【Review】 『うたう天皇』中西進著 text 樋口明


本書は、戦後を代表する万葉学者の中西進が、戦後の視点から新たに万葉集の精神について語ったものである。

万葉集の精神については、戦前、日本浪漫派の保田與重郎が当時の「近代の超克」的な観点から読み解き、人々に大きな影響を与えた。保田は、彼の著書『万葉集の精神―その成立と大伴家持』で、万葉集成立の背景には、藤原vs大伴、漢風vs国風、官僚政治vs皇親政治、漢詩vs和歌といった抗争の構図があったとする。そして、これらの抗争で、律令制や漢詩等の渡来文明を巧みに取り入れる新興氏族・藤原氏に敗北した大伴家持は、武力ではなく文で対抗しようとしたのが万葉集であったと述べる。

保田の『万葉集の精神』は、1940年に正倉院御物を見て着想を得、真珠湾攻撃の翌年の1942年に上梓された。それは、アメリカ=藤原氏との絶望的な戦争に臨む学生らに対して、現実での戦いに負けても「慟哭」が「悲歌」として残れば正倉院御物のようにいつか発見されるだろうと慰め、学生らを動員する効果をもたらした。

それに対して、戦争中に思春期を送り、戦後、研究者となった中西進は、万葉集を世界文学のなかの1テキストとして分析・比較することで、万葉集を国民文学の枠から解き放ち、保田に代表される「万葉集の精神」を解体した。その結果、万葉集は、中国や朝鮮半島との実際の交流のなかで、漢詩などを取り入れながら作られた猥雑で、多国籍なテクストであることが明らかとなる。例えば、中西が一連の仕事で論じてきた憶良渡来人説は、こうしたテキスト分析を通じて、『貧窮問答歌』で最も民衆に近いとされた国民的歌人が、百済滅亡のなか日本に亡命し、近江朝で活躍した渡来人二世であるとするものである(『日本の渡来文化』)。これらを含む中西の仕事は、万葉集の多様性や歴史性を回復させることに挑戦した試みであった。

本書で、中西は、大伴家持についても、保田とは別の肖像を描きだす。それによれば、家持は中国文学に造詣が深い父・旅人に育てられた歌の名門の貴公子として、人工的で技巧に満ちた歌を詠み、白楽天に先駆けて雪月花を詠んだ前衛歌人となる。また、中国の漢詩を引用し政治的な内容を和歌に導入する一方で、和歌から漢詩に文人の意識が移行するなか、古に恋するとされるホトトギスの歌を多く詠み、孤独で、反時代的な歌人となる。そして、偉大な歌は既に柿本人麻呂によって詠まれたとのメランコリックな歴史意識に基づいて、人麻呂などの歌の意識的な模倣や漢詩の引用・加工を行い、失われた白鳳期の歌の反復とコラージュを試みたポップな芸術家となる。

こうした家持の歌は、平城京という都市の成立や貴族の邸宅で開かれたサロンでの批評を前提とするものであったと言うことができる。その貴族的なサロンが藤原氏との戦いによって危機を迎えたとき、その歌を集め、歌の共同体を再構築しようと万葉集の編纂を始めることになったと考えられる。














中西進の比較文学や、そこに描かれた家持の軌跡は、ゴダールの軌跡を思わせる。ゴダールは、西欧の伝統を受け継ぐブルジョワの家に生まれ、戦後の荒廃の中でヨーロッパ市場を席巻したアメリカ映画に魅了され、映画批評家を経て監督になる。初の劇映画作品『勝手にしやがれ』では、自身の映画体験を重ねあわせて、アメリカ=ハリウッドの犯罪映画の模倣を試みる。しかし、TVの登場によって映画の撮影所機能が失われてゆく時代に、そうした映画を撮ることは不可能だと悟り、引用と批評で構成された全く新しい映画の創造を始める。2度の大戦でヨーロッパを打ち負かしたアメリカ=ハリウッドさえもが、TVに敗北してゆくなか、まるで大伴家持が過去の歌に思いを寄せ、コラージュしたように、ゴダールは過去の偉大な映画を編集し、哀悼する『映画史』を制作する。そして、旧世界の首都・パリの映画サロンで体験した映画の記憶を未来につなげることを使命としてゆく。

中西の描く大伴家持とゴダールに、こうした類似がなぜ生じるか。それは共に戦争もしくは戦乱を体験し、その苦い体験のなかで創作を始めたためではないか。本書で、ゴダールについて何も述べられていないにも関わらず私が思ったのはそうしたことだ。

ゴダールの同時代人である中西進は、本書で、和歌を、新羅との戦争、壬申の乱、奈良時代の戦乱・・・、第二次世界大戦といった日本での様々な戦いの後にもたらされた「戦後思想」と重ねあわせながら論じてゆく。そして万葉集の精神とは、新羅との戦争の後に制定された十七条憲法の「和をもって貴しとなす」という精神が、壬申の乱後の天武・持統朝による理想化を経て、聖武天皇の時代に呼び起こされたものであると結論付けてゆく。そしてさらに、その精神は藤原氏との抗争に敗れた菅原道真の無念を受けた紀貫之の古今和歌集で「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思わせ男女の中をもやはらげ、たけき武士の心をも、慰める」精神として定式化され、和歌を詠み集める歴代の天皇によって保持され、幾度かの想起を経て、第2次世界大戦後の憲法9条として反復、回帰したのだと語る。

中西進は本書の後書きで次のように書く。
「勅撰集が聖徳太子の十七条の憲法―『和』を第一条とする日本最初の憲法遵守からできていること、この『和』の意味は現日本憲法の根源であることを考えるだけでも、何ともうれしいではないか」「この結論は、日本人であるわたしを十分満足させ、晴れ晴れと胸を張って生きていけるようになった」そしてあろうことか中西進は、保田與重郎のように美的なものの復権を呼びかける。しかし、それは戦前、保田が語った「哀れではかない」日本の橋のようなものではない。それは、ゴダールが古典的な映画に見出した次のようなものであると私は考える。

「芸術がわれわれの心をひきつけるのは、われわれ自身のなかの最も秘められた部分を暴きだすことによってだけである。そしてよくおわかりのように、この種の深層は革命的なものではない人間観を前提としているのである。それにまた、グリフィスからルノワールに至るまでの偉大な映画作家たちは、あまりに明白な保守的な人たちであったのである。したがって、映画とはなにかという疑問に対し、私はまずこう答えたい。美しい感情の表現である、と。」(ゴダール「映画とはなにか?」)
国民的文学としての万葉集を解体した中西進が、終戦後、半世紀以上を経て「万葉集の精神」は国や時代を超え、未来の他者へと誘う「心の扉」であると、本書はそう呼びかけるのである。
(『うたう天皇』 2011年12月 白水社刊)


参考文献
『日本の渡来文化』(1982)、 『万葉歌人の愛そして悲劇』(2000) 中西進(著)
『日本の渡来文化(座談会)』 司馬遼太郎、他(編)
『万葉集の精神―その成立と大伴家持』(1942) 保田與重郎(著)
「映画とはなにか?」『ゴダール全評論・全発言』(1998) ジャン=リュック・ゴダール

【執筆者プロフィール】  樋口明   同志社大学卒業、地方テレビ局勤務。