【Review】「らしさ」という枠組みから抜けて『ソニータ』  text くりた

突拍子もない話のように聞こえるかも知れないが、私は『ソニータ』を観おわったあとポール・ヴァーホーヴェン監督作品の『エル ELLE』のことを思い出した。

ご存じの方も多いのは承知の上で説明すると、『エル ELLE』とはフィリップ・ディジャンの小説「oh…」を原作としたフランスのサスペンス映画である。主なストーリーは、ある日謎の覆面男にレイプされた主人公ミシェルが、誰にも頼ることなく自らの手で犯人を探し出し、復讐を企てる、といった内容だ。この作品はフランス映画ながらも主演のイザベル・ユペールが米アカデミー賞にノミネートされたことで日本でも話題になった。

一方、『ソニータ』はアフガニスタンからイランへと亡命したひとりの少女がラッパーとしての成功を夢みながらも、強制婚を強いられるというドキュメンタリー映画である。一見すると似ても似つかないようなこの2つの作品は、女性がひとりの人間として生きていく上でとても重要な共通点が見出せる。

例えばソニータが切羽詰まった状況に立たされた時にひとりのスタッフが彼女についてこう評する場面がある。「もし本当に困っていたら笑ってなんていられない。でもあの子はいつもどおりだった」と。確かにそのシーンでの彼女は、少しがっかりしたようなそぶりを見せはしたものの、うつむき加減に微笑んだだけで何も言わずにその部屋を後にした。

彼女の様子はスタッフの「本当に嫌だったら普通の少女はこういう反応になるはず」という想定から外れていた反応だったということで、それは彼女に売られる少女「らしさ」というものがなかったと言っていることになる。ここでいう「らしさ」、をわかりやすく言い換えれば涙を流したり、怒り狂ったり…といった類のもので、そのような感情の発露があって当然だろう、ということなのだ。ではその「らしさ」がなかったソニータは、その困難な状況を前にして実際に困っていなかった、ということになるのだろうか。普段どおりに振る舞えるのであれば、彼女は困ってなどいない、と言えるのだろうか。「自分だったらそんな風には振る舞えないから」という理由だけで彼女が苦しんでいない、ということになり得るのだろうか。

© Behrouz Badrouj

ソニータは当時16、7歳といったところだが(正確な年齢はあやふやらしい)、非常に自立心が強く、自らが置かれた状況を客観的に把握しているように見える。そして自分のすべきことを適切に理解し、絶えず動き回っているのだ。彼女には自分自身を哀れんでいる暇はない。その地に足のついた様子は、控えめな少女たちの中でも際だって大人びた印象を受け、困難な状況下にあってもその立ち居振る舞いからは彼女の心情を推し量ることは難しい。それこそ、売られてしまうかもしれない恐怖に怯える少女「らしさ」は感じられない。

先ほどあげた『エル ELLE』の主人公においてもそうだ。主人公のミシェルはレイプ被害にあいながらも警察には通報しない。事件後もそれ以前と同じように、普段どおりの生活を続けながら犯人探しを始める。その間も彼女は1人の時でさえ泣いたり激昂したり、やはり被害者然とした様子を一瞬たりとも見せることがない。彼女には被害者「らしさ」といったところが全くないのである。

これは、同じくレイプ事件の被害者の会見を見て「もっと被害者らしい服装をしろ」と嘲笑する国においても全く同じ事が言えることだが、ほとんどすべての女性は国や文化といった枠組みの中で考えうる最も一般的な「らしさ」から逸脱する事を許されていない。そこから外れてしまえば多かれ少なかれ、見ず知らずの人々から非難されたり、貶められたり、さらに辱められたりすることは想像に難くない。

そんな都合の良い枠組みで仕切られた世界において、『ソニータ』と『エル ELLE』に共通しているポイントというのは、ソニータとミシェル、そのどちらも社会が押し込めようとする「らしさ」の定義に抵抗、あるいは拒否している女性についての作品だということだ。「この世界にとって都合のいい女にはならない」という確固たる決意は女性はもちろんのこと、男性をも勇気づける強烈なメッセージだ。

© Behrouz Badrouj

そしてさらに、劇映画の中よりも残酷な現実世界で戦うソニータには明確な夢があり、希望があり、そして純然たる怒りがあり、また周囲の人間をも巻き込んでゆく才能までも備えている。事実、本作においては通常のドキュメンタリー作品では考えられない製作者側の介入が見られるのだが、その過程までもがひとつの作品として昇華されている。作り手側も彼女の持つ求心力によって作品の中に組み込まれてしまったのだ。ソニータを見ていると「何もせずにそこへとどまる」という選択肢が馬鹿らしくなってくるのだから、それも当然の選択だと言えるだろう。

このような女性の解放がテーマになっている作品などは「特に女性に観て欲しい・観るべき」といった謳い文句が用いられがちだが、本作を観た後ではそのような常套句を使うことは憚られるだろう。これは「すべての人たちに見て欲しい」作品で、すべての人たちが観る必要のある作品なのだ。そもそも映画というものは「女性」だとか「男性」だとか、ましてや国の違い、肌の色の違い、立場の違いでくくりつけて観る必要なんてないはずだ。そんな簡単なことさえも分からなくなっていたことに、ふと気づかされる。いつの間にか押し込められてしまった「らしさ」の枠から抜け出し、今いる場所より一歩先へ進むことから、すべては始まっていくのだ。

© Rokhsareh Ghaem Maghami

 

【映画情報】
『ソニータ

(2015/91分/スイス・ドイツ・イラン合作)

監督:ロクサレ・ガエム・マガミ
出演:ソニータ・アリザデ、ロクサレ・ガエム・マガミ
製作総指揮:ゲルト・ハーク
音楽:ソニータ・アリザデ、セパンダマズ・エラヒ・シラジ
配給:ユナイテッドピープル
後援:国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所、Girl Power
http://www.unitedpeople.jp/sonita/


2017 年 10 月 21 日(土)
アップリンク渋谷他にてロードショー

公式サイト:http://unitedpeople.jp/sonita/

 

【執筆者プロフィール】

くりた
WEBデザイナー兼、雑食映画ライター。最近はドニー・イェンを中心にアジア映画を観ています。【変な映画が観たい】というブログをやっています。
Twitterアカウント:@nnnnotfound