【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜中野理惠 すきな映画を仕事にして 〜 第12話 text 中野理惠

開拓者(フロンティア)たちの肖像
〜中野理惠 すきな映画を仕事にして

<前回(第11話)はこちら>

1987年頃。抱いているのは猫の宙(そら)さん

第12話 株式会社パンドラ誕生

初版があっという間に売れた理由

1987年12月24日の朝、大手取次会社である日販の重役5人(だったと思う)が揃って、「東京ママおたすけ本」を取扱いたいと、現代書館に現れた、と電話の向こうで、現代書館の営業部長の金岩さんが興奮している、と宮重が説明するではないか!

「日版の副社長だか、社長の奥さんが、朝、日経新聞(前話を参照)を読んで、<あなたの会社はこういう本こそ扱わなきゃいけないのよ>って言ったんですって」

「東京ママおたすけ本 お母さんが元気に働く本」は、東京都内限定の情報本であることを理由に東販や日版で扱ってもらえない、と現代書館の営業担当者が嘆いていたのを聞いていた。そのような事情もあったので、宮重を筆頭に、私たちはセールスに歩いていたのだ。

会ったこともない<奥様>のおかげで、本はめでたく取次で扱っていただき、「日経新聞」効果も重なり、あっという間に一万部が完売して増刷となった。

日経新聞の反響

他にもこの記事の反響は大きく、自分たちも作りたいという各地の女性や、記事にしたいというマスコミなど、さまざまな人や組織から問い合わせが相次いだ。日本で三本の指に入る大手ゼネコンの重役から、ある日電話があり、会ったところ、企画中の情報提供の端末作成を手伝ってくれないか、と言う。だが、それは情報を提供するお店や会社から掲載料をもらう、つまり、私たちのように、スポンサーなしで、自分たちで<よい>と判断した情報を紹介するのとは真逆だ。なので、丁重にお断りした。

増刷した二千部も売り切れになりそうになり、現代書館から三刷りを提案された。だが、最初の取材から一年以上経過することになり、再取材が必要だと思った。情報本のキモは最新であることなので、躊躇なく、三刷りを断った。なぜなら、再取材のパワーと資金が残っていなかったからだ。

横浜市女性協会による、女性のための再就職プログラム

「東京ママおたすけ本」の時期と重なるのだと思うのだが、横浜市女性協会の桜井陽子さん(現在は全国女性会館協議会理事長)から、女性の再就職についてのビデオ製作を依頼された。

「映画の配給と製作とはノウハウが違うからできない」

「いいじゃないの、似たようなものよ」

と彼女は引き下がらない。強引に頼まれるとイヤと言えない伊豆気質が、私には染みついている。

「しょうがないわねえ、いいわよ。誰かに教えてもらってやってみる」

と引き受けてしまい、以後5年間、このプログラムを引き受けた。この受注業務も面白くて、最終的に53作品製作し、おしまいには、自分で脚本から演出まで担ってしまったばかりではなく、横浜市女性協会以外からの受託製作も、手掛けるようになったほどである。

株式会社登記

 契約段階で、桜井さんが「会社でないと契約しにくい」と言う。

「ならば会社登記をしよう!」

有限会社のつもりだったところ、佐藤紀子さんが

「株式会社の方がカッコいい」

と言う。

こうして、今に至る株式会社パンドラの誕生となった。いい加減なものだ。会社勤めを辞め、ニューヨークに行った一年前には、会社を経営することになるとは、全く考えてもいなかった。

パンドラ・カンパニー名で活動していた時期は、一年間もなかったのだが、その後、二十年以上も、<パンドラ・カンパニー>と呼び続ける人が一人だけいる。

ある日「朝日新聞」記者の松井やよりさんの紹介で、イソ弁(居候(いそうろう)弁護士、の略。法律事務所に雇われて働く新米の弁護士)になりたての若い女性が、<夫婦別姓>の活動についての相談で、パンドラのボロオフィスを訪ねてきた。気が合って、後に一緒に本も出版した。初対面の時に

「あなたは政治家に向いている」

と私が言った、と彼女は後に何度も、「でもゼッタイにならないからね」と加えながら言っていた。だが、数年後、実際に政治家になった。前社民党党首の福島瑞穂さんである。彼女だけは、今でも「パンドラ・カンパニーの中野さん」と、私を紹介するのである。

福島瑞穂さんとの共著「買う男買わない男」(1990年/現代書館

 「東京ママおたすけ本」の後日談

まず、山のような校正ミスをだした。実際にお詫びに行ったこともある。名前は覚えていないが、謝った後に、お手紙を頂いた記憶だけは残っている。購入してくれた人々に申し訳ないと思い、「校正表を挟めばいい」、という現代書館の菊地社長の助言を聞かず、間違い部分に正確な情報を貼り付けることにした。宮重が毎日、現代書館に通い、校正貼り作業をしてくれた。なのに、宮重をガミガミと怒ったために、彼女は退社してしまった。現代書館の菊地社長には、この件で強く意見されたが、後の祭りである。二年後、出戻ってくれた彼女から言われた。

「あの頃、十円ハゲが出来ていたのよ」

さて、「東京ママおたすけ本」を、日経新聞以外で取り上げたマスコミの中に、とんでもないキャッチを、電車の中吊り広告に付けた週刊誌があった。正確な記憶ではないが、<「おたすけ本」で3千万円儲けてウハウハ>というような内容だったと思う。勿論、激怒して編集部に怒鳴り込んだ。この一件も思わぬ出会いに繋がっていく。

(つづく。次は7月15日に掲載します。)


中野理恵 近況 
<Viva!イタリアvol.2>はヒューマントラストシネマ有楽町で開催中!今年は5月から8月まで公開作品が続き、少々疲れました。
neoneo_icon2