【Review】ただ、その愛のために- 『Maiko ふたたびの白鳥』 text 小松いつか

バレエダンサーの姿は、われわれ観客にどこか人間離れした印象を与える。彼らは時に儚くしなやかで、総じて美しい。舞台の上で地を蹴り軽やかに舞い飛ぶ姿からは重力さえも感じとることはできず、やがてしなる彼らの身体は物語を伝える音そのものへと変化していく。

『Maiko ふたたびの白鳥』は、ノルウェー国立バレエ団に所属しプリンシパルを努める西野麻衣子を追うドキュメンタリーである。プリンシパルとは、バレリーナの中でも主役を演じる団員のトップであり、西野は世界でも名高いこのバレエ団にとって初の東洋人プリンシパルとして注目されている。

舞台袖にスタンバイした彼女は、隈取りさながらに肌を白く隠し口紅を塗り、通常よりも濃いアイラインを引いたその目で眩いばかりにライトがあたるその中心を凝視する。

身を引き締める役割を与えられたタイツをパチンと鳴らすプリンシパルの姿は、闘いに備えるアスリートそのものであり、その気迫に満ちた表情には誰をも寄せ付けぬ強さが浮かぶ。

本作品に映し出されているのは、先に述べた儚く美しい姿とは異なる、常にバレエにおける表現を追いトップを欲する至極人間的な西野の姿である。

映画は幼少期の西野の「いつかプリマになる」という決意からはじまる。やがて言葉通りにプリンシパルとなった西野の姿が映し出される。相手役に誘われて舞台へ、金平糖の精と王子のパ・ド・ドゥが始まる。この世のものではない妖精の踊り、ゆったりとした音楽と共に彼らは呼吸をも忘れ軽やかに舞う。

「麻衣子は“踊るこども”の意味だ」

幼少期の記録に映る彼女の姿は、その言葉どおりいつも身体を動かしている。

西野は15歳で親元を離れロンドンのロイヤル・バレエ・スクールに留学。一生をかけたバレリーナへの道を支え続けていたのが家族の存在であった。そして、何よりも彼女の目標であり永遠にその背中を追い続けるただ一人の女性が、西野自身の母親だ。

本作品はプリンシパルである西野の妊娠・出産、そして舞台への復帰が母親との関係を中心に描かれている。西野の母親は彼女が乳児の頃からすぐに仕事に出ねばならず、その後もバリバリのキャリアウーマンとして夫と共に家計を支えてきた。西野にとって母親の“喝”はエネルギーとなり、彼女のハングリー精神の源となっている。

彼女を信じて支え続けた家族のエピソードは誰もがその胸に抱く、郷里の懐かしい匂いを思い起こさせる。いつの時代にも誰の心にも母なる存在の声が、前へと進む原動力として背筋を刺激する。そのようにして、あたたかな支えを得て舞台に立つ西野の凛とした佇まいには共感を覚えざるを得ない。

しかしながら、作品の中に描かれた西野の姿は一般的な女性のバイブルとして、そして皆が憧れるキャリアウーマンとしての肖像では決してない。作品の中で幾度となく彼女が口にする「キャリア」とは、彼女の研ぎすまされた身体を形成した人生の時間であり、ぶれることのない日々の連鎖を表している。

「キャリアは続けなくては、代わりはいくらでもいる」

プリンシパルを努めることは西野にとって人生と生命(いのち)をかけた、たった一つの道である。だからこそ忍耐強く日々を続け、積み上げることで以前にも増して高いレベルを実現する。妊娠・出産を経ても変わることのない体力と精神力は並大抵のものではない。

従って本作品の魅力は、彼女が自分自身の計り知れない才能と純粋に向き合うことの厳しさと尊さを目撃することにある。また彼女の姿は誰もが挫折という経験によって忘れてきてしまった、過去に残る自分と夢とを思い起こさせる。

時に人は他人のもつ能力をうらやむが、才能というものは実は誰にでも備わっているものであるはずだろう。多くの人が見失うのは、自身の才能に恐れることなく向き合い打ち勝つことで先へと突き進む、その力の方だ。本作品に映し出された西野にわれわれ観客は、あの頃突き進むことを諦めなかった自身のもう一つの姿をみる。

「常に強い向上心をもち頂点を目指さなくては‥正確には競争心というよりハングリー精神ね、それが不可欠よ。ただじっと待っていてもトップにはたてない」

西野にとって日々の生活が闘いであり、その自分自身に向き合う力は誰にも真似することはできない。この精神力こそ、彼女が唯一無二のプリンシパルである所以だ。

また本作品は、バレエが単純に美を表すものではないことを知らせる。

西野の日々はバーレッスンから始まる。バレエには基本のポジションがあり、ダンサーたちはポジションを身体でなぞることで自身の内にある軸を正す。そのようにして、華やかに舞う彼らの日々は地道だからこそ過酷な身体の調整から成っている。この調整が出来ていなければ舞台に立つことはおろか、振り付けを覚えることすら許されないだろう。彼らにとって舞台の上で浮き立つ身体を表すことは、決まった動作をくりかえし、くりかえし、くりかえして極限にまで追い込むことで細かな型をなじませる鍛錬の賜物なのである。

西野は人間の身体を深く追求する一人のアスリートとしての女性そのものだ。彼女の姿から、バレエが身体の内にある人間の核となる部分を、極限の状態で表出するものであることが明らかとなる。バレエとは人間の身体がポジションという型の微細な連続によって、超越した生命の鼓動を表す芸術なのである。舞台上での姿はもちろんのこと、本作品の中で繰り返し映し出されるレッスンの風景を美しいと思う瞬間が幾度もある。バレエの基礎ポジションは人間身体の滑らかさを表す要だ。

西野の足が細やかに、そして繊細に床を離れる。多くのバレエダンサーの中でも彼女の動きは無駄を感じさせることがなく、その軸は常にピンと延びていながらもしなやかである。このしなやかな動きが精神と調和し、身体が一つの楽器となる。

更に舞台という物語を奏でる時、型(ポジション)を組み合わせた舞いが彼らの身体を響かせる。われわれはその姿にこそ美を感じる。つまり、日々の鍛錬によって研ぎすまされた身体が彼ら自身を解き放つ軸となることで、バレエという芸術は成立するのである。その世界に向かうためには一般に捉えられた美しさとはかけ離れた、容赦のない痛みも伴われる。また、それぞれのダンサーにかかる重圧もあるだろう。

そのことは、妊娠中の西野にみてとることができる。ゆっくりとプリエをする彼女の視線の先には、産休中にプリンシパルを努める若手のダンサーがいる。西野の妊娠は彼女にとってプリンシパルの座を逃すかもしれないという危機である一方で、トップを目指す若手にとっては大きなチャンスでもある。バレエの世界を常に引き締める、残酷な感情が垣間見える。

しかしながら一度舞台に上がったダンサーは、彼らの内に蠢く“私”という人間性をいっさい取り払って舞うことを強いられる。また、ライトの下で奏でられる身体の旋律は、強さを保たなければ解き放たれることはない。繊細な身体の動きは強さを秘めるからこそ、より光輝くことができるのである。

このように、内に秘めた様々な感情を含めた“私”であることの強さと、その人間性から逸脱しようとする身体の動きとの究極の駆け引きがバレエにおける美だといえよう。

西野の復帰作である「白鳥の湖」は、バレエ作品の中で最も難易度の高い物語と言われている。プリンシパルはオデット(白鳥)とオディール(黒鳥)の一人二役を演じきらなければならず、オディールの見せ場である32回転のグラン・フェッテは実力を問われる大技だ。西野はこの大役を「バレエ人生最大の夢」と語り、その夢に向かうべく産後の身体に鞭をうつ。

産後の母体は骨盤のずれや子宮の伸縮をおこしているため、身体の軸を元の状態に戻すだけでも相当な痛みが生じる。それに加えて西野はバレリーナとして、自身の身体を鍛えなおしていくのである。トレーニングを始めた彼女の姿には一つの迷いも感じられない。常にトップでありつづけることへの欲望、母でありバレリーナであるという喜びそしてプライドが彼女を突き動かしている。

物語のラスト、オデットと王子は彼らの愛を永遠のものとするために自らの命を絶つ。彼らにとって愛とは永遠の生命そのものである。愛にたいするひたむきさは、図らずも西野のバレエ人生と重なる。

「その時が来たら選択の余地はないの、前に進むだけ」

生命をかけて望むことにたいして最適な時などない。今この瞬間を生きること、自身と向き合いぶつかりそして表現すること。その純粋さこそ、西野がバレエによって感じることのできる確かな生命の軌跡であり、愛の姿なのだ。

西野が演じる白鳥と黒鳥に共通する魅力は、西洋的なしなやかさとは違った鶴のように細やかな舞いにある。一つ一つのポジションの繋ぎは途切れることなく小気味良く連なり、やがてわれわれ自身も数奇な運命を遂げる愛の物語へと誘われていく。彼女の姿に美しさを感じる理由は、誰かを愛し死をも厭わぬ白鳥の姿を、西野自身が一種の希望として捉えているからではないだろうか。

人間にとってただ自分を信じ続けること、そして越えてゆこうとすることほど難しいことはない。しかしながら西野にとってそれは当たり前の日常でもある。そんな彼女の日常の全てはバレエにあり、支えてくれる家族と共にある。

だからこそ彼女は迷いや弱さを振り払い、また舞台の中心へと向かう。時に儚く繊細にまた純粋で大胆に、そして何より力強くその身体を保ち形成し続けているもの、ただその愛のために西野は今日も踊り続ける。

【映画情報】

『Maiko ふたたびの白鳥』
2015年/ノルウェー/70分/英語・ノルウェー語・日本語)

監督:オセ・スベンハイム・ドリブネス
出演:西野麻衣子
配給:ハピネット/ミモザフィルムズ

公式サイト→http://www.maiko-movie.com/

2月20日(土) より ヒューマントラスシネマ有楽町、 YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー

 【出演者・監督プロフィール】

出演:西野麻衣子 Maiko Nishino

大阪生まれ。
6歳よりバレエを始め、橋本幸代バレエスクール、スイスのハンス・マイスター氏に学ぶ。
1996年、15歳で名門英国ロイヤルバレエスクールに留学。1999年、19歳でオーディションに合格し、ノルウェー国立バレエ団に入団。2005年、25歳で同バレエ団東洋人初のプリンシパルに抜擢される。同年、『白鳥の湖』全幕でオデット(白鳥)とオディール(黒鳥)を演じ分けたことが高く評価され、ノルウェーで芸術活動に貢献した人に贈られる「ノルウェー評論文化賞」を受賞。2008年4月に新国立オペラハウスのこけら落とし公演で主役を演じた際には、ハーラル5世ノルウェー国王のご臨席も賜った。2009年には同年新設されたトム・ウィルヘルムセン財団オペラ・バレエプライズを授与された。現在も同バレエ団の永久契約ダンサーとして精力的に活躍中。

監督:オセ・スベンハイム・ドリブネス Åse Svenheim Drivenes

1977年、ノルウェー北部の都市、トロムソ生まれ。
2010年、ドキュメンタリー映画“Our Man in Kirkenes” で監督デビュー。同作はノルウェー国営放送(NRK)とフィンランド国営放送(YLE)で放映された。2013年には“I am Kuba”が世界的に権威のあるドキュメンタリー映画祭、国際ドキュメンタリー・フェスティバル・アムステルダム(IFDA)で上映された。本作は彼女にとって初の長編ドキュメンタリーである。

【執筆者プロフィール】

小松 いつか(こまつ いつか)
多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科卒業、立教大学現代心理学研究科映像身体学専攻博士後期課程在籍中。芸術における身体、生命身体論を中心に研究中のほか映像(フィルム)・短歌・詩などの制作を行う。
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