1980年代KID(北・板橋・豊島の女の会)の忘年会 撮影者は柴洋子さん
開拓者(フロンティア)たちの肖像〜
中野理惠 すきな映画を仕事にして
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第44話 エルミタージュ幻想の公開
RUSSIAN ARK
Waterloo は初のデジタル作品だったので、2011年にデジタル化を目指していた(だったと思う)NHKが出資に参加し、完成したのだそうだ。美術品が陳列されたままのエルミタージュ美術館を舞台に、ロマノフ王朝300年の歴史を、90分ワンカットで演じる。“RUSSIAN ARK”と題名がつけられていた。担当したNHKの磯部プロデューサーが「これまでソクーロフ作品を配給していた会社が劇場公開を手掛けるのがいいだろう」との配慮で、連絡を受け取ったのである。会話の中で、磯部さんが『エルミタージュ幻想』みたいな邦題がいいのではないか、と言っていたのを、そのままいただくことにした。
『エルミタージュ幻想』のオリジナルプレスの表紙
エルミタージュ幻想
だが、ロシア史に疎いので、エルミタージュ美術館の豪華な内部は堪能できたのだが、内容はチンプンカンプン。わかったのはゲルギエフ(※①)の顔だけだった。そこで、約30年間、モスクワの日本大使館に勤務していた松澤一直さんにお願いして、マスコミ用資料のために<ロマノフ王朝略史>を書いていただき、やっと内容を理解できた。
ラストシーン
『エルミタージュ幻想』は何といってもラストシーンが見事だった。宴を終えた大勢のロシア貴族が、衣擦れの音をさせながら引き上げる姿が延々と続く。するとカメラがパンして霧の立ち上がるネヴァ川が映される。まさに、モブシーン。ロシア映画の伝統芸であった。当時のことを記憶力抜群の宮重に確認したところ、本編のシーンやカットを私の倍近く、しかも実況中継するように正確に覚えていて、手ぶりを交えて、
「ラストはすごいよね。まるですべてが幻だったのか、だよね」と。
2002年、有楽町で開催しているアジアの映画を中心にした映画祭<東京フィルメックス>からの要請に応えて、お披露目上映の機会とし、その際にプロデューサーを招んでいただいた記憶がある。劇場公開は翌2003年2月22日からユーロスペースと決まっていた。
デジタル化に向けてのさまざまな試み
NHKはデジタル化に向けてさまざまな試みをしていたので、新しい機材などを開発する度に声がかかる。その都度、宮重とテスト試写を見に行った。一度など、ユーロスペースに、人の背丈以上の高さ、一人では抱えられない幅の、四角柱状の白くて大きなステンレスの箱のような装置を設置して試写したこともあり、たまたまユーロに来ていた某有名監督が興味深そうに、
「へええ、これがデジタル機ですか」とつぶやくなり、機械をポンと叩いたところ、
「ダメですよ、そんなことすると映らなくなります」と叱られていたこともある。
エルミタージュ美術館を訪ねる
ところで、この原稿を書いていて、『エルミタージュ幻想』を配給するのを決めた際に、サンクト・ペテルブルクのエルミタージュ美術館まで行ったことを思い出した。改装工事中(つまり一般には開かれていない時期だった)だった館内を、プロデューサーのアンドレイ・デリャービンさんが案内してくれた。人々が慌ただしく出入りするので職員通用口で、モタモタしていたところ
「ピヨトロフスキー館長に紹介するから早く来い」
と急かされた。続けて
「ここの館長は国務大臣クラスなのだ」と。
館長はさほど大柄ではなく、もの静かな学者のような人だった。また、館長室に向かう途中に例の、羽を広げる黄金のフクロウが、ケースに入れて、何気なく置いてあったのを覚えている。アンドレイさんに収録美術品の点数を聞いたところ、
「わからない。誰も知らないだろう」と。
日本公開準備
公開劇場が決まったのは最もラッキーなことだったし、適切な邦題もいただいたのだが、受け取った写真等のオリジナル宣材が、日本人の抱くエルミタージュ美術館の華やかさとはほど遠い。
ロシアから送られてきたオリジナル宣材
さらに、ソクーロフと聞くと、マスコミ関係者が尻込みする。するとデザイナーの渡辺純さんが本編から一枚のカットを選んでくれた。
『エルミタージュ幻想』の日本公開の宣材
宣伝用のメイン写真を決められたので、安心したところに、日本橋三越でエルミタージュ美術館に関係した美術展を企画中の会社の清水さんと言う男性が、12月に電話を寄越し、試写を見せてくれと言う。映画の宣伝の際に企業とタイアップすることなどの経験が少なかったので、「何の用事かはわからないけど、面倒くさい」と、高校の同級生に呟いた。すると
日本橋三越
「日本橋三越の企画する展覧会は一流だ」
と、当時、別のデパートで美術担当をしていた同級生の久永クンが言う。重ねて、別の同級生の森野クンが、
「お前はバカだなあ。あの人を知っているけど信用できる。直ぐに行け」
と言うではないか。ならば、と、年明け早々、2003年1月4日に清水さんを訪ねた。会うなりすぐに清水さんが口にしたのは意外な窮状だった。
※①ゲルギエフ…ヴァレリー・ゲルギエフ。1953年生まれのロシアの指揮者。
<第45話に続く>
中野理恵 近況
3月25日(土)から岩波ホールでパキスタン映画『娘よ』を公開するのだが、久々に『ハーヴェイ・ミルク』(第1話と第2話参照)の再現のようだ。試写後は「サスペンス・アドベンチャーだ」と、たいていのマスコミ関係の方々から、楽しんだ反応を寄せていただくのだが、見ていただくまでが一苦労。
『娘よ』公式サイト:http://www.musumeyo.com/