残された家族は――四ノ宮浩監督『わすれない ふくしま』
四ノ宮監督は、飯舘村岩部部落に住む高橋正夫さん一家と出会う。高橋正夫さんは建設作業員で、型枠の解体工をしている。彼の奥さんであるヴィセンタさんはフィリピン人で、製作所に勤務している。14年前にフィリピンで見合い結婚後、彼らは共働きで三人の子らを養っている。
一家の子らは避難先である川俣町の学校へ通っている。カメラは、故郷を離れなければならない村の子らを映しだす。彼らはなぜ事故が起きたのか、理由を大人たちから説明されていない。監督が問いかける「誰が悪いの?」の説明もないまま、故郷を離れなければならないのは不憫である。
日本では、地震・津波に対する防災教育は受けている。だが、原発事故が起きた場合にどうするかの教育は受けることは稀である。原子力発電所へ見学に行く学習要項はある。だが、そこでは原発の安全性を教えられるだけなのだ。事故後、避難後の学校では汚染の教育はされているというが、原発事故の防災教育をしなければ、ほんとうの教訓になったとは言い難いのではないか。その意味で、日本は未だに原発の「安全神話」が横たわっているのだ。カメラは、さりげないながら日本の教育の欠陥を指摘している。
たとえば、高橋正夫さんは、建築中の病院で木枠を解体する作業中、原子力発電所で仕事をしていたことを告白する。村ではめずらしくないのだろうが、彼はあっけらかんと、まるで当たり前のことのように言うのだ。
原子力発電所で働くことを、善悪で推し量ることは出来ない。たしかに核廃棄物の処理や、低線量被ばくの問題などふくめ、原発は矛盾をはらんだシステムだ。事故のリスクを考えるならコストも安くない。だが、一度経済活動に組みこまれてしまえば、そこで働かなければならない者が出てくるのは自明である。私たちは、原子力発電所にかかわる労働が、経済活動に組みこまれてしまうことを問題視するべきであって、そこで働く人間を異端視するべきではない。日本はいまも海外へ原発を輸出しているし、また、喜んで購入する国がある。原発は、経済活動のなかで、なかば構造化されている労働問題でもあるのだ。
四ノ宮監督のカメラがつぎに追うのは、相馬市の酪農家の自殺だ。奥さんのヴァネッサさんはフィリピン人である。ヴィセンタさんが週刊誌で自殺の記事を発見し、カメラはそのまま相馬市の菅野さん宅へ向かうのだ。一度取材拒否されるものの、四ノ宮監督はヴィセンタさんの友人のつてで、なんとかヴァネッサさんへのインタビューの了承を得る。カメラは牛舎で首を吊った自殺の現場を映す。白いチョークで殴り書きされた「原発さえなければ」という遺書が牛舎に残っている。酪農がもはや出来なくなることで、自らを葬る者もいるのだ。
少し話が飛ぶが、高橋正夫さんは本作の後半、高所作業中の事故によって半身不随となる。病院で首から下を動かせない寝たきりとなって登場する。だが仮に、彼が被ばくによる病気となれば「フクシマ50」のように賞賛されていただろうか。相馬市の酪農家である菅野さんの自殺のように、悲劇の人としてマスコミに登場しただろうか。私たちは、想像をしてみる必要がある。
いずれにしても、彼らは原発問題のなかで周縁化されてしまう存在なのだ。異国の地で残された家族を養っていかなければならないヴィセンタさんや、ヴァネッサさんも同様である。土井監督、四ノ宮監督はともに、周縁化された村や相馬市で、彼らの生活がいかに破壊されてしまったのかを追っているのだ。
では、残された家族は、どのように生きていくのかである。働き手を失った家族や子どもたちは、これからどう生きていくのか。いらぬ心配かもしれないが、気になるので少し触れたい。
映画の終盤に、吉沢さんのエム牧場で牛の死骸がカメラに映される。牛たちは汚染によって衰弱し、やがて生きる気力を失い死ぬ。カメラに映された牛の死骸は、菅野さんや、村の子どもたちとイメージが重なる。つまり、汚染は大小にかかわらず、人間の生きていく気力を奪っているのだ。放射性物質は「クヨクヨしているところに来る」(福島県の放射線健康リスク管理アドバイザー)と言ってしまえばそれまでなのだが、自殺者を生んでいる現状で、冗談では済まされない。
私たちは、村を見捨ててはならないはずである。村を今後も見まもり続けていかなければならないのは、実は村の者だけではなく、原発を生んでしまった大人たちの共通の課題ではなかろうか。
もっと言うのなら、たとえ国、政府、県が、「帰村」や「賠償」を視野にいれても、彼らは、個人の幸福や、未来までを約束することはないのだ。彼らが何と言おうと、村民たちは、これからも変化していくであろう自身の生活の領域を、自身で守らなければならないのだろう。
土井監督の『飯舘村 放射能と帰村』は静かに積もる雪のような迫力に満ちていた。だが、四ノ宮監督の『わすれない ふくしま』は、酪農家の自殺や、高橋さんの高所作業の事故をあつかい、一家の崩壊の重みを、重みのまま飲みこんでいくドキュメンタリー映画だ。一筋縄ではいかない問題に二人のドキュメンタリストは果敢に取り組んだ。両者は村の問題を見事に映しだしている。
【作品情報】
『飯舘村 ―放射能と帰村―』
日本/2013年/日本語/HD/119分
監督・撮影・編集・製作:土井敏邦 整音:藤口諒太 題字:菅原文太 写真撮影:森住卓 デザイン:野田雅也 配給:浦安ドキュメンタリーオフィス
公式サイト:http://doi-toshikuni.net/j/iitate2/
監督の言葉:http://webneo.org/archives/8669
※上映中
【大阪】2013年6月15日(土)~28日(金) 第七藝術劇場
【宮城】2013年6月22日(土)~28日(金) 仙台・桜井薬局セントラルホール
【兵庫】2013年7月6日(土)~12日(金) 神戸アートビレッジセンター
【愛知】2013年8月 名古屋シネマテーク
『わすれない ふくしま』
日本/2013年/98分/HDV/
監督・編集:四ノ宮浩 製作プロデューサー:佐久間肇、遠藤久夫 撮影:柿木喜久男/整音:滝澤修/助監督:進士靖悦/配給プロデューサー:金子学 エンディングテーマ曲:こいずみゆり「虹」 音楽協力:鈴木雅明(バッハ・コレギウム・ジャパン) 製作:オフィスフォー、映画「わすれない ふくしま」製作委員会 配給:オフィスフォー、トラヴィス
※上映中(他に全国で自主上映会あり)
【大阪】 2013年6月8日(土)~15日(金) 第七藝術劇場
【広島】 2013年6月8日(土)~21日(金) 横川シネマ
公式サイト:http://wasurenai-fukushima.com/
予告編など: http://webneo.org/archives/8494