【Interview】根底は「ひとりの人間の強さ」を描くこと――『リベリアの白い血』福永壮志監督インタビュー text 若林良

 

渋谷アップリンク他で公開中の『リベリアの白い血』。前半をリベリア、後半をニューヨーク(以下:NY)というふたつの国を舞台とした作品で、リベリアのゴム農園で過酷な労働を強いられる主人公シスコが単身アメリカに渡り、都会の中で移民の現実を突きつけられる姿を描く作品だ。監督は、本作が長編デビューとなる福永壮志。長年NYで制作を行う福永監督だが、いわば「外」の視点から、移民の姿をどう見たのか。また、どのように彼らの現実に対峙したのか。本インタビューではおもに作品の背景にフォーカスする形で、話をうかがった。
(取材・構成=若林良、取材協力=佐藤奈緒子)

 

——本作を作ろうと思われたきっかけから、教えていただいてもよろしいでしょうか。

僕はもともと、北海道で生まれ育ってアメリカに14年前に移りました。NYは12年いるんですけど、長編の制作を決めた時に、NYを舞台にするのであれば、移民の話をやりたいと思ったんです。というのもNYは世界中からたくさんの移民が来ていて、撮る上でのリアリティは、ある程度は担保されているんですね。また、彼らにはやはり移民としてのハンディキャップがあるんですけど、むしろ、そうした逆境に立ち向かって生きている姿に刺激や勇気を与えられる部分がありました。そのため、自身の映画では、彼らのプラスの側面にフォーカスしたいと思っていました。

その中で「リベリア」を選んだのは、長編で移民の話をやろうと思うちょっと前に、あるドキュメンタリーに編集として関わったこともあります。それは後に、マラリアで他界した撮影監督の村上涼のプロジェクトで、リベリアのゴム農園の労働者を題材とした作品でした。村上は妹の夫、つまり義理の弟でもあったので、近い距離でいろんな話を聞いていたんですけど、その過程で、リベリアのゴム農園という厳しい労働環境の中でも逞しく、尊厳を保って生活している労働者の姿に感銘を受けたんですね。またゴムという、生活に身近なものの裏側の世界だったことについても、改めて考えさせられました。ゴムは当たり前のように僕たちの日常にありますけど、そうした糧は、労働者たちの過酷な労働なしには得られることはないんです。「移民」と「リベリア」をつなげることによって、何かを伝えたい。そう思ったことがきっかけでした。

——実際にリベリアという国で撮影を進める中で、国に対して心情の変化のようなものはありましたか。

国に対してというよりも、そこに暮らす人への心情の変化が大きかったですね。NYでもリベリアからの移民の方、またリベリア系アメリカ人の方とは脚本を書く段階でお会いしていたんですけど、実際に現地で暮らす方との触れ合いを得られたことが、自身の視界を広げてくれました。僕が思っていた以上に、陽気で笑顔が絶えない人たちで。その時期はちょうど、内戦の終結から10年がたったころだったんですけど、過去の傷跡が深く残る中でも、前向きに笑顔を絶やさずに生きていたんです。それは不屈の精神や寛容さのあらわれでもあって、そういう人柄にはすごく打たれましたね。

――では、福永監督は長年NYを拠点に作品を作られていますが、アメリカという国については、どのように思われていますか。

アメリカに対する見方で言えば、懐はものすごく深い国だと思います。たとえばアメリカで生まれたら自動的にアメリカ国籍を得ることができるわけですが、日本ではありえないですよね。他の国を見ても、そこまで寛大にはなりえていない。バックグラウンドに関わらず、ちゃんと何かを成し遂げた人を評価する点は素晴らしいと思います。その一方で、「アメリカンドリーム」と呼ばれるような、理想の国、自由の国のような見方はないですね。本作でも描きましたように、移民に対する厳しさは否定できませんし、有色人種に対する差別や偏見はあります。特にトランプ政権の成立以降はそれが顕著です。

ただ、その一方で、アメリカはもともと移民によって作られた国で、移民が支えている国でもあります。そうした柔軟性がもととなって、たとえばSNSやGoogle、Appleなど、世界を変えるようなイノベーションが生まれていますし。国としての可能性は世界のトップだと思うんですけど、底辺の部分が外に出ないから、実際にアメリカに来ると、イメージとのギャップもものすごく大きい。そういう感じですね。

——撮影において、リベリアとアメリカそれぞれの国で困難だったことを教えていただけますか。

リベリアに関しては、天候の厳しさがありますね。雨季に入る直前だったので豪雨で撮影ができないこともありましたし、逆に、実際の天候は晴れなのに、無理やり雨に変えて撮ったりということもありました。また、現代的なエネルギー、電気やガスがちゃんと通ってないので、照明を使うにも発電機を運びながらの撮影だったんですね。その上、ちゃんと動く発電機を調達するのもなかなか難しくて。機材をはじめ、先進国では身近なものがすぐ手に入らないので、それがまず大変だったというのがあります。

文化的な違いもあります。ひとつには、時間への意識が日本の基準より緩いところですね。もちろん個人差はあるんですけど、たとえば待ち合わせをして、2時間遅れるということもありふれていました。それゆえに、ロケハンのミーティングをするとか、キャストを現場に連れてくるとか、細かい調整が大変だったんです。撮影期間は3週間だったんですけど、本当にギリギリ撮れたっていう感じでしたね。NYになると、スタッフは撮影には慣れているので結構スケジュール通りに進みはしたんですけど、撮影中に殺人事件が発生するという、大ハプニングが起こりました。映画の中でリベリア人が住む地域として撮影されているのは、スタテン島のパークヒルズです。そこは実際にリベリア系移民、リベリア系アメリカ人がたくさん住む地域なんですけど、貧困地域、かつ治安的にも悪い地域だったんです。そのために殺人事件が起こった、というと変なんですけど、その犯人の大捜索が行われてまして、とても撮れる状態じゃなかったんですよね。しばらくして、捜索の場所が少しずれたので、ここでならなんとか撮れるという場所で撮影したんですけど、奥のちょっと離れたところには警察がたくさんいるので、その人たちを画角から一生懸命外して撮るという。それが印象に残る、大変な出来事でしたね。

 

——NYについて伺いたいんですけど、シスコはタクシー運転手ですが、タクシー運転手というのはリベリア系の移民の方にはメジャーな職業なんでしょうか?

移民にとっては、メジャーな職業ですね。普段NYで生活していてタクシーに乗ると、運転手が世界中から来て働いている移民の人たちなんですね。そうしたこともあって、自然に自分の中でも設定として浮かび上がったという感じです。

——なるほど。たとえば日本人や聴覚障がい者の方など、乗客の方も多彩だと思ったのですが、それはやはり日常的なことでしょうか?

そうですね。バックグラウンドが違うのが当たり前で。アメリカ人と一口に言っても、父親とか母親が違う国から来て、アメリカ人としては1世というケースも珍しくありません。僕も作品づくりにおいては、日本人としてリベリア人の話をというより、ひとりの移民として移民の映画を作ったと言ったほうが、しっくりくると思います。何よりひとりの人間として、「ひとりの人間の強さ」を描きたかったんですね。

——移民について伺いたいんですが、福永監督ご自身も移民ということで、シスコにご自身を重ねる部分があったのでしょうか。

一生懸命重ね合わせようとは思いませんでした。ただ、映画のテーマに向き合えば向き合うほど自己投影はされるものなので、自然と自分のNYに住む中で感じた孤独感、また母国への想いなどはにじみ出ていたんじゃないかと思いますね。

――「リベリアの白い血」というタイトルについてなんですけど、「NYの黒い血」じゃないのかな、と少し思いました。つまり、リベリアから異国に移ってそこで働く黒人という。

なるほど。白い血というのはラテックス、つまりあのゴムの木の樹液の「白」なんですが、その案はなかったですね(笑)。リベリアに始まり、リベリア人の主人公が異国に行くことが、本作の要なんです。本作ではNYですけど、違う都市でもよかったかもしれませんし。また、リベリアという国が元々アメリカで解放された奴隷が送られて作られたこともあって、内戦を含めた負の歴史を、ゴムの樹液や、何回も削られて傷だらけになったゴムの木が象徴している一面はあります。タイトルの由来はそうしたところから来ているので、黒い血ではありませんでした。

――本作は夜のシーンが印象的だと感じました。NYもリベリアも、寂寥感がにじみ出るような。本作を作る過程で、参考にした、意識した作品などはありますでしょうか。

ありがとうございます。特別「こういう風に撮ろう」と思った作品はないですけど、影響を受けた監督はたくさんいます。パッと思いつくのは、ダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』(一九九九)でしょうか。比べるのも畏れ多いですけど、簡単に言えば、生活に困難をかかえた少女の話です。懸命に労働をしている、一日を生き抜こうとしている姿がシンプルに描かれて、それゆえの強さが引き出されている作品ですね。僕はハリウッド映画で出るような価値観と言いますか、ものすごい美男美女の白人が主人公で、頭がよくて言うことすべてが的を射ているような、「清く正しい」価値観といったものにはあまり賛同できないんです。それよりはごく身近にあるもの、また何気ないものが特別に見えるような作品を僕は作りたいので、いわば「生活」の視点から、ダルデンヌ兄弟の作品は尊敬しています。

――次回作の構想について、お聞かせいただけますか。

僕は北海道で生まれ育って、映画を志す前から、アイヌという存在に興味がありました。映画を生業にすると決めてから、いつかそういうテーマのものが撮れたらなあ、というのはあったんですけど、『リベリアの白い血』プレミア上映の直前くらいに、「次」について改めて考えてみたんです。アイヌがいちばんやりたいと思いましたし、またやる意味があると思ったんですね。日本の中では、アイヌ民族、アイヌ文化に対する理解がまだまだ深まっているとは言えません。北海道の人でも、よく知らない人が大半ですし。であれば、映画を通してアイヌのことを少しずつ広めていければと思ったんです。

また、作るとしても悲劇性を帯びた時代劇、和人によって痛められている民族といった紋切型のものではなく、『リベリアの白い血』でやろうとしたように、人の尊厳にきちんとフォーカスを当てて作らなければなりません。僕は北海道出身ですけど、アメリカという、いわば「外」に長い間身を置いていて、それゆえの客観的な姿勢が、武器になると思っています。 

――アイヌの話、お聞きしてちょっとアピチャッポン(・ウィーラセタクン)みたいだと思ったんですけど、意識はしていらっしゃいますか。

 アピチャッポンは大好きな監督です。作品の方向性としては全然違いますけど、アメリカで勉強してローカルな視点を大切にしているという意味では、共通している部分はあるかもしれません。彼が成功したのはタイという国に根ざした作品作りにおいても、外の視点を持っているからだと思うんですね。僕自身も広い意味になりますけど、次作においてそうしたことを意識できればと思っています。

 

【作品情報】

リベリアの白い血』(2015年/米国/88分/リベリア語・英語/ビスタサイズ/5.1ch/カラー/DCP/原題:Out of My Hand)
監督:福永壮志
撮影:村上涼/オーウェン・ドノバン
音楽:タイヨンダイ・ブラクストン (ex.BATTLES)
出演:ビショップ・ブレイ/ゼノビア・テイラー/デューク・マーフィー・デニス/ロドニー・ロジャース・べックレー/ディヴィッド・ロバーツ/シェリー・モラドほか
製作総指揮:ジョシュ・ウィック、マシュー・パーカー
製作:ドナリ・ブラクストン/マイク・フォックス
配給・宣伝:ニコニコフィルム

アップリンク渋谷にて大好評公開中!
http://www.uplink.co.jp/

★地方スケジュール★
・北海道 ディノスシネマズ札幌劇場 9/2(土)~ ※福永監督出身地
・北海道 ディノスシネマズ室蘭  9/2(土)~ ※福永監督出身地
・香川県 ソレイユ・2  9/9(土)~9/22(金) ※カメラマン村上涼さん出身地 初日福永監督舞台挨拶&短編上映
・栃木県 宇都宮ヒカリ座  9/16(土)~9/28(木)
・愛知県名古屋 シネマスコーレ 9/16(土)~9/22(金) ※初日福永監督舞台挨拶
・岐阜県柳ケ瀬シネックス  9/16(土)~9/22(金) ※17日福永監督舞台挨拶
・大阪府 シネ・ヌーヴォ  9/23(土)~10/13(金) ※初日福永監督舞台挨拶
・神奈川県横浜ジャック&ベティ 9/23(土)~10/6(金) ※24日福永監督舞台挨拶 
・大分県 シネマ5  9/23(土)~9/29(金)
・宮城県 フォーラム仙台 9/23(土)~10/6(金)
・北海道浦河 大黑座 10/21(土)~11/10(金)
・北海道苫小牧シネマトーラス 10月下旬予定

詳細は公式HP https://liberia-movie.com/

【監督プロフィール】

福永壮志 Takeshi Fukunaga

北海道出身でニューヨークを拠点にする映画監督。 2015年に初の長編劇映画となる本作『リベリアの白い血』(原題:Out of My Hand)がベルリン国際映画祭のパノラマ部門に正式出品される。同作は世界各地の映画祭で上映された後、ロサンゼルス映画祭で最高賞を受賞。米インディペンデント映画界の最重要イベントの一つ、インディペンデント・スピリットアワードでは、日本人監督として初めてジョン・カサヴェテス賞にノミネートされる。2016年には、カンヌ国際映画祭が実施するプログラム、シネフォンダシオン・レジデンスに世界中から選ばれた六人の若手監督の内の一人に選出され、長編二作目の脚本に取り組む。