【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜中野理惠 すきな映画を仕事にして 〜 第11話 text 中野理惠

開拓者(フロンティア)たちの肖像
〜中野理惠 すきな映画を仕事にして

<前回(第10話)はこちら>

「東京ママおたすけ本」取材の頃。どこで何の機会の写真かは不明だが、1987年4月5日と書いてある

 第11話 「東京ママおたすけ本 お母さんが元気に働く本」のきっかけ

「東京ママおたすけ本 お母さんが元気に働く本」の企画は、たまたま会った大学の同級生の妻の一言から始まったものだ。美大を卒業して結婚前はデザイナーをしていたという彼女は出産直後だった。1986年11月のことである。

「毎日、赤ん坊と二人だけでマンションにいて、誰とも喋らない日があると、アタマがおかしくなる。そういう時は、ホテルのベビールームに赤ん坊を預けてテニスや買い物に行くの」

と初対面の私に向かって言う。

子育ての社会化

日本では子育ての社会化が進まず、個人の行為に帰されている、と日ごろから思っていた。人間の赤ちゃんや子どもは、一人では何もできない。犬や猫とは異なる。一日24時間、ほぼ15年間近く、大人が傍らについて世話をしなければならない。それを一人で担うのは不可能だ。子供は泣くし、しょっちゅう熱を出す。それが子供の仕事のようなものだ。そうやって誰もが大人になる。だが、付き合う方の忍耐は並のことでない。母親がイライラするのは当然である。そして、その気持ちは子供にも伝わる。泣く子をひっぱたく気持ちは理解できる…云々、とさまざまに考えて、企画した。役立つ日常の情報提供を主眼とすることは最初から決めてあった。人生指南のお説教は、目先に今、迫っている事態に対処できない。

「東京ママおたすけ本」のコメントページ。詩人の伊藤比呂美さんに書いていただいた※クリックで拡大します

ベビーカーの車内持込み

ところで、今ではベビーカーを電車に載せることが日常風景として定着しているが、その実現には、1970年代のリブ運動があったことも殆ど知られていない。田中美津さんたちが相当頑張ったのだ!それどころか、「東京ママおたすけ本」発行から30年近く経つというのに、働く女性の子育て支援や、男性の育児休暇取得などが、今でも、マスコミでしょっちゅう話題となっている。そんなことを見聞きするにつれ、「私たちのしてきたことは何だったんだ」と、虚しくもなるが。


「東京ママおたすけ本 お母さんが元気に働く本」の取材と編集

まず、全員が妊婦になり、東京都内43か所の福祉事務所と、区役所保育課の窓口を取材した。スタッフはビッキーさんに、二人の娘の子育て中だった宮重に加えて、木村まりさん、相良吏美さん、佐藤紀子さんがいた。対応はさまざまだった。このことについては当時、「日本経済新聞」に詳しく書いた。小さくなるが、図書館で見つけたので掲載させていただき詳細を省く。記事を読み返すと、書き溜めた原稿を間違ってゴミ集めに出してしまった、と書いてあるが覚えていない。

「日本経済新聞」に掲載された記事 ※クリックで拡大します

宮重の交通事故とハム

取材や編集過程で忘れられない出来事は、宮重の交通事故、電話帖を頼りに池袋のベビーホテルを一時間以上も探して辿り着いた事、当時は日野市が最も子育てへの配慮が行き届いていたこと、山のような校正ミスを出したこと等だろうか。

一所懸命だった宮重が、ある朝自転車で駅に急いでいて車と衝突してしまったのだ。不幸中の幸いで命に別状はなく入院もしなかったと思う。顔に包帯を巻いて「ごめんね」という彼女に対しては、申し訳ない気持ちで一杯になった。お見舞いに一度、木村まりさんに行ってもらったことがあり、その時のことはよく覚えている。主婦が動けなくて一番大変なのは家族の食事だ。

「あなたはケチ?」と聞くと、元気いっぱい力を込めて

「はい、ケチです!」

「ならば、これまで買ったこともないほどの高いハムを、銀座の松屋で買って持っていって」

まりさんは元気よく出かけた。後に宮重から言われた。

「あれを食べてからは娘たちが安いハムを食べてくれなくて困った」

他にも後日談は多い。


子連れ出勤の編集者

山のような取材記事をまとめてくれたのは、当時フリーで集英社の女性誌「LEE」を編集していた、離婚した夫同士が友人で知り合い、親しくなっていた大野邦世さん(故人)だ。ちなみに、邦世さんの名前は熱烈な共産党員だったお父さんが、ソビエト連邦の時代が来ることに思いを込めて命名した、と聴いている。彼女はその数年前に国会で問題になった「ポップティーン」の編集者として、また、息子の子連れ出勤でも名を馳せていた。こうして書いていると隔世の感がある。


社名協議

さて、「東京ママおたすけ本」の編集者名はパンドラ・カンパニーとなっているから、社名協議はその前だったのだろう。候補は数百もあった。相良さんの考えた<オフィスくのいち>もなかなかだった。私はまず、<めしの種社>を挙げたところ、島田ゆかりさんから「銀行で<めしのたねしゃさ~ん>って呼ばれたら、みんなに見られて恥ずかしい」と言う。ならば、と次の提案は<株式会社新富町>だった。㈱銀座や㈱築地でなく、㈱新富町だからいい。映画がスクリーンに映し出され、配給会社名がバーンと<㈱新富町>と出た時を考えると楽しくなるではないか。MGMのライオン、FOXのサーチライト、東映の岩に砕ける波、松竹の富士山にも匹敵する!と思ったのは私一人だった。相当粘ったが、受け入れられず、揉めに揉めて決まらない。

「じゃあ、パンドラの匣の言い伝えから取ってパンドラは?」

全員賛成で、仕方なく決めた。会社登記はせず、パンドラ・カンパニーと名のった。だが、今でも㈱新富町に心が残っている。

さて、紆余曲折を経て、無事発行にまでこぎつけられ、皆で出来上がった本を手に、書店を一軒ずつ歩いてセールスする日々が始まっていたある朝、とんでもない電話が発行元の現代書館から、かかってきた。

(つづく。次は7月1日に掲載します)

中野理恵 近況
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