【News】1/28&2/13 開催!「映画の現在」を七里圭監督とともに考える連続講座 『映画以内、映画以後、映画辺境 2nd』

七里圭『映画としての音楽』(14)

もう「映画」ではいられない? 「映画が“映画のようなもの”にすり替わっているような気がする」――『眠り姫』(07)がロングヒットを続ける異才・七里圭監督の中に生まれたあいまいな違和感をきっかけに、2014年2 月から開催されてきたディープな連続講座『映画以内、映画以後、映画辺境』が、いよいよ2nd シーズン後半に突入します!

フィルム映像がデジタル映像にとって代わり、インターネット上にあふれる動画を尻目に映画館の閉鎖が増える昨今、かつて自明だった「映画」はもはや無効化しているのでしょうか。いや、そもそも「映画」とは何なのでしょうか。そんな思いを抱えながら、七里監督と多彩なゲストらが 討論を重ねてきた本講座、昨秋始まった2nd シーズンの主題は「変わってきているのは映画ではなく私たちの方かもしれない、だとしたら…?」

この後半戦となる第 7・8 回では、マルグリット・デュラス、リュミエール& エジソンという映像史の根源に迫る試みを思い起こし、 小沼純一氏、大谷能生氏らを迎えて映画と私たちの「リアルの変容」について考えます。連続講座でありつつ、毎回異なるテーマを設け、1 回参加でも楽しんでいただけるプログラムです(過去講座の採録冊子もあり)。

「イメージがイメージを自己増殖するようなデジタル= ソーシャル環境で、見えるもの、聞こえるものの表現はどうなっている/いくのか」(七里)。この大がかりな問いにあえて向き合おうとする本企画は、映像表現の現在形に関心を持つすべての方々に開かれた「映画について考える」唯一無二のトーク&上映イベントです。

さらに今回、講座の開始前に七里監督最新作『映画としての音楽』(14)と『To the light 2.1』(14)の特別上映も決定!映画作品と講座のコラボレーションを堪能していただける機会です。

連続講座『映画以内、映画以後、映画辺境 2nd』

第7回「彼女の声が響くのは、そこに彼女がいるからとは限らない」
第8回「のぞき穴を見ている人に聞こえるリアルな音って、何?」

【日時】第7回 2015 年1 月28 日(水)/第8回 2015 年2 月13 日(金)
    両日とも20 時開演(19 時半開場)
【会場】アップリンク・ファクトリー(東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル)
    Tel.03-6825-5503 Web http://www.uplink.co.jp/
【料金】講座のみ:各回1200 円(上映は別途1500 円)
    講座+上映1 回セットで特別価格2000 円
主催:charm point
助成:アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
http://keishichiri.com/jp/events/lecture_eiga_2nd_02/

【企画詳細&登壇者プロフィール】

第七回「彼女の声が響くのは、そこに彼女がいるからとは限らない」
~デュラスはサウンドトラックと映像をどのように考えていたか?~
出演:小沼純一×吉田広明×七里圭

小説家であり、声(音)と姿(映像)の表現の極北を行く映画作家でもあったマルグリット・デュラス。目にしている空間(現在)と、語られている内容(過去)が混じり合い、今そのものでも過去そ のものでもない時空間が開かれてゆく彼女の小説=映画的時空間を分析することで、サイバー環境が 蔓延した今日的なリアルへの指標を探る。
※関連作品の参考上映あり

小沼純一(音楽文化研究・批評家・詩人)
1959 年生まれ。早稲田大学文学学術院教授。坂本龍一総合監修による音楽全集「schola(スコラ)」シリーズの選曲・執筆にも携わる。近著は『映画に耳を 聴覚からはじめる新しい映画の話』(DU BOOKS)。訳書にミシェル・シオン『映画の音楽』(みすず書房・共同監訳)、マルグリット・デュラス『廊下で座っているおとこ』(書肆山田)など。

吉田広明(映画批評)
1964年生まれ。著書に『B級ノワール論』、『亡命者たちのハリウッド』(共に作品社)。雑誌「キネマ旬報」、WEB サイト「映画の國」、劇場パンフレット等のメディアに時折寄稿。さらなる書下ろし書籍を執筆中だがいつ終わるか分からない。


第八回「のぞき穴を見ている人に聞こえるリアルな音って、何?」
~リュミエールからエジソンへ揺れる映画史を再起動する~

出演:大谷能生×荻野洋一×七里圭

声や音楽ではなく、物音はいつ映画に合流したのか? 縦長スクリーンがいまだに定着しない理由は あるのか? リュミエール/エジソンという映画の二つの傾きに立ち戻って、歴史の盲点を検証しつつ、20世紀に進展した視聴覚の分断/再統合の意味と現在の変容について考える。
※関連作品の参考上映あり

大谷能生(批評家、音楽家)
1972年生まれ。ジャズ(サックス)、エレクトロニクス、ラップ、朗読など、多数のバンドに参加し幅広い演奏 活動を行っている。近年は舞台作品の音楽制作・出演も多数。著書に『東京大学のアルバート・アイラー』、『アフロディズニー』(菊地成孔との共著)、『貧しい音楽』、『持ってゆく歌、置いてゆく歌』など。

荻野洋一(映像演出、映画評論)
1965年生まれ。横浜国立大学非常勤講師(映像論)、元『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』編集委員。ハンドルネーム「中洲居士」等で文化事象全般へ目配せするブログを続ける。雑誌『nobody』で短期集中連載「衆人皆酔、 我独醒」がスタート。 http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi/

【特別同時上映】 

『映画としての音楽 screening version』
(2014年/56分/HD)

監督:七里圭/テキスト:日夏耿之介訳「院曲撒羅米」(オスカー・ワイルド作「サロメ」)/音楽:池田拓実、さとう じゅんこ、徳久ウィリアム、山崎阿弥、sei、山形育弘、古賀彰吾、今藤哲平、長宗我部陽子、飴屋法水 他

「映画を音から作り始める」試みとして、2014年4月26日 に七里圭が仕掛けた一夜限りの実験的ライブ。それは、総 勢12名の歌、謡、語り、叫びが怒号のように渦巻く、スクリーンから空間へ映画を解き放つ儀式であった。これはその記録映画ではない。まだ目覚めぬ映画を呼び覚ます声と 響き。やがて全貌を現すだろうそれを予見する、映画としての「映画としての音楽」である。

『To the light 2.1』
(2014年/ 14分/ HD)

監督:七里圭/撮影:高橋哲也/音楽:池田拓実/人形:清水真理/出演:古賀彰吾

手足を失った裸の少女人形は、よせては返す夢想の海を被覆する…。バージョンアップを続ける『To the light』は、像についての想像と考察である。最新バージョン「2.1」は、8㎜フィルムの荒い粒子が際立 つ「1.0」と、それをデジタル・プロジェクションで重ね合わせた「2.0」を連結して作られている。

【七里圭監督プロフィール】
1967年生まれ。劇場公開長編映画として『のんきな姉さん』(04)『ホッテントットエプロン-スケッチ』 (06)『眠り姫』(07)『マリッジリング』(07)を監督。建築家・鈴木了二と共作した短編映画『DUBHOUSE』 (12)で2013年25FPS国際映画祭グランプリ受賞。多次元立体音響システムであるアクースモニウムを用 いた上映パフォーマンスや連続講座『映画以内、映画以後、映画辺境』の企画など、既存の映画製作にとどまらない試みにも取り組んでいる。