【Review】戦火のさなか―バフマン・ゴバディ製作『国境に生きる〜難民キャンプの小さな監督たち〜』text伊藤弘了

 映画には国境がない。かつて黒澤明はアッバス・キアロスタミにそう言った。黒澤やキアロスタミに限らず、地理的国境の外に広がる「映画の共和国」を夢想してきたシネアストたちは数多く存在する。彼らの共通言語は「ミザンセン[演出]であり(それはヌーヴェル・ヴァーグの一翼を担ったジャック・リヴェットが溝口健二を称揚するときの根拠ともなった)、あるいは「映画語」(蓮實重彥)と呼ばれもする何かである。小津安二郎の作品が「最も日本的だが国境を越えて理解される」ことを喝破したヴィム・ヴェンダースは、そこに前世紀の真理と全世界そのものをさえ見出した(「私は彼の映画に 世界中のすべての家族を見る/私の父を 母を 弟を そして私自身を見る/小津の作品は 20世紀の人間の真実を伝える」『東京画』[1983年])。ジャ・ジャンクーもまた映画のうちに『世界』(2004年)を夢見たのだし、彼と親交の深い是枝裕和も国際映画祭の場につかのま現出する「共和国」に魅せられた監督の一人である。

 しかるに、シネアストたちの理想とは裏腹に、現実の世界は政治的国境によって無惨にも分断されている。かつてキアロスタミのもとで助監督をつとめたバフマン・ゴバディが『国のない国旗』(A Flag Without a Country、2015年、イラク)を撮らねばならなかったのもそれゆえである。終わりの見えない国境線の引き直しによってクルド難民が抑圧され続けているこの世界はまた、ゴバディをして難民キャンプの子どもたちを監督に据えた短篇映画『国境に生きる〜難民キャンプの小さな監督たち〜』(Life on the Border、2015年、イラク)を製作せしめることにもなるだろう。『国のない国旗』と『国境に生きる』は、ともにアジアフォーカス・福岡国際映画祭2016で同時上映された。私はそこでこの二つの作品を(二回ずつ)鑑賞し、ゲストとして映画祭を訪れていたゴバディと直接言葉を交わす機会を得た(そこで通訳を務めていたのが、かつて黒澤とキアロスタミの対談の場に居合わせたショーレ・ゴルパリアンであったことにも感慨を覚えずにはいられなかった)。それは控えめに言って衝撃的な映画体験だった。とりわけ、クルド難民キャンプに暮らす13歳前後の子ども監督8人が撮影したオムニバス映画『国境に生きる』が備えている強度には慄然とさせられた。子どもたちは自らの経験をもとに脚本を作り、あくまでフィクション映画を撮っているのだが、難民キャンプという舞台はそこに否応なくドキュメンタリー的緊張感を呼び込む。本稿ではその強度に惹き付けられてしまった者の半ば義務として、この作品の魅力に迫ってみたいと思う。

『国のない国境』上映後に登壇したバフマン・ゴバディ監督(右)と通訳のショーレ・ゴルパリアン氏(左)。アジアフォーカス・福岡国際映画祭2016にて。映画祭のホームページにはゴバディ監督のインタビューが掲載されている。また、私も執筆に加わった福岡国際映画祭の共同レポートが電子映画学術誌CineMagaziNet!で公開されている。

 『国境に生きる』は、第11回UNHCR難民映画祭でも上映された(2016年10月16日、スパイラルホール[東京会場])。以下の引用は、難民映画祭のホームページに掲載されている本作の概要である。

        2014年の夏、イラクとシリアのクルディスタン地域におけるたび重なる攻撃により、多くのクルド人が避難を余儀なくされました。その多くは女性や子どもでした。クルド人のバフマン・ゴバディ監督はクルド人の子どもたちの願望に応え、映画を制作するプロジェクトを立ちあげます。

   コバニとシンジャールにあるキャンプに住むこどもたちの中から8人を選び、ワークショップを通じて映像技術を教え、彼らの人生経験を直接世の中に伝えることが目標でした。

   ドキュメンタリーと本人による再演が混ざったこれらの短編映画は、自分たちの経験を物語にしようとする子どもたちの努力の賜物です。
   

 映画の冒頭でまずクルド人の置かれている困難が素描され、難民キャンプの場所が地図上で説明される。その後、各作品の冒頭でそれぞれのパートを監督した少年少女が自らの境遇について語り、それに続いて短篇作品が映し出されるというサイクルが8回繰り返される。

 彼らの実体験に根ざした各挿話には、共通して見られる主題がある。それは「家族の誰かが奪われ/損なわれている」というモティーフである。そして同時に、子どもたちが描くフィクションのうちには、これらの喪失に対抗しようする姿勢が見出せる。この現実と虚構のせめぎあいが、本作を単なるドキュメンタリー映画以上のものにしている。以下、各挿話に見られる同型の主題を抽出すると同時に、特筆すべき細部についてそれぞれ紹介していきたい。

 1話目「いとしいシェンガル(“Shangal’s Beloved”)」ではISに両親を連れ去られた兄妹の姿が描かれる。実はこの妹も以前一週間に渡ってISに拘束されたことがあり、その体験のショックから言葉を失っている(また兄と医者とのやりとりを通して、彼女が抱えている身体的な問題も示唆される)。兄は妹の笑顔を取り戻すためにある行為を繰り返し行う。それを行う兄と、彼を見つめる妹の切り返しが最初のクライマックスをなす(さらに、本挿話の末尾にはあまりにも映画映えする見事なショットが置かれているが、それを楽しむ権利は映画の鑑賞者のみ与えられるべきだろう)。

 2話「真実を探す(“In Search of the Truth”)」と3話「パンとヨーグルト(“Bread and Yogurt”)」を監督した少年少女は、実際に妹がISに連れ去られている。2話では、家族を拉致された人々がカメラに向かって涙ながらにその救出を訴える場面があり、見る者の心をダイレクトに打つ。3話では、パンを求める子どもに対して、女性たちがごくあっさりと要求に応じる姿が描かれているが、その他愛のなさは、おそらくは年少の監督たちの意図を超えて、現実世界における人質返還の困難さを逆照射して際立たせている。

 4話「わたしたちの映画の方がいい(“Our Film is Better”)」を監督した少女の家族は、依然としてISのテロリストたちと戦闘を続けているという(したがって少女とは離れて暮らしている)。この挿話内では映画の上映会が行われているが、上映途中に燃料切れで映写機が止まってしまう。上映を続けるためのガソリンを子どもたちに求められた大人は、それを惜しみなく与える。このいかにも恬淡とした物資の提供もまた、現実に起こってしまった生々しい掠奪を購うにはあまりに脆弱たる点で、我々の動揺を誘わずにおかない。彼らが晒されている過酷な現実は、劇中の上映会でかけられる『アメリカン・スナイパー』(クリント・イーストウッド、2015年、イラク戦争に従軍した実在のスナイパーを描く映画である)の映画的地位をも簒奪しかねない勢いである。上映会が再開してほどなくすると、テントの外から爆撃の音が聞こえてくる。映画を見ていた子どもたちは一人、また一人とテントから出ていき、最終的には全員で丘の上から爆撃の様子を眺める。

 

 この場面で使用されている「偽の切り返し」は、その虚構性ゆえに逆説的にある真正性を帯びることになる。どういうことか。ここでは街が爆撃されている様子を捉えたショットと、それを眺める子どもたちのショットを交互に繋ぐ切り返し編集が行われているが、このとき、子どもたちを捉えたショットに比して、爆撃を捉えたショットの画質が明らかに劣っている。したがって、その爆撃の映像は、子どもたちを写しているのとは異なるカメラによって撮影された「本物の映像」だということに我々は思い至らざるをえない。実在の人物を描いているとはいえ『アメリカン・スナイパー』があくまでフィクション映画であるのに対して、難民キャンプの子どもたちは本物の戦争が進行するその渦中に投げ込まれているのである。むろん、ここで私は、たとえば『プライベート・ライアン』(スティーヴン・スピルバーグ監督、1998年)の冒頭に見られる名高いオハマ・ビーチのシーンがいくらリアルな映像に見えようとも、所詮は再現されたフィクションにすぎず、それよりも現実の戦闘行為の方がはるかに映像的な強度を有するのだ、というような(いささかナイーヴにすぎる)議論を蒸し返したいわけではない。そうではなくて、自らの作品内に、『アメリカン・スナイパー』(何といってもそれはハリウッド映画史上に屹立する老巨匠が撮った新作なのだ)を映画内映画として取り込み、限られた機材と技術の中でそのお株を奪うような見事な編集を行うことによって一つの小道具として効果的に機能させているという、むしろフィクションを立ち上げる際の洗練された身ぶりを肯定したいのである。

 5話と6話で損なわれているのは家族の健康である。5話「とうさんの目(Dad’s Eyes)」では、襲撃の際に負った火傷によって主人公の父親が片目の視力を奪われている。さらにその父親の眼鏡を主人公が壊してしまったせいで、彼はほぼ盲目状態に置かれる。父親は眼鏡を壊した主人公を責めるが、ここでは明らかに責任の所在がすり替えられている。父親が現在陥っているような苦境はそもそもISによってもたらされたものだからである。ISの攻撃を受けて家が燃えた際、大火傷を負った家族に比して自分は軽症で済んでラッキーだと言ってのける主人公の顔面は、じっさいには火傷によるケロイドで覆われており、それが軽症であるとはまったく思われない。過酷な環境下に置かれて明らかに均衡を逸している彼の現実認識は、それ自体が多くの観客に衝撃を与えることだろう。主人公は父親の視力を取り戻すために、彼に適した眼鏡を探して回る。主人公に眼鏡を求められた老婆は、最初その要求を断るものの、本挿話の末尾で片方のレンズを差し出してくれる。ここにも決して購われることのない不均衡な贈与交換が見られ、その過剰さが作品に凄みを与えている。

 

 6話「空と薬(“Sky and Medicine”)」では、父親の健康を取り戻すために薬を求めて難民キャンプ内をさまよう少年の姿が描かれる。しかし、慢性的に医療物資が不足しているキャンプ内で、彼が必要とする薬は見つからない。助けを求めた占い師から、少年は天に祈るようにと言われる、そうすれば必要な医療物資はヘリコプターから投下されると。ここではほとんど信仰と現実の境界が曖昧化している。だからこそ、そこにはわずかながらも希望の兆しを見出すことができるのかもしれない。子どもたちがいくら必死で訴え、祈りを捧げたところで、拉致されたり殺されたりした家族は戻ってこない。このとき、せめて家族の健康を取り戻すのに必要な薬を与えて欲しいという願いは、まだしも実現可能性のあるものかもしれない。あるいはこうした解釈を生み出しているのは、そうでなければあまりに救いがないと感じる観客の側の防衛機制に過ぎないのだろうか。

 7話「うちに向かって(“Toward Home”)」では、兄と幼い妹が、ISとの戦闘のために故郷にとどまっていた父親を探しに行き、彼らの家の跡地で父親の死体を発見することになる。このエピソードでは、爆撃を受けて廃墟と化した街並みの中を歩く兄妹の姿が映し出されるが、その映像的説得力は、私にネオレアリスモの諸作品を想起させた。ここでいう映像的説得力とは、映画撮影のために作られたのではなく、あくまで実際の戦闘によって破壊された街並みを作品に取り入れていることによって生じる強度と言い換えてもよい何かである。周知のとおり、ネオレアリスモが世界映画史に列聖されるにあたって、ロケーション撮影と素人俳優の起用が果たした役割は大きい。たとえばロベルト・ロッセリーニの『戦火のかなた』(1946年)や『ドイツ零年』(1948年)では廃墟と化した実際の都市を舞台に、必ずしもプロの俳優ではない多くの人々が映し出されている(オムニバスという形式においても『戦火のかなた』は本作『国境に生きる』と響きあっている)。むろん、ここで安易にロッセリーニの名前を挙げるような振る舞いが、ある種の衒いと取られかねないのは重々承知しているし、私は『国境に生きる』がそのような固有名と同列に並べられるべき芸術的傑作であるなどということが言いたいわけではまったくない。むしろ作品の構えが一見素朴であるがゆえにこそ、本挿話で不意に映し出された「廃墟のなかを行く子ども」というイメージの鮮烈さが、過剰な何ものかとして私に迫ってきたのかもしれない。その過剰さから身を守るために、鑑賞時に私の無意識が咄嗟に呼び起こした固有名がロッセリーニだったのだろう。

 したがって、ここで本作と関連づけられるのがネオレアリスモでなければならない必然性はない。同様の条件を備えた映画が他にも存在しているなかで、あくまでそうしたものの代表格として登場してもらったまでである。たとえば生々しい現実の光景を切りとったロケーション撮影ということであれば、3・11後の東北地方を映し出したドキュメンタリー/フィクション映画のなかにも同様の説得力を見出すことはできるだろうし、あるいは逆にアニメーション映画『この世界の片隅に』(2016年)のように完全に人為的に作り出されたものであっても、原爆投下後の広島の凄惨な光景に衝撃を受けることはありうる(原爆と広島に言及した以上、ここでは想起すべき映画として最低限『原爆の子』[新藤兼人、1952年]と『二十四時間の情事[ヒロシマ・モナムール]』[アラン・レネ、1959年]のタイトルを挙げておく必要があるだろう)。議論がアニメーションにまで拡張されるとなると、映像的説得力を生じる要因は必ずしもロケーション撮影に依るわけではないことになるが、そうした事柄をめぐる理論的な考察は別の機会に譲ることにして、話を戻そう。

 戦後のベルリンを舞台とした『ドイツ零年』では、崩壊しかかった建造物群を背景に、至るところに瓦礫が積み上げられるなかを主人公の12歳の少年が歩いて行く。先ほど述べたように『国境に生きる』と『ドイツ零年』のいずれにおいても、荒廃した都市の景観は映画のために用意されたセットではなく、現実の戦争の産物である。そして『ドイツ零年』が描くのは終戦後のベルリンであり、瓦礫の間に曲がりなりにも道らしきものが見えるのに対して、『国境に生きる』のまったく片付けられた形跡のない都市景観は、クルド難民たちが依然として「戦火のさなか」にいることを強烈に印象づけている。本挿話の末尾には、夕陽に向かって歩み去って行く兄妹の姿をロングで捉えたショットが置かれている。彼らの現実にあっては、沈みゆく太陽が「緑の光線」を放つような奇跡など望むべくもない。

 

『戦火のかなた』(ロベルト・ロッセリーニ、1946年)

『ドイツ零年』(ロベルト・ロッセリーニ、1948年)

 8話「山の歌(“Serenade of the Mountains”)」では、一人の少女の歌声が奪われている。故郷シェンガルの歌を自作した青年は、それを歌ってくれる少女を探す。彼は歌が巧いと評判の、ある少女のもとを訪ねる。だが、彼女はISに父親を殺されて以来、その歌声を封印しているのだと言う。青年の必死の説得にも関わらず、彼女の歌声が戻ってくることはない(青年がどれだけ必死になろうが、また、少女が嘆き悲しもうが、殺された父親は生き返らないのだから)。映画は画面奥の山々に向かって歩いて行く青年と少女のショットで閉じられる。山のかなたには幸いがあるだろうか(そうであればいいと思う)。そういえば、世界映画史には、雪山を越え、結果として国境線という「大いなる幻影」に守られた人々がいたことを思い出す。映画がフレームを必要とするように、国境線もまた我々人類には必須の装置なのだろうか。

 上映後のトーク(アジアフォーカス・福岡国際映画祭2016)に登場したバフマン・ゴバディは、今後も子どもたちに映画を撮らせるプロジェクトを続けたいが、資金的にも紛争の状況的にも厳しいのが現状だと語っていた。おそらく、戦争という極限状況が子どもたちの感性を研ぎすませ、創作に向かうためのある種のエネルギーをもたらしたのは確かだろう。しかし、本来それは幸福な事態ではないのかもしれない。いずれにせよ、あまりに割に合わない条件であるし、結果として映画が撮れないのであれば本末転倒も甚だしい。それならば、私はむしろ彼らが作った凡庸な映画を見てみたい。戦火のさなかではなく、そのはるかかなたで撮られた、凡庸で平和な映画を。

『大いなる幻影』(ジャン・ルノワール、1937年)

 

【作品情報】
『国境に生きる~難民キャンプの小さな監督たち~』
(2015年/イラク/73分/クルド語/カラー)
プロデューサー:バフマン・ゴバディ
監督:ハゼム・ホデイダ、バスメ・スレイマン、サミ・ホセイン、ロナヒ・エザディン、ディアル・オマール、デロヴァン・ケハ、マフムド・アフマド、ゾホール・サイド

【執筆者プロフィール】
伊藤 弘了 (いとう・ひろのり) 
1988年愛知県生まれ。映画研究=批評。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程在籍中。「國民的アイドルの創生――AKB48にみるファシスト美学の今日的あらわれ」(『neoneo』6号)で「映画評論大賞2015」受賞。論文に「小津安二郎『秋刀魚の味』にみる父親の悲哀――空(から)のショットの説話的諸機能」(CineMagaziNet! No.17)、批評「恋する惑星―—映画『君の名は。』を「線の主題」で読み解く」(『ヱクリヲ』web)など。