【Review】『黒澤明の十字架』指田文夫著 text 越後谷研

黒澤明はなぜ、戦争に行かなかったのか? 著者はあるとき、ウジウジ悩んでばかりいる三船敏郎を主人公とした『静かなる決闘』 (1949)を見て、そのような疑問を抱く。これが出発点となり、戦争を体験しなかった黒澤が、その思いを戦後の作品にどのように表象していったかを描き出すのが、本書の眼目である。
 
黒澤が兵役につかなかった理由については、よく知られたことだ。昭和5年、20歳になった黒澤は徴兵検査を受けるが、徴兵司令官が陸軍の教官だった父の教え子だったため「国に奉公する事は、軍人でなくとも出来る」と兵役を免除されたのだという。これは、黒澤自身が自伝やインタビューで繰り返し証言している。

しかし、「日本の徴兵制とは、そんなにも甘いものだったのだろうか」と疑問を投げかける著者は、当時の徴兵制度を再確認し、黒澤が入社したPCL=東宝という会社の状況を、経理関係の資料などに当たりながらつぶさに検証していく。そして、特撮技術の基礎を作り、太平洋戦争開戦以前から軍部の教材映画を作っていたスタジオ「航空教育資料製作所」の実態に踏み込み、積極的に国策映画を制作した東宝は軍需企業だったと結論する。さらに、そのような企業体質が遠因となって、戦後最大の労働争議といわれた東宝争議 へと至る過程が、丁寧にわかりやすくまとめられていて、読み応えがある。

だが、それと黒澤の関係を描く中盤以降の記述は、勇み足の感を免れない。東宝が、黒澤の徴兵免除と引き換えに国策映画である『一番美しく』(1944)を作らせたこと、自らの意に反して従軍できなかった黒澤はその贖罪意識を、主に『七人の侍』 (1954)まで繰り返し作品に反映させたこと。それらは、仮定と憶測があたかも事実のように展開され、読む者を困惑させる。

著者も繰り返し述べるように、黒澤には確固とした哲学や思想はなかったと思われる。それは三島由紀夫の「思想は中学生」という評そのものだ。そのような人間が自身の兵役免除に、しかも自分の手の及ばぬところで行われたそれに、そこまでこだわるだろうか(そのようなこだわりは、思想と呼んでいいのではないか)。そもそも「一番美しく」を作ってしまったことに罪の意識を感じているならば、いくら製作環境に深い思い入れがあろうとも、屈託なく「一番可愛いい作品」などと回想できるだろうか。徴兵検査のエピソードを、笑いながら話せるだろうか。

著者は「彼の映画の軌跡が、戦中、戦後の日本の歩みそのものだったから」優れた作品を残し、世界的な評価も得られたのだ、と結論付ける。これに異論はない。戦争一色の時代には戦意昂揚映画を作り、民主主義の時代にはその啓蒙映画を作る。であれば、増村保造の「大衆小説的、通俗的な豪傑譚」という評価と、木下昌明の「時代の要請に応じたものをつくってきた」という評価は矛盾しないだろう。確かに木下の論は、時代の動きに合わせて「発想の転換をはかる」という批判的なものだが、それはいわば無思想だからこそ、当然のごとく素直に時代を反映しただけなのではないか。

しかし、本書の問題提起は実に魅力的だ。戦後すぐの時期から絶えず問題となってきたテーマに、「文学者の戦争責任」というものがある。「戦後責任」を経て「原発責任」という問題も浮上している現状を鑑みれば、このような問いを発することは常にアクチュアルであり、意義のあることだ(ここでの文学者とは表現者一般のこと)。だから、たとえそれが誤読であっても(評者はあえて誤読と言ってしまうが)、著者のチャレンジは大いに評価したい。巨人・ 黒澤明に限らず、このような視点による新たな読みは、もっとなされてよい。

【書誌情報】

『黒澤明の十字架 戦争と円谷特撮と徴兵忌避』
指田文夫 著 現代企画室 刊 

2013年3月刊行
定価1900円+税
4-6並製・216頁
ISBN978-4-7738-1304-3 C0074

【イベント情報】

『黒澤明の十字架―戦争と円谷特撮と徴兵忌避』出版記念トークイベント

黒澤明(1910-1998年)の監督デビュー(『姿三四郎』東宝、1943年3月)から70周年にあたる今年、問題作『静かなる決闘』(大映、1949年)に黒澤明の「贖罪意識」を読みとり、丹念な調査で黒澤映画と日本戦後映画史への新たな視点を提示した快作『黒澤明の十字架』(指田文夫著、現代企画室)が刊行されました。戦中、戦後の日本社会の歩みと軌を一にすることで「国民的作家」となった黒澤明。ある時期より社会問題への直接の言及は少なくなったものの、戦争で負った心の傷は、ずっと黒澤の心に重くのしかかっていました。黒澤は「戦後」をいかに生きたのか。日本社会はいつ「戦後」を脱したのか。黒澤映画についての日本で最初の評論集『黒沢明の世界』(三一書房、1969年)を著した映画評論家・佐藤忠男さんをゲストに迎えて、『静かなる決闘』、『夢』(黒澤プロ、1990年)の一部を鑑賞しつつ語りあい、黒澤映画の核心に迫ります。

出演:佐藤忠男、指田文夫、司会:金子遊
日時:2013年6月6日(木) 19:00~
会場:クラブヒルサイドサロン
(150-0033 東京都渋谷区猿楽町30-2 ヒルサイドテラスアネックスB棟2階)
参加費:1000円
予約:現代企画室
電話:03-3461-5082 FAX:03-3461-5083 mail:gendai@jca.apc.org

http://www.jca.apc.org/gendai/html_mail/oshirase53.html

【執筆者プロフィール】

越後谷研 えちごや・けん
1965年生まれ。元雑誌編集者、ライター、DTPオペレーター。 十数年のブランクを経て、少しずつ文章を書き始めている。最愛の映画作家は渋谷実。