【Review】赤の〈リアル〉と日々の〈断片〉――「『驚くべきリアル』展 スペイン、ラテンアメリカの現代アート」&「MOTアニュアル2014フラグメント」 text 成澤智美

宮永亮《WAVY》2014 撮影:伊奈英次

|過ぎ去る都市の断片――宮永亮<WAVY>

もう一つ、「MOTアニュアル2014フラグメント―未完のはじまり」(以下「フラグメント」)についても述べたいと思う。「われわれの周囲にあるフラグメント(=断片、かけら)を通して世界を捉えなおそうとする6つの試み」とコンセプトが掲げられ、髙田安規子・政子、宮永亮、青田真也、福田尚代、吉田夏奈、パラモデルの気鋭の6グループの作品が大胆な配置で展示されている。「フラグメント(断片・かけら)」というワードを与えられる事に依って、今回の出展作品の解釈はわりかし容易になるだろう。

私が、特に心惹かれたのは、宮永亮の<WAVY>である。波のように行ったり来たりする凝縮された映像と音が心地よい。例えば、映像の中の風景は時間が凝縮されたり、色素が凝縮されたり、あるいは、景色そのものが凝縮され光に収束したりと、<WAVY>に使われるイメージの断片は、それぞれに濃密だ。さらには、その断片が幾重にも重なり合い波となる。それは、処理しきれない早さで私の中にやってきては去ってゆく。見る者は、その断片を摑みきれずに呆然とする。最初と最後に現れる、凪いだ海のような菜の花畑は、そんな心をさわさわと心地よく撫でてゆく。

この映像経験は、私たちの実際の日常生活と地続きだ。めまぐるしい都会の変化、あっという間に過ぎる時間、次から次へと押し寄せてくる情報の波、現代の生活のイメージ。映像内のイメージの断片には、牧歌的な景色も使われているにも関わらず、複数のイメージが重なりあい、畳み掛けるようなリズムと早さで過ぎ去ってゆく時、それは都会的な生活や情報社会を連想させる。映画館のような大きなスクリーンで映像をあびるという体験そのものが、情報社会の現代的で都会的な生活の断片を切り取っているようでもある。

「フラグメント」というキーワードのように、この展示で見る事が出来るのは、私たちの生活の中に存在する何らかの断片でしかない。私たちの現代の生活の全部ではない。社会全体ではない。けれども、顕微鏡で見た時のように、私たちの生活の機微な美しさに出会う事が出来る。それは、脆そうでありながらも、強固な形へと生成する可能性を秘めている。フラグメント・断片は、私たちの生活の内側に潜み、作家はそれを明確な形で提示している。それは、常に日常のすぐ側にあり、だからこそ、物事の見え方を変化させる可能性を孕んでいることを、この展示はダイレクトに表している。

ディアンゴ・エルナンデス《分断されたリヴィングルーム》 2006年 MUSAC蔵 ©Diango Hernández, Courtesy: MUSAC

|「見せる」ものと「見られる」もの――ディアンゴ・エルナンデスと福田尚代

この「驚くべきリアル」と「フラグメント」の決定的な違いは、その国の伝統や歴史にあるのではなくて、その表現や思考の方向性にあるのではないだろうか。それは、たんなる国民性の問題ではない。例え、同時代に生き、アートというものが国際性を兼ね備えボーダーレスな領域であるといっても伝統や歴史、その国に根付く思考を捨てることは容易ではない。けれども、国という区別を超越した部分において、確かに、決定的に違う立場をこの2つの展覧会はとっている。それは、キュレーションやコンセプトのせいかもしれない。それでも、私は、そこに、現代アートにおける2つの思考の対立を見る。

「驚くべきリアル」を通して見えてくるのは、パーソナルでありながらも、外に向け解放される力を持った表現である。一方で、「フラグメント」を通してみえてくるのは、極私的な、どこまでも自分の内に潜ってゆくような表現である。機微な変化の堆積、まるで個人的な物語が見る者の内部からの生成変化を促すようにも受け取れる。

例えば、「驚くべきリアル」のディアンゴ・エルナンデスの<分断されたリヴィングルーム>(2006)と「フラグメント」の福田尚代の作品を対比して見てみるとおもしろい。ディアンゴ・エルナンデスの作品は、通常リヴィングルームにおかれている家具が真ん中から真っ二つに分断されワイヤーによって吊るされている。それは、キューバの諸問題(例えば、革命後も続く思想の分断といった)とそうした社会情勢に翻弄された作家自身のトラウマが反映された作品である。それは、作家自身のトラウマを反映しながらも同時に、家具の断面は「分断」という社会問題を外に向けて「見せて」いる。パーソナルな問題(トラウマ)を端緒としていながらも、外へ向かっていく力を感じさせる。

対して、福田尚代の作品は、読めない程小さな字で原稿用紙に書かれた回文や、ほぐされ過ぎて繊維に戻ってしまった本の栞(スピン)の塊というように、その機能はもはや失われ、それらが存在できる最小の単位にされてしまったモノである。それは、モノの存在に対する哲学的な問いを投げかけている。しかしながら、それらの作品は、「見られる」ことを目的としていない。それは、外に向けて発信されてはおらず、作家自身の内部への問いかけの過程に過ぎないのかもしれない。そして、作品というものが、「見せる」というよりは、「見られる」ものであるというふうにも言えるだろう。

2人の作品は、同じように日用品を断片化し、新たな意味を持たせるといった意味で同じ技法であるだろう。しかしながら、2つは全く違った方向を向いて歩いている。内側と外側、2つの方向という違い、あるいは、作品が「見せる」ものであるのか「見られる」ものであるのかという意識の違いが、2つの展覧会を比較してみるとはっきりと見えてくる。2つの展覧会は、図らずも現代アートシーンの2つの潮流を見せてくれる。

福田尚代《翼あるもの『バートルビーと仲間たち』》2013 撮影:伊奈英次

これは、先に述べた事に矛盾することであるが、良くも悪くも「フラグメント」に見られる自分の内側に潜るような表現方法はアートに限らず、00年代の日本的な表現の一つとして確立されつつあるように見える。そして、それは、国際的なムーブメントになるのではないかという予感もさせる。「驚くべきリアル」がダイレクトに問題意識を伝えるならば、その表現方法は、報道的であり、一方で、「フラグメント」に見られるような内部から変化を捉えるような表現方法はある意味で、とてもドキュメンタリー的なのではないかと思わずにはいられない。

2つの展覧会は、どちらも5月11日まで開催。是非、2つの展覧会を同時に鑑賞してもらいたい。

|開催情報

 「驚くべきリアル」展 
スペイン、ラテンアメリカの現代アート -MUSAC コレクション-

会期 2014年2月15日(土)―5月11日(日)
休館日 月曜日(5月5日は開館)、5月7日(水)
開館時間 10:00~18:00(入場は17:30まで)
会場 東京都現代美術館 企画展示室1F、ホワイエ
主催 東京都歴史文化財団 東京都現代美術館、カスティーリャ・イ・レオン現代美術館、 Acción Cultural Española (AC/E, スペイン文化活動公社)

「MOTアニュアル2014 フラグメント―未完のはじまり」

会期 2014年2月15日(土)―5月11日(日)
休館日 月曜日 (5月5日)は開館、5/7(水) 
開館時間 10:00~18:00(入場は17:30まで)
会場 東京都現代美術館 企画展示室3F
主催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館

アクセス
東京都現代美術館 〒135-0022 江東区三好4-1-1
東京メトロ半蔵門線・清澄白河駅B2番出口より徒歩9分 
都営地下鉄大江戸線・清澄白河駅A3番出口より徒歩13分
http://www.mot-art-museum.jp/

お問い合わせ
03-5245-4111(代表)/ 03-5777-8600(ハローダイヤル)

|プロフィール

成澤智美 Tomomi Narisawa
1987年生まれ。現代美術批評・評論。現代アートギャラリー勤務の傍ら、立教大学大学院現代心理学研究科博士後期過程在学中(映像身体学専攻)。ビデオアート・ビデオインスタレーションに関して研究している。
Twitter :@26n25t