【Report】 ゆふいん文化・記録映画祭 90年代「回想」の作品たち text 細見葉介

 


今年6月に行われたゆふいん文化・記録映画祭。15回目となるこの映画祭、過去3回の鑑賞経験からすると、「小規模」であり、かつ「安定」していることが特徴だ。会期3日間の上映会場は一カ所で、山形国際ドキュメンタリー映画祭と比べるとずっと小さい規模だが、その分、こぢんまりとした雰囲気で「映画祭」の「祭」の比重が大きい。夜には、山形でいうならば香味庵の代わりに、上映会場とは別の小さな公民館で、観客・関係者入り乱れての懇親会が開かれる。地元保存会による神楽の披露や商工会の若手の焼きそば、焼き鳥などの販売もあり、ブルーシートへ車座になって、紙コップで酒を飲む。この雰囲気、なんだか祭の直会に参加した気分である。だから観客と製作者、講演者、運営スタッフの距離は山形よりも近く、山形とは違う楽しみ方ができる。

2年ぶりに訪問した今回は、計15本上映のうち7本しか観られなかったが、私にとっていちばんの収穫は、バブルを挟んで大きく移り変わった1990年代を改めて回想できたことである。きっかけとなった、3つの作品について書きたい。

まず挙げたいのは、2日目の夜上映された、新潟放送が制作した1996年のテレビドキュメンタリー『続・原発に映る民主主義 ~そして民意は示された~』だ。新潟県巻町での原子力発電所建設のための町有地売却をめぐる、住民投票実施までの騒動を描いた作品だ。実施当時、私は小学生だったので、政治にも興味はなく初めて知った事柄がほとんどだった。もし由布院でこのドキュメンタリーが上映されなければ、ずっと、知らないままだっただろう。

地方分権はすでに叫ばれていたが、全国的にも例のなかった「住民投票」を実施させようと考えた住民達。実施派を当選させて町議会の過半数を占めるに至るが、多数派工作により転向する議員が続出。民主主義とは何なのか試行錯誤が繰り返され、住民投票条例が成立すると、それまで全く住民に説明をしてこなかった国や電力会社が急に町に押し掛け、説明会や懇親会、原発見学ツアーなどを開催する。

住民投票については公職選挙法の対象とならず、説明会や懇親会という名の飲食が催され、出てきた参加者は待ち構えていた記者から次々と「会費はいくらでした?」というインタビューを受ける。「3000円」「1000円」と、答えはバラバラだ。このコメディードラマのようなドタバタ展開に、上映会場からは何度も笑いが起こった。取材姿勢は冷静で、過剰な演出はなく落ち着いた構成だが、カメラは容赦ないし、取材される側も逃げず気取らず、純朴に応じてしまう。今では、表向きにこのような露骨な接待はできない代わり、突撃での取材もまた困難だろう。とにかく顔が見えるのが特徴だ。ぼかしたり声を変えたりはしない。90年代といっても、政治家の姿勢や取材応対は現在とかなり異なり、こうした取材を進めるには「いい時代だったんだな」というのが率直な感想だった。   

住民投票は行われ、投票率88%、反対票は61%という結果が出て、原発建設は後に凍結される。住民投票派の住民が町長として当選するし、住民運動には何人かの中心人物がいるものの、この作品には分かりやすいヒーローは存在しない。町民の一人一人が議論を積み重ね、また地域社会の分裂を懸念しつつ葛藤した末、住民投票を実現させていく記録なのだ。インタビューされた住民の1人は「そこら中に喧嘩の種を蒔いている。人間の心が、原発以上に恐ろしい」と話し、投票に不安を感じていた。そうした経緯が丹念に描かれていて、誰かに過剰な期待をかけることもない。

これは近年流行している、いわゆる「劇場型首長」とも異なった「苦悩する」タイプの直接民主制のあり方を示していた。住民投票はこの巻町の経験を経て浸透したが、2000年代になって各地でさまざまな問題を解決する突破口に用いられたのは、こうした住民達の議論や葛藤ではなく、分かりやすい結論と、ヒーローのような「劇場型首長」だった事実……この作品の時代と現在の間には、はっきりとした断絶がある。

断絶といえば、3日目に上映された有人潜水調査船の「しんかい6500」を描いた2つのドキュメンタリーの対比もまた、強烈だった。1本目は、産業映画・科学映画の要素が詰まった『大いなる海のフロンティア ~しんかい6500~』(1990年、三菱重工業製作)。水中の生物の美しい描写とともに、「しんかい6500は、新しい人類の未来を切り開いて行くだろう」というダイナミックなナレーションに代表される、バブル全盛期の進歩主義に貫かれた作品だ。希望にあふれ、日本の科学技術最先端を謳歌している。小学生の頃、よく行われていた博覧会や、科学館などに見学に行くと上映していたような映画である。わくわくするような未来……思い出してみれば確かにあの時代、幼な心にも全ては進歩し続け、未来は無根拠に明るく開かれていた。

その後の不況で、日本の海洋研究は停滞した。311後に作られたばかりの『有人潜水調査船 しんかいの系譜』(2011年、海洋研究開発機構製作)は、まさに失われた時代の憔悴の記録である。しんかいの記録は塗り替えられることはなく、技術継承の危機に瀕している中、かつての記録達成に携わった団塊世代の心情を軸に描いたものだ。同じテーマであるのに、切り口が産業映画・科学映画のような技術中心から、「プロジェクトX」に代表される人物ドラマ型のドキュメンタリーへ変わっているのも興味深い。海洋研究の危機を打開したいというメッセージはよく伝わってきたものの、二度と、バブル期や高度成長期の華々しさには戻ることはできない、という無常の境地を暗示しているようにも見えた。  

この2作品の落差は大きく、続けて上映した主催者のセンスに敬服する。このような断面の比較・対照は、年表の上に並べられた事実からは分からない変化をハッキリと伝えてくれる。もし1990年代生まれの世代に「バブルとは何か」を伝えたければ、この2作品を上映するのが非常に有効ではないか。巻町の住民投票の記録も、現在の同じような問題、住民投票や劇場型首長の様子を描いたドキュメンタリーが併せて上映されれば、別の発見も出て来るだろう。

他のプログラムでは、樋口源一郎監督の原発建設の記録映画『岩礁に築く発電所』や、土井敏邦監督の最新作『飯舘村 ~故郷を追われる村人たち』の上映など、タイムリーなテーマを文句なしに堪能できた映画祭だったが、強いて気になった点……と言えば、全体の年齢層が高く、そのバブルを知らないような20代前半の観客は数えるほどしかいなかったことだ。すぐれた作品が多かっただけに、今後若い世代が硬派の映画と出会う裾野をどのように広げられるか、由布院だけにとどまらない課題だろう。

「第15回ゆふいん文化・記録映画祭」
2012年6月29日~7月1日開催
http://movie.geocities.jp/nocyufuin/home.html

【作品情報】
『続・原発に映る民主主義  ~そして民意は示された~』
1996年/59分/DVD/製作:新潟放送/ディレクター:宮島敏郎

原発の是非をめぐって、町民自身の手による住民投票を行った新潟県巻町の町民の住民投票から町議選までの一連の動きを追ったドキュメンタリー。町の将来を左右する問題について、自らの意思を表したいと住民投票条例の制定を求める住民と、町民から選挙で選ばれた議会が示す判断と…。 直接民主主義と間接民主主義の関係、民意とは何か。全国初の住民投票で原発計画を白紙撤回させた巻町の内紛を追いかけた。

 【執筆者プロフィール】
細見葉介  ほそみ・ようすけ
1983年北海道生まれ。学生時代よりインディーズ映画製作の傍ら、映画批評などを執筆。連載に『写真の印象と新しい世代』(「neoneo」、2004年)。共著に『希望』(旬報社、2011年)。