森達也ほか四人の共同監督による『311』は、東日本大震災後、拙速で福島原発事故の立ち入り禁止区域から津波被災区域までを縦断した。準備不全、わが子が行方不明になった母親たちへの「不恰好」なインタビューなどによって、「公益性」のある記者クラブに属していない(それは物量性・機動性・文脈形成性をもたないということでもある)単独撮影者たちが陥る閉塞を、被災地の生々しい映像とともに観客に押し出した。それはそれで意義があった。
かつて大島渚は「来なかったのは軍艦だけ」といわれた東宝争議で、撮影所に立てこもった映画人たちが自分たちを圧殺しようとする権力をなぜ正視して撮らなかったと難詰したが、そこからたぶん歴史的に「何よりもまず撮る」営為の重要性が立ちあがっている。ただし『311』では、被災地の現実転写「とともに」、撮影に赴く自分たちの無力の定着が主眼となっている。つまりそれはセルフドキュメンタリーでもあった。被災地の現実を透明・多元的に撮る伝達性が第一義だというのが撮影「倫理」だとすれば、それを「自分たちの」セルフドキュメンタリーの問題に反転・矮小化してしまった同作は、撮ることの権力性に無自覚な傲慢が裏打ちされていたという意見も出る。結果、多くの非難をあつめることになった。この意見もまた至当だろう。
(C)綿井健陽
その『311』の共同監督のメンバーに松林要樹(監督作にドキュメンタリー『花と兵隊』があるが未見)がいた。彼はじつは『311』への参加以外に、ずっと原発事故被災地に拘泥してドキュメンタリーを撮り続けていた。拠点は、福島第一原発から20キロ圏内にある南相馬市原町区江井〔えねい〕地区。たとえば彼は線量計の警報音によって「当地」にわるい選別が起きるような仔細を一切映像にしない(『311』にはそれが横溢していた)。ただ「ふつうの」人を撮り、そこにある人的紐帯と土地に収蔵されている歴史を撮り、そのなかから人びとの身体的違和、郷愁、死んだ者に向けられた哀悼など、サウダージとも共通する複雑な感慨を捉え、「禁区」とは何かの考察へと「間接的に」迫るだけだ。
「私」の捨象。結果、映像はいったん透明化を実現し、しかもその透明性が多元化することで人間的な感興も湧きかえる。「聡明性」の欠如を「演じてみせた(?)」『311』の監督たちのひとりでもあった彼は、一方で「私」の捨象によって透明性が簡単に実現できることを、こつこつと撮りためた映像で実証した聡明な撮影者だった。
松林にあるのは、『311』の監督たちに伏在していた(不全な)主体性(彼らのからだは重たかった)ではなく、主体性放棄のあとに生じた移動の自由だろう。松林の運動神経のよさは、東京の三畳アパートの居室で、3月11日午後2時46分の地震の瞬間をすでに咄嗟に手持ちのビデオカメラで撮っていたことからも窺える(とうぜんそれでこの映画『相馬看花-第一部 奪われた土地の記憶-』の開巻が決定された)。外界刺激にかぎりなくひらかれている、繊細な受動性にみちた躯。それは彼のカメラが南相馬に赴いたとき地元の人びとの方言の横行をもゆるした。松林は、可聴性が低くなっても発語の真実を捉えようとしたのだろうが、一面では撮影主体である彼が透明性・親和性を地元の人たちにたもっていたからそれが実現されているとも判断されてくる(小川プロの作品をおもいだした)。そういえば『311』での、わが子が行方不明になった母親たちは、標準語でインタビューされたがゆえに、すべて標準語で答えていたのだった。
図式としてはこうなる――遊撃性の獲得は『311』のような直行通過形式では実現されない(いわば『311』は線量計の警戒音と瓦礫の物質性が織りあわされ不調なドリルのように穿孔する。この機械状と相似なのはミイラと幽霊が織りあわされて死の決定不能性に突き進む黒沢清の『LOFT』だろう)。一拠点にとどまって放射状的・波状的な行程をくりかえすことで「模様」としてしか、遊撃性はうきあがってこないのだ。なぜなら「土地」は線的ではなく面的な拡がりであって、この拡がりなしには土地がふくみもつ過去への遡行も疎外の定着もままならないからだ(これを劇映画で実現したのが『サウダーヂ』ということになる)。
(C)松林要樹
中間項に松江哲明を置いてみよう。松江の諸作は震災定着にはかかわらないが、「無様」を前面化した『311』よりもずっと遊撃的だ。セルフドキュメンタリーの代名詞的存在だが、彼の「自己=セルフ」はいつも定着性と非定着性、その背反の「あいだを縫う」。それが遊撃性の別名ともいえる。松江はそうして直線ではなく、折れ線に富んだ関係的な「線」を作品に時空化してゆく(こうして松江作品の最大の形成要素が「編集」となる)。この流儀は『相馬看花』の松林ももつが(禁区に入れない松林が、作中の一時帰宅をゆるされた田中久治さんに動画撮影を託す場面があって、それは松江に特徴的な技法、隠し撮りならぬ「託し撮り」のあきらかな継承だろう)、松江がけっきょく折れ線の流れを高度に音楽化するのにたいして、松林は「面の拡がり」という、撮影にとってはほぼ不可能なものに肉薄してゆく。こうした不可能性にたいする対峙という点で松林は崇高なのだが、それでも松江同様の、あるいは一部の作品における佐藤真や小川紳介や土本典昭同様の、ユーモアをも出来させてしまうとき、松林の「聡明」はもう明らかだろう。
松林が作品の当初、警戒区域の撮影を難なく実現できたのは、田中京子さんという南相馬市の市会議員と知遇を得る僥倖があったためだ。彼女の「同行者」として松林は自由にクルマで移動してカメラを回すことができたが、たえず田中さんの行動に「沿って」、記者クラブに属していない個人撮影者が「すべてを撮る」、その全能性に淫することはまったくない。むしろ彼は部外者たる「自分=セルフ」には撮れないものがあるという精神の謙譲をたもっている。
この証拠ともいえる一節がある。田中さんやその幼馴染たちが地元で経営した直売所「いととんぼ」の津波被害確認に松林が同行するシーンがまずあるのだが、そこで何度も話題になるのが共同経営者のうち唯一津波で亡くなった「えいこちゃん」だった。「いととんぼ」にはまだ販売されていた生花がつややかにのこっていて、仲間たちはそれを「えいこちゃん」の死亡地あたりに献花する。それはそれで哀しい経緯なのだが、最も悲劇的なのは、「えいこちゃん」がその夫とともになぜ死んだかという、のちの事実の判明だった。彼女は地震直後、母親からの電話で、振動で家のなかが目茶目茶になったと連絡を受け、その整理のために家にもどって津波に巻き込まれたというのだ(母親は迫りくる津波から無事避難した)。その電話をかけなければ逆縁が生まれなかったという母親の慙愧は、作中では伝聞として語られるのみだ。つまり松林は「えいこちゃん」の母親をつかった「可視化」など眼中にない。かわりに、さらにのちのシーンで「いととんぼ」の掃除にきた女性たちのようすを捉え、そこから発見された「えいこちゃん」の泥まみれの預金通帳を大写しにする。「えいこちゃん」はそうして換喩的な「面」へと還元(もしくは昇華)された。悲劇的物語の明示ではなく、端的な「面」の提示のみをおこなうこうした選択こそが、松林の撮影行為の謙譲性だといえる。だからそれは「母親の慙愧」を奥行に想像させるとともに、松林の全能性停止をも照らしだして、「二重に」観客へ情動をもたらすのだった。
むろん「面」は人間の生活のなかでは立体化される。この立体化の展覧を、被災者たちの身体性へ有機的に連絡させたから、『相馬看花-第一部 奪われた土地の記憶-』は多元的な透明性にいたったのだった。じつは作品が中心化するのは田中京子さん・久治さんの夫婦、彼らの隣人で仲人をもつとめた末永さん夫婦、避難所生活を拒絶し、当初、警戒区域内にいつづけた粂さん夫婦など「市井の人びと」だった(TV報道で著名になった南相馬市長は一瞬、画面に映るだけだ)。とうぜん彼らの時期ごとに変化する居住地が画面に続々と舞い込んでくる。いろいろなことがわかる。田中夫婦・末永夫婦の当初いた、女子高に設けられた避難所の、地縁者同士であることが実現させた、実際の空間的親和性。やがて避難所からの退避命令が出て、末永さんが移った温泉旅館では、清潔すぎる違和感が表明される。さらに彼らが移った仮設住宅はそこに旧知の人びとが招かれるとはいえ手狭で逼塞している(このような漂泊を誰もがしいられた点に慄然とする)。
とりわけ息を飲んだのは、酒好きの粂さんとその足の不自由な妻が、退避を拒否して当初いつづけた家屋の光景だった。彼らはライフラインが途絶した状態のまま、ペットボトルの水、ガスのかわりの炭の使用、電気なしのための昼間生活で、日々をしのいでいる。揺れによる狼藉、あるいは倒壊のかわりに、そこには生活特有の「雑然」が維持されていて、彼らの居住空間はじつは「不自由と親和」の混淆と映る(これがじつは警戒区域そのもののもつ、最初の空間的特徴だったのではないか)。やがて粂さんの福島第一原発での勤務実績が明らかになって、当初、謙譲をあらわしていたカメラが、彼らの生活空間の奥に入ると、粂さんの勤務の節々を讃える公共機関からの表彰状で壁の一面が埋め尽くされている部屋があるとわかる。「面」の重畳。ところがそれはいまでは栄誉ではなく亡霊性の指標にしかすぎない。当初あった「不自由と親和」はそこで残酷にも「嘘寒さ」へと反転してゆく。肝腎なのは、このことが二度目の撮影で判明する、謙譲の過程もここで浮上しているという点ではないか。
(C)松林要樹
松林は「面(それを契機にした立体)」を作品の時空に重畳させてゆくが、それらが関係性獲得ののちの、あるいは住民が変化をしいられたのちの「遅れ」として現れる点こそに、時空顕現の本質にかかわる美点がある(拙速性の拒否)。しかもそれは「えいこちゃん」の母親の像の欠落、「えいこちゃん」の預金通帳の代位といった欠落をもかたどった、終始有機的な(つまり「生きもの」のような)立体展覧なのだった。『311』の「直線的な」時空的怪物性はすべて回避されている。それでも製塩とタバコ栽培と半農半漁で生活を立てていた南相馬地区が近隣の福島第一原発設立で変貌を被った経緯に、しずかな告発を差し挟んでいる。福島第一原発の立地は戦時中の小規模な軍事空港だった。それが猪瀬直樹『ミカドの肖像』に書かれたのと同様の手順で堤康次郎の西武資本に払い下げになったのち、東京電力へと転売されたのだった。高度成長に相即する「ひずみ」を一身に受けた地元。「相馬野馬追」に代表される土地の豊かな記憶(これも作品終幕で「慎ましく」映像化される)ののち、土地に出来したのはこのように殺伐とした記憶だけだった。これにあらがうようにたとえば女たちによって直売所「いととんぼ」が設営されたのだとすれば、それすらも壊滅に追いやったのが今度の震災だといえる。ところが作品はそういう判断を間接的にもたらすものの、ひとの顔の面、ひとの住居の面をひとまず前面化して、観客を人間的至福につながる注視と聴取にこそ導いたのだった。
最後に、警戒区域という「禁域」は何かという形而上学がのこる。通常、「禁域」は権力がつくりあげる結界だ。この新しい禁域にあるのは放射能なのだが(それが禁域特有の「象徴」ともなる)、同時にそれはこれまでの禁域になかったものも包含させる新しさをももっている。それまでなかった何が包含されているのかといえば以下だろう。人の不在(それでもそれは当初の粂さん夫婦にみられたように完全な不在ではなかった)、不自由(それでもそれは親密さをももつ)、廃墟性(それでもそこで生活は営まれた)、行政指導性(それでもそこでは指導に違反して居住する者がいた)、記憶の崩壊(それでもそこには泥まみれの預金通帳など記憶要素が数々残存している)――。禁域とは絶対性の発露する場であるはずなのに、この新しい禁域は、いま括弧でしめしたような留保性を温存する、人間性と中間性の脈動する場でもあった。
松林要樹『相馬看花-第一部 奪われた土地の記憶-』はまずはそれを「面」の連接として撮った(この文脈でとうぜん写真のいくつかの印象的な使用や、小高神社の鳥居の石板、田中家の仏壇をひらいた奥面の顕現などもある)。これが今後、政治判断で完全に禁域化されるのかどうか。とりあえず松林が定着した南相馬の禁域の無人場面では、そこが圧倒的な中間性にすぎないというように、主人から見捨てられた飼い犬が徘徊し、桜が満開だった。
【執筆者プロフィール】 阿部嘉昭 評論家・詩作者。この春から北海道大学大学院准教授に赴任しました。専門は映像・表現文化論。現在、詩集二冊と映画評論集一冊が刊行待機中