【Review】「さわる文化」としての映画――ドキュメンタリー映画『渚のふたり』text堤拓哉

1main横に並んで食卓に着き、食事する二人の男女を映し出すスクリーンに、次のような字幕が二行に渡って表示されています。「チョ・ヨンチャン 視覚障害1級 聴覚障害5級(韓国)」。その右側には、「キム・スンホ チョ・ヨンチャンの妻」とあります。前者は薄い水色、後者は白色です。この色分けは、それぞれの台詞にも対応しています。しかし、韓国語に対して日本語の字幕を付けるだけならば、色分けする必要はありません。実はこれ、耳が聞こえない人/聞こえにくい人のために考案された、バリアフリー字幕と呼ばれている字幕です。配慮されているのは台詞に対してだけではありません。例えば、浜辺のシーンでは「[波の音]」という字幕が出ます。効果音も「[消えていく声 始まる音楽]」と出たりします。最も、耳が聞こえる人にとっては、元々無かった台詞以外の字幕は、余計なものに感じられそうです。耳が聞こえる人も聞こえない人も同じスクリーンで鑑賞できる、上手い上映方法はないのでしょうか。

2月15日より劇場公開されるドキュメンタリー映画、『渚のふたり』の上映に際しては、映画館でiPod touchの貸し出しが行われます。この携帯端末をセカンドスクリーンとして、バリアフリー字幕の表示や視覚障害者用副音声の再生が、利用者の元に提供されるというわけです。具体的には、「おと見」というアプリを使用します。仕組みとしては、映画本編の音声に「作品識別情報」と「タイム情報」を埋め込み、「音声すかし」と呼ばれるそれと「おと見」が同期することで、iPod touchに字幕や音声が送出されます。意外にも、電波や無線LANを一切使用していないのです。この「おと見」が一般配信されるようになれば、観客は持参したスマホやタブレットで気軽にバリアフリーな映画鑑賞ができます。つまり、『渚のふたり』は日本において、「映画・映像のバリアフリー視聴拡大」に向けて画期的な上映/鑑賞方法を導入した、第一段の作品に位置付けられそうです。そして映画の内容もまた、この方式に呼応しています。

目と耳の不自由なヨンチャンと妻のスンホは、ソウル郊外のアパートで暮らしています。吹雪きが続く冬のある日、寝室の「[蛍光灯のカチカチする音]」にスンホが気づきます。替えようと手を伸ばしてみても、腰椎障害のため背の低いスンホには届きません。そこで、背の高いヨンチャンを呼んできます。ベッドの上に立ったヨンチャンは、手探りで少しずつ留め金を外します。傍で見上げるスンホは、助言するためにヨンチャンの身体をつつきます。そしてこんな時、二人は“指点字”で言葉を交わします。片方が差し出す両の手の甲に、もう片方が両の三本の指を使って、点字を打つのです。ヨンチャンの手の甲に指文字するスンホ。このシーンには、触覚による愛情表現の美しさが詰まっているように感じます。一体何故、蛍光灯を替える些細なシーンを、人は固唾を吞んで観てしまうのでしょうか。

触覚について考える時に、人類学者の広瀬浩二郎氏の見解は示唆的です。自身が全盲者でもある広瀬氏は、著書「さわる文化への招待――触覚でみる手学問のすすめ」の中で、次のように述べています。

最近、晴眼者/視覚障害者という区分に対して、見常者/触常者という新しい呼称が提案されています。

 また、こうも言っています。

じつはこの「触文化」とは健常者といわれる人たちにも体験可能な普遍性を持っており、目の見える方々にこそ、ぜひ味わって欲しいものなのだ。

つまり、広瀬氏によれば、視覚障害者は視覚を使えないのではなく“使わないだけ”であり、「さわる文化」の世界を生きる触常者だというわけです。そして、「触文化」=「さわる文化」は晴眼者にこそ味わって欲しい、普遍的な体験だというのです。

さて、「さわる文化」が人にとって普遍的なものであるとすれば、指点字で愛情を伝え合う『渚のふたり』の姿は、誰がみても共感できるはずです。しかも、「みる文化」(と「きく文化」)に属する映画の、スクリーンの中に置かれているからこそ、「触」による表現が際立って感じられるという側面もありそうです。残る他の二つの五感、味覚と嗅覚による愛情表現についても、別の複数のシーンで確認することができます。例えば、二人が散歩してやって来た公園での一場面。おもむろにヨンチャンは松の木を抱きしめます。やがて手を合わせたかと思うと、樹皮に鼻を近づけ匂いを嗅ぎます。スンホが尋ねます。「何してるの?」。ヨンチャンが答えます。「会話してるんだ」。スンホが焼きもちを口にします。「デートしてるんだ」。そこでヨンチャンが、「一緒にデートしよう」と言い、スンホに木の反対側から抱きしめるよう促します。スンホは、「こう?なんかいやらしい」とはにかみます。木を中心に抱き合う二人の姿もまた、一つの普遍的な愛情表現に思えてきます。いずれにせよ本作は、二人の夫婦生活に決定的な出来事が起こるような物語ではありません。何やら、人の五感に対する想像力を鑑賞者に促す、日常風景こそが映し出された、名実ともに「さわる(touchする)映画なのです。

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【作品情報】

『渚のふたり』
原題:Planet of Snail
(2011年/87分/カラー/デジタル上映)

監督・撮影: イ・スンジュン
出演:チョ・ヨンチャン、キム・スンホ
提供:シグロ  配給:メディア・アクセス・サポートセンター(MASC) 
宣伝:Playtime

2月15日より、シネマート新宿ほか全国順次公開

【執筆者プロフィール】

堤拓哉(つつみ・たくや) 
1989年東京都生まれ。2013年に早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系を卒業。ギブスの有志による同人誌、「スピラレ」創刊号には、「シールでつながる若者文化」という批評文を寄稿。関心領域は、重症心身障害児(者)を巡る事象。