3. 「風景映画」的方法によるヘテロトピー
ヘテロトピックな風景の出現をリアルタイムで捉えたフィルムがある。足立正生、松田政男、岩淵進、野々村政行、山崎裕、佐々木守の5名によって1969年に制作された『略称・連続射殺魔』だ。連続ピストル射殺魔・永山則夫の犯行前の足取りを追い、彼が見たであろう景色を旅して撮った「風景映画」である。
冒頭、永山の故郷である網走の「奇妙な祭り」(松田政男『風景の死滅』、p.7)が映し出される。なぜ奇妙かと言えば、本来は土着的なものであるはずの祭りが、そもそも北海道には存在しない大名行列を模した祭列をはじめとして、その土地の文脈から切り離された雑多な事物によって形成されていたからだ。この光景が象徴するように、永山の犯行の遠因となるような特異な風景を期待していた制作者たちが実際に見たものは、「地方の独自性がいちじるしく摩滅し、中央の複製とでも呼ぶほかない、均質化された風景」であった(前景書、p.10)。
この映画が興味深いのは、場所や風景を主題として永山則夫の「移動」に焦点を合わせた作品であるにも関わらず、全編を通してショット間のつながりが希薄で、チグハグな印象を受ける点である。シーン全体を通して立ち現れてくるはずの空間性——すなわちそこで把握されるはずのひとや物の位置関係——が一向に見えてこない。極論を言えば、多少ショットの順番を入れ替えても全体の印象にさほど影響を与えないのではないかと思えるほどに、その順序に必然性が感じられないのである。永山の辿った道筋が実際こうだったらしいという、映画の外の情報のみが唯一その順序を保証している。
こうした映画のあり方は、そこに描かれている郊外のあり方と見事に連動している。チグハグなショットの連なりは、共通な空間や座の失われたヘテロトピックな風景に対応しており、また、ショットの順序の無根拠さ(=入れ替え可能性)は、全国一律で差のない無個性で均質な風景に対応している、というように。言い換えれば、『略称・連続射殺魔』という映画自体が、極めてヘテロトピックなフィルムであるように思われるのである。このような内容と形式の連動したヘテロトピーの表現を、わたしは「風景映画」的方法と呼んでいる。
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4.『遠雷』的方法によるヘテロトピー
一方、まったく異なる方法でヘテロトピーを視覚化して見せたのが、1981年に制作された『遠雷』である。ここでは、複数のショットの連なりによってではなく、ひとつのショット=風景のうちに農村的なものと都市的なものを混在させるという方法がとられている。たとえば団地とビニールハウスが同時に捉えられたショットや、新興住宅地前を通り過ぎる農耕車のショット、トマト農家の男がショッピング・センターに出かけるショット、都会的なワンピースを着た女が田圃の畦道に立つショットなど、少々図式的過ぎるほどに明快な対比が為されている。
こうしたヘテロトピーの表現——これを「風景映画」的方法に対して『遠雷』的方法としておこう——は、2004年に制作された『下妻物語』にも見ることができるが、事態はより複雑化している。ヤンキーにレディース、ロリータ・ファッション、ジャスコのスカーフやジャケット、トラックに積まれた野菜、国道294号の看板といった雑多なイメージは、明らかに、農村的か都市的かの分類には収まりきらない。本稿では深く立ち入ることができないが、もしもこの映画のヘテロトピーを詳細に読み解こうとするのなら、ヤンキー的なもの(これとてあまりに漠然とした言葉だが……)やジャスコ的なもの、代官山的なもの、ロリータ的なもの……といったように、より細分化された文化状況を追っていく必要があるだろう。『遠雷』と『下妻物語』の差異は、1980年代から2000年代へという時の流れの中で、より複雑化・多様化した家族構成や生活様式と対応しているのかもしれない。没場所的・非歴史的な場所として語られることの多い郊外もまた、当然のことながら変化を続け、歴史を刻んでいるのである。
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|参考文献/関連資料
原広司 著『空間―機能から様相へ』、岩波現代文庫、2007年
小田光雄 著『〈郊外〉の誕生と死』、青弓社、1997年
松田政男 著『風景の死滅』、田畑書店、1971年
アンリ・ルフェーブル 著『空間の生産』、斎藤日出治 訳、青木書店、2000年
エベネザー・ハワード 著『明日の田園都市』、鹿島出版会、1968年
ティム・バートン 監督『シザーハンズ』、1993年
足立正生、松田政男、岩淵進、野々村政行、山崎裕、佐々木守 共同監督『略称 連続射殺魔』、1972年
根岸吉太郎 監督『遠雷』、1981年
中島哲也 監督『下妻物語』、2004年
★「Camera-Eye Myth / 郊外映画の風景論」連載一覧はこちら。
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|プロフィール
佐々木友輔 Yusuke Sasaki (制作・撮影・編集)
1985年神戸生まれの映像作家・企画者。映画制作を中心に、展覧会企画や執筆など様々な領域を横断して活動している。イメージフォーラム・フェスティバル2003一般公募部門大賞。主な上映に「夢ばかり、眠りはない」UPLINK FACTORY、「新景カサネガフチ」イメージフォーラム・シネマテーク、「アトモスフィア」新宿眼科画廊、「土瀝青 asphalt」KINEATTIC、主な著作に『floating view “郊外”からうまれるアート』(編著、トポフィル)がある。
Blog http://qspds996.hatenablog.jp/
菊地裕貴 Yuki Kikuchi (テクスト朗読)
1989年生まれ、福島県郡山市出身。文字を声に、声を文字に、といった言葉による表現活動をおこなう。おもに朗読、ストーリーテリング中心のパフォーマンスを媒体とする。メッセージの読解に重きを置き、言葉を用いたアウトプットの繊細さを追究。故郷福島県の方言を取りあげた作品も多く発表。おもな作品に「うがい朗読」「福島さすけねProject」「あどけない話、たくさんの智恵子たちへ」がある。
HP http://www.yukikikuchi.com/
田中文久 Fumihisa Tanaka (主題歌・音楽)
作曲家・サウンドアーティスト。1986生まれ、長野県出身。音楽に関する様々な技術やテクノロジーを駆使し、楽曲制作だけでなく空間へのアプローチや研究用途等、音楽の新しい在り方を模索・提示するなどしている。主な作品に、『GYRE 3rd anniversary 』『スカイプラネタリウム ~一千光年の宇宙の旅~』『スカイプラネタリウムⅡ ~星に、願いを~』CDブック『みみなぞ』など。また、初期作品及び一部の短編を除くほぼ全ての佐々木友輔監督作品で音楽と主題歌の作曲を担当している。
HP http://www.fumihisatanaka.net/