【Review】『嘘の色、本当の色 脚本家 荒井晴彦の仕事』 text 指田文夫

 荒井晴彦脚本の映画を最初に見たのは、1977年11月牛込文化での『続・レスビアンの世界・愛撫』『私のセックス白書・絶頂度』との曽根中生監督作品3本立ての『新宿乱れ町・いくまで待って』だった。新宿ゴールデン街の店で、内田裕也が「この町はみな過ぎ去っていく電車だ」という台詞は憶えている。その後、『水のないプール』『Wの悲劇』『『リボルバー』等を見たが、「結構気の利いた台詞を書く脚本家だ」と思ってきた。

1949年の黒澤明作品に『静かなる決闘』がある。戦地の事故で梅毒に感染した三船敏郎は、自分の責ではないことを告白し、「自分は梅毒さ、でも純潔なんだ」と悲痛に叫ぶ。これは、戦時中徴兵されず、逆に戦意高揚映画『一番美しく』を作った黒澤明の懺悔だと私は思う。カメラマン宮島義勇は、「東宝の森岩雄が徴兵延期を軍に言ってくれた」と書いているが、黒澤も森が『一番美しく』の製作との交換で、徴兵延期を軍に要請したのだと私は思っている。東宝は、『ハワイ・マレー沖海戦』はもとより、社内の航空教育資料製作所では、真珠湾攻撃の魚雷戦法のマニュアル映画を作った「軍需企業」であり、そのくらいの便宜は当然で、石井輝男も徴兵延期してもらったと言っている。1949年以降の黒澤作品の根底には、戦時中の戦争協力と自らの徴兵忌避への自己処罰、さらに『羅生門』を典型に「罪ある存在としての人間感」がある。また、小津安二郎の『東京暮色』では、長女原節子は、次女有馬稲子の自殺は、笠智衆らの家族を捨て、若い男に走った母親山田五十鈴の責任だと強く批難する。この原批難の意味は、昭和初期のサイレント時代には、自らも謳歌したアメリカニズムとモダニズムが、戦後の「太陽族」に代表される日本社会の混乱と退廃との源だったとする、小津安二郎自身の悔恨、自己処罰のに私には見える。

このように巨匠の作品の根源には、多くの場合、自己処罰や贖罪意識があるが、荒井晴彦にはあるだろうか。言うまでもなく、『新宿乱れ街』に描かれた1970年代の学生運動だろう。この本には、以後の脚本にも、本当かどうかはわからないが、そのときどきの荒井自身の家庭の事情が反映していると言っている。しかも、かなり直接的に。だが、それは良いことなのか、少々疑問に思う。黒澤明のごとく、本当のモチーフは深く作品の底に秘めて、容易には窺い知れぬようにした方が、作家の内的葛藤は高まり、良い作品になるからである。

スクリプター白鳥あかねの、日活撮影所があったからこそ、ロマンポルノが生まれたという説には賛成である。今村昌平の『エロ事師たち』、神代辰巳の『かぶりつき人生』、西村昭五郎の『競輪上人行状記』は、ほとんどポルノの玄関口まで来ており、扉が開かれるのは時間の問題だった。そうした実績のない東映で、ニューポルノを始めても上手く行かなかったのも当然なのである。 21世紀になり、さらに景気が悪化する中で、日本の文化を担えるのは、地方自治体と宗教系大学だと私は思っているが、川崎市教育委員会事務局の一部門の市民ミュージアムが、こうした本を出したことは、大いに評価できる。

 

【書誌情報】 

『嘘の色、本当の色 脚本家 荒井晴彦の仕事』
荒井晴彦 著  岩槻歩・土田環 編
発行:川崎市市民ミュージアム
販売価格:1500円(税込)

2008年に川崎市市民ミュージアムで上映した「脚本家 荒井晴彦」特集の際のトーク・セッションを全採録。新たに荒井氏や関係者への最新インタビュー、論考やエッセイなどを加え、脚本家・荒井晴彦の全貌に迫る。シナリオ『Wの悲劇』初稿収録。

お求めは川崎市民ミュージアムwebショップ

http://www.taikyo-s.co.jp/webshop/html/products/detail.php?product_id=242

 

※2012年9月29日(土)アテネ・フランセ文化センターにて出版記念イベントあり

「嘘の色、本当の色  脚本家 荒井晴彦の仕事」出版記念
 映画美学校脚本コース公開講座「脚本家の作法――オリジナルの在りか」

詳しくは→http://www.athenee.net/culturalcenter/program/k/kyakuhon.html

 

【執筆者プロフィール】

指田文夫 さしだ・ふみお

1948年東京大田区生まれ。大衆文化評論家。演劇評論家として1982年から、音楽雑誌『ミュージック・マガジン』に劇評を執筆中。著書に『いじわる批評、これでもかっ!―美空ひばりからユッスーまで、第7病棟からTPTまで ポピュラー・カルチャーの現在』など。