かつて、そこには人々の営みがあった。
これは、彼らが消え去ったのちの物語。
『いのちの食べかた』(2005)『眠れぬ夜の仕事図鑑』(2011)で、「社会の黒衣」というべき存在を描いてきたニコラウス・ゲイハルター監督の最新作である。
なんらかの理由により、人々が立ち去った場所。廃墟。
連作写真のように、それらの光景が次々と映し出される。
かつて在った生活の名残が、ただ「そこにただ在るもの」となり、やがて自然に侵食されていく物語が見えてくる。
雨は降り続け、風は吹き、光は射し、海は波となって打ちつけ、砂はそれらを呑み込んでいく。
鳥は鳴く、そして空を飛ぶ。
その光景は、我々が見慣れていて、すぐにでもそこでの生活が想像できるものもある。
そして、だんだんと見慣れないものが増えてくる。これは、なんなのか。ここでどんな営みがあったのか。
やがて、「人工物なんだろうが、いったいなんだかわからない」ものもあらわれてくる。こうなってくるとほとんど現代美術である。解説は一切ない。「なにか」であった美しいものである、としか言いようがない。
それら見慣れたもの、見慣れないもの、もはやなんだかわからないものが次々に現れ、静謐にその存在を主張してくる。
かつて、そこには人々の営みがあった。すこぶる様々な人々の営みがあった。
「自分の知らないところで、自分と同じように、ほんの少しだけ違う生活をしていた」人々に思いを馳せる。これは、並行世界である。
並行世界のすべてから、人々が唐突に消え去った。その痕跡。
やがて痕跡は風雨に晒され、緑に侵食され、やがて波や砂に呑み込まれ、雪煙の向こうに消えてゆく。
諸行無常。
しかし一見「ありのままを映した」ように見えるこれらだが、だんだん違和感が手のひらで肩をたたくように主張してくる。
これは廃墟なのだろうか? こんなに廃墟とはありのままで美しいものなのだろうか。
フェルメールの絵画を思わせる光は、むしろそれらは「あらかじめ美しく照らされたもの」として感じさせる。
半開きの窓が風に揺れる。床に落ちた缶が転がる。紙が舞い落ちる。その一つ一つの「動き」すら絵画的である。
——ちょうど、クリス・マルケル『ラ・ジュテ』(1962)を想起させる。あの映画も近未来の廃墟がモチーフであり、時間と記憶が大きなテーマであり、なによりも「静の中での一瞬の動」に極めて意味のある作品である——。
なんらかの理由でその姿を変え、はかなく消えゆく運命にあるものに対し、「どうにかして、記録としてでも残したい」というセンチメンタリズム。
あるいは「こんな凄い光景滅多に見られない」という、好奇心とも下心ともつかない感情。
あるいは、建物の窓の中では人々が蠢いている、例えば——古いキッチンで料理をするおかみさんがいて、働かずに呑んだくれているオヤジさんがいて、二人は喧嘩ばかりしているけどなんだかんだ仲がいい、子どもはおねしょがなかなか治らない——そんな物語がある、という想像、あるいは補完。しかし、それはすでに遠く消え去ったものだということに気づき、ふと驚く。そういえば窓からも煙突からも煙なんて立っていない。
消えゆくものは、さまざまな感情を想起する。。
この映画の原題は『Homo Sapiens』。皮肉である。人間は一人も登場しない。しかし、確実にその存在を、痕跡を、映し出している。
もしかしたら、ここに描かれているものは、「遺された痕跡」ではなく、「人々がそこに居た、という証拠」なのかもしれない。かつて、人間の暮らしがここにありました。ほら、わかるでしょう? 今は、もう、居ないですけどね。
これを「ドキュメンタリー」と呼んでいいのだろうか?
ドキュメンタリーは実は丁寧にトリミングされたものであり、そのトリミングこそが監督の手腕かつ強烈な主義主張である、ということは重々承知だが、この『人類遺産』はむしろ逆のアプローチではないか。
一つ一つの「廃墟」は「素材」である。素材に手をかけ——光を足し、音響を後からつけ、時には画面の加工をする——編集し、そして観客がそこにどんな物語を見出すかはお好きなように。
この作品はドキュメンタリーというよりむしろフィクション、もっと踏み込んでしまえば、サイエンス・フィクションと言っても過言ではないのではないだろうか。
かつての営みを、未来——「かつて」から見ると未来である、現在——の視点から眺め、そしてさらにその行く末に思いを馳せる、時間だけが全てを知る。
鳥は空を舞い、鳴き、見つめる。
【映画情報】
『人類遺産』
(2016年/オーストリア、ドイツ、スイス/94分/DCP)
提供:新日本映画社
配給・宣伝:エスパース・サロウ
©2016Nikolaus Geyrhalter Filmproduktion GmbH
http://jinruiisan.espace-sarou.com/#
シアター・イメージフォーラムにて公開中!
全国順次公開!
【執筆者プロフィール】
井河澤智子(いかざわ・ともこ)
「ことばの映画館」メンバー。セミナーの影アナ、選挙のウグイス、会議司会、謎のアプリ声優など、こっそりと声の仕事をしてきました。そろそろ表に出てみたい、とノミとトンカチで壁をカチカチ削っているところです。