【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜 中野理惠 すきな映画を仕事にして 第46話、第47話

2000年2月 の筆者

開拓者(フロンティア)たちの肖像〜
中野理惠 すきな映画を仕事にして 

第46話はこちら>

第47話 「日本映画検閲史」と邦画配給の相談


日本映画検閲史

玄関でお迎えいただいた奥様は「おとうさんの趣味にも困ったものだ」のような表情で、諦めと同情のこもったような表情で私たちを見つめている。やっぱり、と心では思いながら、ご挨拶をして玄関わきの牧野さんの書斎に足を踏み入れて、驚いた。

部屋の右手にスティル製の本棚が壁に向かって縦に並んでいる。つまり、本の背は見えず、等間隔に隙間のあるスティルの壁ができているようなものだ。本棚は10本以上だろうか。ミニ図書館であり、書籍にとどまらず、写真や脚本も保存され、木造の家がへこみそうなほどの膨大な量である。書棚から取り出して、見せていただいた資料は、まさに<お宝>だった。

映画『土』のアカ字の入った脚本

中に、「土」(長塚節原作/内田吐夢監督/1939年)のアカ字の書かれた脚本があったことをよく覚えている。

後日談になるが、これらの貴重で膨大な資料は後日、米国の某有名大学が買い取ったとのことだ。

 

出版パーティでは開始早々にお料理が終わってしまった

原稿そのものについては、稲川さんによると、

「自由自在に書いてあるから、すごい量で、2000枚ぐらいになる」とのことだった。

相当な時間をかけて発行にこぎつけたのだが、やはり編集の細かいことは記憶にない。おそらく稲川さんがかなりご苦労だったことと思う。発行後、日経新聞の記者から牧野さんの連絡先を知りたい、との電話があり、ほどなくして、日経新聞(朝刊)の最終面(文化欄)に、牧野さんの検閲文献についての文章が掲載された。

新宿中村屋での出版パーティでは、奥様から丁重なお礼のご挨拶をいただき、恐縮してしまったのだが、始まって早々に料理が終わってしまい、宮重と二人であたふたしたことは今でも忘れられない出来事だった。

大至急でできるお料理とは?

厨房に何でもいいからすぐにできるお料理を、と注文したところ、カナッペとか、ハムと生野菜の盛り合わせだろうかと、想像していたのだが、出てきたのは何と、ソース焼きそばだった。

井手さん、白石さん、牧野さんとの出会いも貴重な財産である。

 

映画をつくっちゃったの

さて、2000年ごろから、日本映画の配給について来訪される方が増えた。いずれも完成後に「公開したいので、どうしたらいいのか」と来訪されるのである。文部科学省が映画製作への助成金制度をスタートさせた影響なのだろう、90年代半ばごろに始まった現象である。映画製作助成金の申請に、当初は、公開や配給会社が決まっていることを条件にしてなかったことが大きな要因であろう。


上映を考えずに製作に入る?!

相談に来訪される方々に、公開までの業務や経費などを説明したのだが、あまりにも上映について考えずに製作する人が多いことに呆れてしまった。

「映画は製作しただけでは、その辺に転がっているただの製品で、観客の目に触れて初めて商品として完成するのです」

に始まり、くどくどと、最初は余計なお節介や親切心も入り説明したものだが、次第に

怒り半分どころか、怒り100%になっていき、

「その業務でご飯を食べている人がいる、と言うことの意味を考えたらどうですか」

など、言ったこともある。

ザァケンジャないよ!

中には劇場さんがお金の算段も含めて公開までのすべての業務を担ってくれる、と思い込んでいる人もいた。あるいは、「お金がかかるのなら自分たちで配給する」と言う人も多い。最近も、某著名人が旗振り役になって完成させた映画を上映したい、と当該著名人のお使いという方が来訪されたので、具体的内容も含めて公開までの段取りや費用を説明したところ、結果としてその著名人の方が、

「へええ、お金がかかるの。ならいい、自分たちでやる」

と言ったと伝聞で知ったケースもある。このケースの場合、ついに、当人からは何も言ってこなかった。他人の時間と厚意と何だと思っているんだ!

某有名監督の来訪

そのような出来事が続いたある日、2002年10月1日に、作品を通してしか知らない映画監督の方が、親しい映画館の支配人の紹介で来訪された。新作を半年前に完成したのだが、公開のメドが立っていない。何とか公開してほしい、と頭を下げられるのだ。

(つづく。次は5/15に掲載します。)


中野理恵 近況
朝9時の出勤時間帯に人々が行き交う東京都中央区で遭遇した出来事(2017年3月)。

黒っぽい背広姿の大勢の男性がオフィスに向かい脇目もふらずに歩いている。その中の一人の中年男性が口元で右手を動かしながら歩いてくるのが見えた。近づくと、何と、歯をみがきながら歩いていたのだ。それをスタッフに言うと

「その人、どこで口をすすぐのでしょう」と。