【Report】ドキュメンタリー労働組合による台湾・ひまわり学生運動の撮影活動に寄せて text 林木材 (翻訳:都留俊太郎)

 (Photo from flyingV.cc)

2014年3月18日、中台間の貿易の自由化を大幅に拡大するサービス貿易協定の審議が打ち切られたことに抗議した台湾の学生たちは、(日本の国会にあたる)立法院を占拠した。マス・メディアの政府寄り報道にも関わらず、世代を超えて共感を生み、大規模な抗議デモが展開されたこともあって、占拠は3週間以上にわたって続いた。「ひまわり学生運動」と呼ばれることになる抗議行動の背景には、この協定によって台湾と中国は経済的な結びつきを深め、両国の関係は(統一に向けて)後戻りができなくなるのではないか、その結果、台湾社会の基盤であり、台湾人としての意識を生み出している「民主主義」(言論の自由)を失うのではないかという深刻な懸念と危惧が拡がったことがあった。日本ではTPPの問題と絡めて論じたジャーナリストもいるが、ここまで大きな運動に発展したのは、それが経済問題だけではなかったからである。

さて、この占拠が続く中で、台北市ドキュメンタリー従業者職業労働組合は、組合員が交代で抗議運動を撮影記録すること、それを映画として後に完成させることを発表し、制作資金の募集をウェブで開始した。台湾のドキュメンタリー作家はひまわり学生運動をどう考え、どのように反応(行動)したのか。今回、ipadによって全世界に院内の様子が中継される一方、フェイスブック(知り合いのネットワーク)を通して連帯が築かれ、情報が素早く共有されたが、これらの新しいメディアが大きな役割を果たすなかで、ドキュメンタリーに何ができると考えられるのか。こうした点について、この労働組合の常務理事であり、台湾国際ドキュメンタリー映画祭のプログラム・ディクレターに就任した、批評家・林木材氏に寄稿を依頼した。その原稿が仕上がったのは学生が退去を発表した翌日であった。以下の文章は当事者による、出来事の最中に書かれた文章である。翻訳については、台湾現代史の研究者である都留俊太郎氏に担当していただいた。(藤田 修平)

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ドキュメンタリー労働組合による台湾・ひまわり学生運動の撮影活動に寄せて  

text 林木材

 ひまわり学生運動とは何か

このエッセイを執筆する前日、学生運動のリーダーは占拠している国会の議場から11日に引揚げることを記者会見の場で宣言しました。「サービス貿易協定の差し戻し」、「監督条例制定後の再審議」(注)などの彼らの要求について、既に一定の応答を得ることが出来たからです。

この運動はそもそも、与党である中国国民党の国会議員・張慶忠によって、充分な審議を経ずにサービス貿易協定に関する審査完了が強引に宣告されたことに端を発しています。大学の学生たちの強い懸念と反発を招き、まず3月18日夜18時に国会の外で「民主主義を守護する為の夜」集会が開かれ、不充分かつ不透明な審査過程に対して懸念が示されました。そして、400名以上の学生たちが警備員の隙をついて、国会内部に入り込んで座り込みによる抗議を行い、さらに警備の封鎖を突破して民意の象徴たる国会の議場を占拠するに至ったのでした。彼らは選挙を通した民意の反映が機能不全に陥り、台湾の民主主義が失墜したことに抗議し、サービス貿易協定の審議差し戻しを馬英九総統が自ら先頭に立って実現するよう要求したのです。

 

我々はこの運動をどう受け止めたのか

運動がはじまって既に20数日が過ぎようとしていますが、国会を外側から包囲する民衆たちの数は一向に減らず、3月30日には更に50万を数える人々が街頭デモへと繰り出しました。以上の活動が近代台湾の民主主義の歴史において、最も重要な1ページとなることは間違いないことでしょう。そして自治と自由を求める台湾の市民の一人として誰もが思うのは、この運動の成功を応援し助けるにはどうしたらよいのか、ということでした。そしてドキュメンタリー制作に携わる者たちもまた、この運動における自らの位置を模索したのでした(運動の初期段階で早くも数名のフリーランスのドキュメンタリー制作者がそれぞれ撮影を行っていました)。

台北市ドキュメンタリー従業者職業労働組合(ドキュメンタリー労働組合)は2006年に組織され、今日では既に400名の会員を集めています。台湾各地の監督・カメラマン・編集者・録音技師・映画祭スタッフなどにより構成され、ドキュメンタリー関連では台湾唯一の労働組合です。組合の当初の予定では3月半ばに例会を開くはずだったのですが、あまりに多くの幹部が運動の現場へと参与していたので延期となり、一週間後にようやく開かれることになりました。その前の3月19日には組合理事長の李恵仁監督が議場に於ける衝突を撮影したため警察に無理やり逮捕され、3月24日には学生が平和非暴力のやり方で行政院を占領しようとして警察による血腥い捕縛・隔離が行われるという事態が発生し、台湾社会を震撼させていました。あの時、警察は率先してメディアを強制的に排除したため、その時の映像はあまり多く残っていません。

 

 映像制作企画とウェブ上での募金

組合の幹部である蔡崇隆監督と賀照緹監督は事態を重く受け止め、(1) 24時間輪番で撮影を行うドキュメンタリー制作者の募集、(2) 映像の記録を外部へ求め学生運動映像データベースの構築を目指すこと、を例会の前日にあらかじめ積極的に提起していました。例会の当日、やって来てくれた約20名の会員は皆何れもその企画案へ参加することを希望し(私は組合で常務理事を務めていますが、作り手ではないので、話し合いの際に構想とアドバイスを述べ、調整を助けるに留まったのですが…)、制作班、撮影班、監督班、宣伝広報班へと簡単に分業することになりました。そして二時間の話し合いを通して提案は更に煮詰まり、各班に分かれただけでなく、一つの「作品」を完成させるという構想のもとで進むことになったのでした。既にかなり進捗しており、企画案のひな形はもう出来つつあります。200万台湾ドルの寄付を目標に作ったネット上の募金ページ(http://www.vdemocracy.tw/project/2775)では、一日のうちに100万台湾ドル以上の寄付を集めることに成功しています。

企画案には「歴史は手を伸ばせばそこにある。私たちと共に一つ一つ破片を拾おう、失われた過去を取り戻そう、輝かしい未来を探し求めよう」とあります。

 

『太陽を目指して』

 「太陽を目指して―ひまわり学生運動映像記録―」と差し当たり銘打たれたこの企画は、数本のショートフィルムの形で10個のテーマを表現する予定です。経験豊富な監督に顧問やまとめ役をお願いするほか、外部へも参加希望者を募ってテーマを選択させるとともに、自らのテーマを展開することもできるようにしました。しかしその一方で、毎日は恐怖とともに目まぐるしく変化し、事件は急展開を見せて想定外のことが連続したため、現実に起きていたのは時間との競争でもありました。

人材と資金がまだまだ行き渡っておらず、チームもまだ本格的に組織されていない状況で、学生運動は一つのピリオドが打たれようとしています。そのため、この数日は皆それぞれ争うように撮影を行い、また非会員の学生やアニメーターも続々参入し、多くの民衆も自ら撮影した素材を提供してくれました。組合ではこれらの事情を斟酌して計画に加わりやすいプロセス(例えば許諾書や人員管理などの方面)を形成するよう出来るだけ努めました。混乱を減らし、この計画が少しずつ一種の集団創作の形態へ積み上がるように方向づけたのです。

neoneo_himawari_05 (撮影:曾文珍)

ドキュメンタリーに何ができるか

では、ドキュメンタリー制作者はこの運動の中において、その撮影の視点と立場は他のメディアとどう違うのでしょうか?大手メディアはほとんど四六時中存在し、ボランティアの中にもipadと4Gを利用して一日中現場をライブで放映する人がいました。そんな中で、ドキュメンタリーの意義をめぐるこの問いは、参加者全員の心に常に浮かんだ課題でした。集まって話した際にははっきりした答えは得られませんでした。しかし、企画案に掲げられた10個のテーマは、この運動に対する視点の据え方こそが核心であることを示しています。ドキュメンタリー独自の視点とは一体何なのか。

私は映画評論と映画祭企画を主な仕事としている関係上、撮影の段階において出来ることは限られており、アドバイスするのがせいぜいだったのですが、この運動に参加した経験から言わせてもらえば、現場は素材に満ち満ちています。例えば、ピケ隊(秩序はどう定義されるのだろう?)、落書きによる芸術創作、附近の住民の反応、物資の寄贈とその管理(なんと2500箱以上のボトルの水が届いていた!)、ボランティアの管理、はじめて参加した学生あるいはその父母、それぞれの市民団体が設置した座談の場、いるけど一言もしゃべらない、はたまた一日中饒舌な名も無き人々、日々の夜の様子、無形の国家暴力、などなど。これらは何れも極めて興味深いテーマになり、そして何れも今回のドキュメンタリーの最も豊富な素材になることでしょう。

しかし、学生運動の引揚げと間もない消失は、このドキュメンタリーの核心への試練となるように私には思われます。全てが停止してしまい、人々が舞台から消え、情景が失われ、平常時に戻った後、この運動が残すのは果たして何なのでしょう?果たしてそれをどのように探るべきでしょうか?大手メディアによる大量のニュースや詳細な報道もある中で、ドキュメンタリーは表面的な話に振り回されず、どれほどの深みにまで到達できるのでしょうか。

 

ひまわり運動が生みだした種子を培うために

彼らは議場からの退場を前にして「旅立ちの時、いざ種を播かん」と宣言しました。もし、ひまわり運動のインパクトが本物であるなら、種は市民全体の運動へと成長し、私たちの新たな議場となる社会を創り出さなくてはならないでしょう。

そうだとするならば、ドキュメンタリー「太陽を目指して―ひまわり学生運動映像記録―」に対しても、鋭く深い眼差しによって虚しく短絡的で上滑りした議論を克服すること、そして私たちに台湾の真の姿を見通させることを期待しなくてはなりません。今回の学生運動がもたらした啓発と刺激とともに歩みながら、台湾の人々に自らを見つめさせ、希望を与え、積極的な活動を促すものであるべきだと思います。

 

(追記)

ドキュメンタリー労働組合が映像作品を制作するにあたって、インターネット上の募金プラットフォームで暫定的に掲げている10個の主題は以下の通りです。時間、制作の形式などの細かい点については、実際の状況をみて適宜調整する予定です。

1. 民主主義の授業は今ここに―街頭で実現する学生と民衆の熟議民主主義―

2. 一晩の成長―3月23日深夜の流血と鎮圧に思う―

3. 起動する国家暴力装置―民主主義への希求を押しつぶす権威主義体制のしくみ―

4. 太陽のないあの数日―国会を占領した学生たち、前代未聞の造反活動はどのようにして―

5. 国会議員、怠惰なるかな―連中は本当に民意を代表しているのか―

6. スリッパで固定された実況中継―蜂起発生の初期段階において新たなメディアとネット情報技術はいかに大手メディアを負かしたか―

7. 事実に関する100通りの語り―大手メディアによる学生運動に対する複雑怪奇なる報道―

8. ピケ、あるいは秩序と理性の裏側―社会運動に要求される余りに高い道徳水準が孕む功罪―

9. 野百合とひまわり―野百合運動(1990年に起きた学生運動。後の台湾民主化に大きな影響を与えた)の潜在的影響と両学生運動の相違点―

10. 烏合の大集結―国会を囲む大小市民団体、運動に対する得失―

(訳者注)

「監督条例制定後の再審議」…現行の台湾の法規には、台湾と大陸の間の協議締結に関する条項が存在しないが、馬英九政権はそれを利用して、国会の審議を軽視して大陸との秘密協議を進めている。ひまわり運動は、サービス貿易協定を審議する前に監督条例を制定し、大陸との協議締結に対して国会による審議監督、民意の反映が実現するよう要求している。

【執筆者プロフィール】

林木材(Wood Lin)

映画評論家、映画祭ディレクター。これまで文筆、編集、取材、宣伝、出版等の仕事を経験し、また数多くの国際ドキュメンタリー映画祭を訪れている。著作として『景框之外―台灣紀錄片群像―』があり、現在、台湾国際ドキュメンタリー映画祭のプログラムディレクターを務めている。

都留俊太郎(翻訳)

1987年生まれ。京都大学大学院文学研究科現代史学専修博士課程、日本学術振興会特別研究員。現在の専門は近代日本と台湾の農業史。

台北市ドキュメンタリー従業者職業労働組合(臺北市紀錄片從業人員職業工會)

http://docunion.blogspot.jp/