【Interview】乱交するヴィジョン――ルーシァン・キャステーヌ=テイラー+ヴェレナ・パラヴェル監督が語る「ハント・ザ・ワールド ハーバード大学感覚民族誌学ラボ傑作選」 text 萩野亮

6月12日より渋谷シアター・イメージフォーラムにて公開中の特集上映「ハント・ザ・ワールド [ハーバード大学感覚民族誌ラボ 傑作選]」では、人類学者にして映像作家である6名による4作品が上映されている。

『モンタナ 最後のカウボーイ』(2009/イリーサ・バーバッシュ+ルーシァン・キャステーヌ=テイラー)は、モンタナの羊飼いの240キロにおよぶ最後の冒険を記録し、『ニューヨーク ジャンクヤード』(2010/ヴェレナ・パラヴェル+J・P・シニァデツキ)は、都市の裏面にある自動車部品の集積地にある機械と人間が織りなす風景を取材する。『リヴァイアサン』(2012/ヴェレナ・パラヴェル+ルーシァン・キャステーヌ=テイラー)は、黒い海と機械と人間の荒々しいアンサンブルを複数の超小型カメラGoProで撮り、『マナカマナ 雲上の巡礼』(2013/ステファニー・スプレイ+パチョ・ヴェレズ)は、ネパールの山上にあるマナカマナ寺院へのロープウェイによる巡礼を16ミリカメラで収めている。

これら4作品のいずれもが、既存の映像人類学にも映画にも収斂しない、まったく新しい世界の像をのぞかせてくれる。

本特集の公開、およびいくつかの新作の撮影のために来日していたルーシァン・キャステーヌ=テイラーさんとヴェレナ・パラヴェルさんに、4つの作品に共通してあるものについて聞いた。

[取材・文=萩野亮(neoneo)●通訳=藤岡朝子さん●撮影=大塚将寿]

 

PROFILE

ルーシァン・キャステーヌ=テイラー Lucien Castaing-Taylor
ハーバード大学感覚民族誌学研究所のディレクターであり映像作家。後期旧石器時代以降の人間と動物たちとが1万年ものあいだ育んできた不安定な関係、同時にアメリカ西部開拓時代についての非感傷的なエレジーである『Sweetgrass』(共同監督Ilisa Barbash 、2009)、西部劇が喚起する田舎の魅惑やその両義性についてのヴィデオ・インスタレーションと写真のシリーズ『Hell Roaring Creek』(2010)、『The High Trail』(2010)などを発表。他にトランスナショナルなアフリカ美術市場における正統性や鑑識眼、人種間の政治学を問う民俗誌のヴィデオ作品『In and Out of Africa』(共同監督Ilisa Barbash、1992)や、ロサンゼルスの衣料品製造業における児童労働と搾取工場を映した『Made in USA』(共同監督Ilisa Barbash、1990)などがある。

ヴェレナ・パラヴェル Véréna Paravel
ハーバード大学感覚民族誌学研究所に所属するフランス人映画作家、人類学者。彼女の作品は、ボストン、パリ、ニューヨークのギャラリーで上映され、ニューヨーク近代美術館の常設コレクションに収蔵されている。これまで『Foreign Parts』(J. P. Sniadeckiと共同監督、2010)、『Interface Series』(2009-10)、『7 Queens』(2008)などを発表。『Foreign Parts』は2010年ロカルノ国際映画祭で最優秀初長編・審査員特別賞、2011年プントデヴィスタでグランプリを受賞。ニューヨーク・タイムズ批評欄の推薦リストに選ばれ、2010年ニューヨーク映画祭と2010年ウィーン国際映画祭に正式招待された。現在パリのSPEAP (School of Political Arts)マスタークラスの教員であり、ハーバード大学でも人類学を教えている。

ルーシァン・キャステーヌ=テイラーさん(左)とヴェレナ・パラヴェルさん

|乱交するヴィジョン

――今回上映される4本のいずれもが、共同監督によるチームで撮られています。パンフレットに掲載された鼎談で「乱交ぎみのコラボレーション」という発言もされていますが、こうしたチームの編成というのはどのようになされているのでしょうか。

ヴェレナ・パラヴェル(以下VP) 『ニューヨーク ジャンクヤード』はわたしの長篇第一作で、その前に作った短篇も同じ場所で撮っています。最初はひとりで撮影に行っていたのですが、空間や人間関係を把握することがとてもたいへんでした。『リヴァイアサン』では、漁船のスペースはこれくらいで、船員が8人いて、ということをすぐに把握することができましたが、この作品の舞台であるジャンクヤードには何百という店があり、ひとつの村のようになっています。ラティーノや黒人など、人びとの出自も違っていますし、ギャングなどもいてなかには危険な場所もあり、通い詰めるうちにその歴史と人間関係を知っていきました。

1~2ヵ月ほどそうして通っていたところ、だんだん夜遅くにそこにいることに危険を感じるようになってきました。守ってやるよ、といってくれる男性もいましたが、機材を放置すればすぐに取られてしまうような場所です。それにいつも地面は泥だらけで、そこで重い機材を持たなければなりませんでした。誰かに協力してほしいと思い、最初はこの企画を応援してくれていたルーシァンに相談したのですが、彼はそのとき忙しく、叶いませんでした。

それでハーバードのラボにいるJ・P・シニァデツキさんのことを思い立ったのです。わたしは彼の作品を気に入っていましたし、ジャンクヤードのような、現場でときには酒もいっしょに飲まなければならず、エリートのような態度をしていてはとても入り込むことのできない場所に彼はうってつけの存在だと思いました。彼は中国でも撮影をしています。彼と現地へ一時間くらい遊びに行ったときに、この人なら大丈夫だと確信しました。

『ニューヨーク ジャンクヤード』 (c)Verena Paravel and J.P. Sniadecki

ルーシァン・キャステーヌ=テイラー(以下LCT) わたしたちは自分たちのことをアル中から回復中の人のように、「(既存の人類学から)回復中の人類学者」だとよくいいます。それと同時に、偶然アーティストになった人間でもあると思うのです。ほかのだれもがそうであるように、自分たちにもナルシスティックなところはあるし、自己中心的にものを考えてしまうこともありますが、少なくとも多くのアーティストや映画作家がひとつのスタイルをつらぬくことや、ほかのだれにもできない自分の世界を確立すること、――そうしてもてはやされて商品化されたりもするわけですが――、わたしたちにはそうした欲望がありません。

人間のアイデンティティは決してひとつではないことをわたしたちは承知していて、自己理解はあいまいでいつでも関係性のなかで変化してゆくとつねに思っています。いろんな関係性のなかで自分たちは変わりつつある存在で、ひとりの才人であるというような傲慢さをもってはいません。

人間同士、あるいは人間と人間以外の世界は、つねにバラエティのある関係性を結んでいて、「乱交ぎみのコラボレーション」ということに倣っていうならば、「乱交ぎみのヴィジョン」がたくさんのものの見方を肩代わりし、予測のできないことに対して自分たちがオープンでいられることを可能にしているのではないかと思います。そういう姿勢でいることこそが、世界の大きさやゆたかさを表現させるのではないでしょうか。

――『モンタナ 最後のカウボーイ』では、ルーシァンさんが山へ行っているあいだに、もうひとりの監督であるイリーサ・バーバッシュさんが町のようすを撮影されていたと聞きました。その素材はべつのかたちで活かされたのでしょうか。

LCT 使うか使わないかは考えずに、どんどん撮影していきましたが、結果的に編集の段階で落としました。編集で使わなかったのは、山のなかの一種異様な世界ではない、人間の文化のよく見られるようなことが映っていたからです。でもイリーサはそのフッテージを何か別の作品にしようと考えているようです。

『モンタナ 最後のカウボーイ』 (c)Ilisa Barbash and Lucien Castaing-Taylor

 

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