【News】10/15(日)開催! ドキュメンタリーマガジン「neoneo」9号刊行記念 「柳澤壽男・障がい者ドキュメンタリー傑作選」2本立て上映+トーク @UPLINK FACTORY


ドキュメンタリーマガジン「neoneo」9号刊行記念
「柳澤壽男・障がい者ドキュメンタリー傑作選」2本立て上映+トーク

2017/10/15(日)  渋谷・アップリンクにて

【日時】
2017/10/15(日)

『ぼくのなかの夜と朝』       16:50開場/17:00上映開始
 『夜明け前の子どもたち』+トーク   18:50開場/19:00上映開始
(共に監督:柳澤壽男)

「neoneo」9号刊行記念トークセッション
出演:荒井裕樹(障がい者文化論)
   若林良(neoneo編集室)
   堤拓哉(neoneo編集室)

【料金】二本立て ¥2,000/ アップリンク会員、neoneo9号持参か購入で¥1,800
【会場】渋谷 UPLINK FACTORY(1F)

予約・購入はこちらから
http://www.uplink.co.jp/event/2017/49000

※ドキュメンタリーマガジン「neoneo」9号とバックナンバー、登壇者関連書籍の販売あり
※イベント終了後、近隣で打ち上げあり

【上映作品紹介】

『ぼくのなかの夜と朝』(1971年/100分)

「筋ジストロフィ」の少年たちは明るく生きていた
福祉記録映画監督としての柳澤を確立させた傑作

両足の装具をガチャ…ガチャ…と鳴らしながら歩く筋ジストロフィの少年達が話す。「いっそ 映画のゴジラになりたい」と。『夜明け前の子どもたち』の次に、柳澤壽男が監督した記録映画第二作目である本作の舞台は、仙台市の国立療養所西多賀病院(当時)だ。歩けなくなった青年達は詩作する。「何か別の生きていく意味が要る。新しい価値の基準が要る」と。「新しい価値の基準が要る」のは、果たして彼らに限った問題だろうか。

『夜明け前の子どもたち』(1968年/120分)

その「療育活動」は、発展途上の福祉か、未完の完成か
「障害」ドキュメンタリーにおける不遇の名作

松竹で劇映画を、岩波でPR映画を撮って来た柳澤が、福祉記録映画監督としての道を歩みだした記念すべき作品。「重症心身障害」や「自立」の定義から、キャメラと被写体の距離感に至るまで、半世紀の時を超えた今こそ、この社会の価値観や在り方を大きく揺さぶってくる不遇の名作である。舞台は、滋賀県にある重症心身障害児施設、びわこ学園。そこで行われた「療育活動」は、発展途上の福祉か、あるいは未完の完成か。

【監督紹介】

柳沢壽男(やなぎさわ・ひさお)
1916(大正5)年、群馬県生まれ。
1936年ころ、大曽根辰夫監督の紹介で松竹下加茂撮影所に入り、チャンバラ映画の助監督を務める。
1940年、『安木ばやし』を監督するが、1941年に封切られた記録映画『小林一茶』(亀井文夫監督)を見て衝撃を受け、翌年退社。記録映画を志す。1943年日本映画社に移り『富士山頂観測所』『海に生きる』(49、樺島清一と共同監督)などを撮る。1950年、人員整理のため解雇されるが、1953年岩波映画製作所と契約し、『新風土記・北陸』(53)、『室町美術』(54)など、さまざまな題材の文化映画を監督する。並行して日本映画新社、電通映画社、日経映画社の作品も手がけた。1960年代なかば、公害をもたらす企業PRへの疑問から岩波との契約を辞し、自主制作の道を模索。4年後の1968年、『夜明け前の子どもたち』(1968)を完成させる。
その後『ぼくのなかの夜と朝』(71)、『甘えることは許されない』(75)、『そっちやない、こっちや』(82)、『風とゆききし』(89)を自主制作。晩年は看護師をテーマにした新作『ナースキャップ』に取り組んでいたが、未完のまま1999年、83歳で生涯を閉じた。