©2014『家路』製作委員会
“故郷”――それは、自分が生まれた場所。かけがえのない家族がいた場所。
そこが無人になった時、故郷を捨てた弟が帰ってきた。ある思いを胸に。
震災の影響によって、故郷が“帰れない場所”になってしまった。
先祖代々受け継いできた土地を失い、鬱々と過ごす兄、胸の奥に諦めと深い悲しみを抱えた母。生きてきた土地を離れ、先の見えない日々を過ごす彼らの元へ、20年近く前に故郷を出たまま、音信不通だった弟が突然帰郷した。たった一人で苗を育て、今はもう誰もいなくなってしまった田圃に苗を植える弟。
過去の葛藤を抱えながらも、故郷で生きることを決めた弟が、バラバラになってしまった家族の心を結びつけていく。
現在新宿ピカデリーほかにて公開中の、震災後の福島を舞台にした映画『家路』。2011年3月11日から3年の節目を迎えるにあたり、3月8日(土)に映画ジャーナリストの津田大介さんと久保田直監督によるトークイベントが開催された。
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|開催概要
日程:3月8日(土)14:15-14:40
会場:新宿ピカデリー スクリーン10
登壇:津田大介氏、久保田直監督
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左より、津田大介氏、久保田直監督
津田 震災を扱った映画の中で、お世辞抜きで一番よかったです。どうしてはじめて劇映画を?
久保田 ずっとドキュメンタリーを撮ってきて、ドキュメンタリーにしかできないことがある一方、ドキュメンタリーだからできないこともあるのを感じていて。例えば、過去に起きたすごい話を聞いたとき、インタビューでしかそれを表現できない。でも、僕はインタビューはあまり力を持っていないと思っているので「その現場に居合わせたい。」と思っています。
今回、震災に関してドキュメンタリーでも撮ることはできたと思いますが、自分が撮りたい、いいことばかりではなく、いろんな辛いことも全部ひっくるめたドキュメンタリーは、世に出すことはできないなと感じました。
津田 ずっと久保田さんのドキュメンタリーの中では「家族」がモチーフになっていて、今回もそうですよね。
久保田 どんなことであっても、家族をテーマに撮りたいと思っています。今回は、ドキュメンタリーで撮った場合、その取材対象の家族に何が起こりうるのか、攻撃されてしまうこともあるのではないか、そういったことも鑑みて、劇映画という手法を選びました。
津田 富岡町の空気感など、僕も行ったことがありますが、とてもリアルで、フィクションでありつつも、現地の人々のリアルが織り込まれていると感じましたね。福島の方々の反応はどうでした?
久保田 それが当初一番心配でした。気持ちがウキウキするような映画ではないですし、苦しいという気持ちにさせてしまうことはわかっていました。でも、「その先がある」という思いを込めて作り、その先まで見て頂けたら、と思っていました。くしゃくしゃに泣いている人が多いのですが、決して青くないというか、語弊があるかもしれませんが、いい泣き顔をみなさんしていらっしゃるように見えたんです。
上映後にはいろんな方が駆け寄ってきてくださって、「本当にいい映画をつくってくれてありがとう。」とおっしゃってくれました。一番印象に残っているのは、二本松で農業をやっていた中年の男性が、「この映画はいのちをきちんと描いてくれていた」とおっしゃってくださったこと。本作では、お米が育つプロセスを丁寧に描いたつもりだったのでそこを受け止めていただけてうれしかったです。
津田 たしかに、この映画をみると農業がやりたくなりますね。昨今、若い人たちでも農業に興味を持って地方に移住している流れもありますが、そんな中で農業のプロモーションムービーとしても使えるんじゃないでしょうか(笑)。それぐらい魅力的に農業が描かれていました。
久保田 そして、その方が「いまはできていないのだけど、これからまた米作りをしようと思った」とおっしゃってくださったのがとてもうれしかったです。
津田 まさにそういう意味でも希望を与えてくれる映画ですね。そこも、ノンフィクションとフィクションで与えられるメッセージの違いがあるのかもしれないですね。
もうすぐ3年というところもあり、僕も現地でいろんな声をきいていますが、福島での言説ってすごく複雑なんですよね。みなさん「自分たちに起きたことを忘れてほしくないし、風化させたくない。」とおっしゃる一方で、それだけだと前に進めないし、それが風評被害につながると現実もあって、「放射能のことを忘れてほしい。進みたい。」という両方の思いを抱えている方が多いですよね。
久保田 この前も福島市でいろんな方とお話してきた中で、いま津田さんがおっしゃったように2つに割れていましたね。本来、両方の気持ちをみなさんお持ちだと思うんです。その中で、こっちにいかなきゃ、というふうに自分を持っていこうとしているのかな、そういう空気があるのかな、と感じました。
津田 僕も現地に行っていて、土地の歴史を学ぶのが貴重だなって思うんです。たとえば今回の、(ロケをした)双葉郡なども、元々ふたつの群が合併してできていたり、その土地同士での関係性が違ったり。そういう意味でも、この映画は、農業やそこでの人々の暮らしをすべて美しいものとして描かず、田舎独特のしがらみや原発の影響などしっかり描いていますよね。
また、だれか悪者を作っているわけではない映画だなと感じました。もっと過剰な表現をしてもよいところでも、最初から最後まで、すごく抑制されているなと思いました。そこは意識されたんですか?
久保田 たぶんですが、僕や脚本家の根底にあるのは「当事者意識」なんですね。福島のことを他人事にするのがどうなのかなというのがまずあって、そして当事者意識の中にあるものは何かというと、被害者であり、加害者であるというこの両面だと思うんです。
津田 それは福島でも、そして東京でもそうですよね。
久保田 被害や加害、その心の痛みに違いはもちろんありますが、それぞれが当事者なんだという思いを忘れちゃいけないんじゃないかと。
津田 被害者であり加害者である。はやく忘れたい。でも、忘れてほしくない。複雑な思いが地域だったり立場だったりによってそれぞれあって、その複雑な思いをすべて飲みこんだ一つの総体としての福島があって、福島ってこうだよっと簡単には伝えられないですよね。そんな中、いま福島はメディアを通していろんな報じ方をされていますが、久保田監督が、伝えきれていないな、もどかしいと感じることはありますか?
久保田 それは福島のことだけでなく、自分が関わってきたテレビも含めたいまのメディアすべてにおいて、逆に伝えすぎている気がします。単一の結論をポンと出して、本来そこにある情景や背景を伝えないことが多い。
津田 撮りたいものだけ撮ったり、結論ありきで取材をしたりっていうところもありますかね。
久保田 あまりにも簡単に結論だけを伝えてしまうと、それをみたひとは「あ、そうなんだ」で終わってしまうと思うんです。そこで、結論づけるのでなく、作り手もわけがわからなくなってしまうという状態の方が、僕はすばらしいと思うんです。「わからないけれど、僕がみたものはこういうものです。」と伝えた方が、受け手が感じたり、考えたりする余地があると思うんです。
津田 複雑な問題が、複雑なんだと伝える説明方法がいまは欠けているんですかね。
久保田 受け手もそれに慣れてしまっていて、なかなか思考できなくなっているんではないかと。テレビではしゃべっている内容にさらにテロップをつけているから、テロップがなくなると何を言っているのかわからなくなるなんて話もありますよね。
津田 たしかに、テレビはテロップをみてるから真剣に観ない分、逆にラジオの方がしっかり聴かないとわからないから届くなんて話もありますね。
久保田 自分自身、ドキュメンタリーで取材をしていく中で、わかんないからわからない、と結論を出さずに世に問おうと思っているところもあります。村上春樹さんも「多くを観察し、わずかしか判断をくださない」のが小説家の仕事だ、とおっしゃってますが、物語や小説の作り手が「こうだ」というのではなく、受け手がどう感じるが大事だと思います。
津田 普段のマスメディアのような、結論ありきではないボールを、今回映画で投げられたという手ごたえはあるんですかね。今回初めて劇映画を撮られたわけですが、今後はどのようなものを撮っていきたいですか?
久保田 今を切り取る家族のはなしを、フィクションであってもノンフィクションであっても作っていきたいです。
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|作品情報
『家路』
出演:松山ケンイチ、田中裕子、安藤サクラ / 内野聖陽
監督:久保田直 脚本:青木研次 企画協力:是枝裕和、諏訪敦彦
主題歌:Salyu「アイニユケル」(作詞・作曲・編曲:小林武史/TOY’S FACTORY) 音楽:加古隆
製作:『家路』製作委員会 企画・制作プロダクション:ソリッドジャム
配給:ビターズ・エンド 助成:文化庁文化芸術振興費補助金 WOWOW FILMS
公式サイト www.bitters.co.jp/ieji
★新宿ピカデリーほか、全国上映中!