉の経済として至るところでおこなわれているし、わたし自身、その経済の原理にしたがって手っ取り早くことを済ますため、誰かの名前と比べてみたのだった。

そうしたやり方を論破してやれとか、否定しようなんて気持ちは、あんまりないのだけど、それでは、人間があくせく動いて、尋常じゃない量の言葉が書かれたり読まれたり吐き出されたり呑み込まれたりして、必然的に電車が走って、否応なしに時間は流れて、寄り添うようにカメラが回って、そして結果として、すべてのあれこれにほだされてしまう『親密さ』という体験を、どうやったらまるごと全部あなたに伝えられるだろう。軽く途方に暮れてしまう。いいものをいいと言う方法なんてひとつしかないはずなのに、と青くさい気持ちにもなる。

いわゆるインディーズの現代日本映画が持ちがちな弱点を、『親密さ』もまた、もれなく備えている。若い男女たちだけによってつくられた、ちまちました人間関係。外部との細くてもろい回路として導入される戦争。それを伝えるのは、YouTube風の動画と、うさんくさく画面に表示されてはすぐ消えるチェーン・メールの文字だ。豪華なセットなど組める予算があるはずもないし、顔なじみの役者も出てこない。カメラは、ほぼわたしたちが歩いて到達できる範囲内だけを行き来している。第二部で演じられる舞台劇は、話を取り出してみれば生き別れになった兄と妹の再会の物語であり、古式ゆかしく便箋に手紙が書かれ、さらにはそれが朗読される。およそここが21世紀とは思えない。

しかし、そうした弱点のすべては、魔法をかけられたようにくりっと音を立てて、いつのまにか魅力へと転じる。電車の窓から誰かに手を振る、えんえんと夜明けを歩きながら言葉を交わす、といったありふれたアクションにとことん付き合うことによって。古色蒼然たる物語は、膨大な量の言葉の奔流で洗われ、大胆に刷新される。床に貼られたビニール・テープの格子模様といくつかの木箱の並びだけで、劇場の舞台は無限の広がりを獲得する。カメラと人間との考え抜かれた位置関係が、伸縮自在の空間を生み出す。なんのことはない、いままでさんざん映画がやってきたこと、やろうとしたこと、やろうとしてできなかったこと、やれるだろうかと躊躇して試みなかったこと、そんなもろもろの集積なのだ。

劇中、佐藤亮演じる脚本家が、お前たちの弱点こそが武器なんだから、声の小ささ、弱さこそを生かせ、と俳優たちを鼓舞する。平野鈴扮する演出家は、ある部族のもっとも臆病な若者が、その臆病さによって長に選ばれる逆説的な寓話を語る。佐藤の弁舌も滑舌も、決してさわやかでもなめらかでもなく、耳をそばだてているわたしたちにすら声が届かない瞬間がある。平野は、迫る開幕から目をそむけるように、演出の仕事を放り出して逡巡する。ふたりが鼓舞したり言い訳をしてみせたりするのは、すべて彼ら自身に対してだし、さらに言えば『親密さ』という作品に対してだ。

演劇を準備して公演する若者たちの物語である映画『親密さ』は、角度を変えて見れば、すべての低予算映画作家たちにこのうえない勇気をもたらす、挑発的なエールになる。さらにおしひろげて言うならば、いつもなにがしかの制約のなかでよりよいものを実現しようと汗と涙を流して悪戦苦闘し、すぐそばの誰かや遠くの友人に向けて言葉を尽くす、わたしたちの日々のもどかしさの記録でもある。わたしはこの映画のスタイルをことさらにドキュメンタリー的と呼ぶ必要は感じていないのだけど、そのかわり、古今東西のあらゆる優れた映画がそうだったように、あるときたしかにある場所にいた人間たちの体温とにおいと愛の痕跡である、と言おう。

気軽に勧めることをためらわせる255分という長さも、『親密さ』の弱点。でも、それさえも「武器になる」。不経済なこの長さによって、街は確実に変貌し、来たときと帰りとでは、同じ景色がまったく別の顔を見せるはずだから。昼の回であれば、ここちよい夕方に。夜早くの回であれば、ひそやかな深夜に。そしてオールナイト明け、青白い朝の空気を吸いながら、電車に乗って家に帰る行為がこんなにもいとおしく感じられる映画は、ほかには決してない。

上映中のスクリーンの背後か、休憩時間の客席の片隅か、あるいは帰り道の街角か、いつどこででも、あなたがこの映画に思いをめぐらせたとき、へへっと舌を出している気のよさそうな(でもどこかちょっぴり醒めてる)男の影が見えたなら、彼の名前は、濱口竜介という。そう遠くないうちに、あなたはまたきっとこの男の名前を耳にするはずだから、忘れないでおくとよい。

【作品情報】

『親密さ』
(2012年/日本/255分)

監督・脚本:濱口竜介/舞台演出:平野鈴/撮影:北川喜雄/編集:鈴木宏/整音:黄永昌/助監督:佐々木亮介/制作:工藤渉/音楽:岡本英之/製作:ENBUゼミナール

出演:平野鈴、佐藤亮、田山幹雄、伊藤綾子、手塚加奈子、新井徹、菅井義久、香取あき、土谷林福、渡辺拓真、永井孝憲、藤村早苗、今川健吾

 【上映情報】

上映中(〜6/7)ポレポレ東中野  TEL 03-3371-0088

連日13:00~  料金:2000円

※6/1 24:00〜オールナイト

【執筆者プロフィール】

鈴木並木 すずき・なみき 
1973年、栃木県生まれ。派遣社員。観客の立場から映画についてあれこれ考えるトーク・イヴェント「映画のポケット」をほぼ隔月で開催中。最近見た『オース!バタヤン』(田村孟太雲監督)での、浜村淳のメロウ・グルーヴな司会術、舞台進行は最高でした。なんとかあれを盗めないものかとぼんやり考えてます。