ー作品を楽しく拝見しました。今回、坂本龍一さんの話してらっしゃることをかなり中心に撮るように作られている印象を受けました。坂本さんに親しい方や、近い方以上に本人へのインタビューにこだわった理由があれば、教えてください。
確かに、音楽ドキュメンタリーのパターンって、これまでにどういうことがあったかという話を何人もの人から聞くみたいなのが典型的だと思うんです。一時期はそういう撮り方も考え、何人かからお話を伺ったりもしました。でも、今回はとてもご本人と密な時間を過ごさせていただけたことは、とても例外的だったと思うんです。普通はそんなにお時間も頂けないし、その過ごした時間がご本人にとってとてもダイナミックな変化がある時期でした。また本人の背景にある、日本という国とか世界情勢もガラッと変わったように思うんです。英語だとTalking Headsっていうんですけど、お知り合いの方々がカメラへ向かって喋る 説明的なことをあえてやらないで、シンプルにご本人の体験談とご本人が何をしたいのか、何をするのかを撮るミニマルな形を選びました。ご本人の音楽の形式も今、ミニマルなんですね。シンプルだから単純かというとまったくそうではない。音楽も映画も、省かれてるほうがいろいろ勇気がいるんです。今回は技量が試されることに、あえてチャレンジしちゃった感じですね。それがこの題材に関しては正当なやり方だったと思います。
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ーいくつか今、キーワードがあったかと思います。「ダイナミックさ」のところについて。今回の作品は、坂本さん個人を捉えている部分と、政治や環境問題を扱う部分のバランスの取り方が絶妙だと感じました。
ご本人と出会ったのが2012年の6月なんですけれど、アーティスト兼アクティビストみたいな状態でした。映画としてそれを観察するというのは大切な行為だと思いました。特に、撮り始めた頃の、福島や3・11って、テレビの取材とかは、その衝撃を避けているようにも見えました。ちょっとタブー化されているというか。なので、記録することに意味を感じていたんです。
同時に、政治的なスタンスを映画として選ぶと 、説得や説明をしないといけない。そうすると、(作品が)老けやすい。すぐに賞味期限が過ぎちゃう。政治家を批判したって、その政治家はすぐにやめちゃうかもしれないし。当然自分の考えもありますけど、映画としてはただ坂本さんの活動を観察する。
アーティストといってもさまざまで、その人が生きる時代とか、背景にある問題とかに全く影響されない人もいれば、深く影響されて変化していく人もいる。坂本さんは特にここ20年くらいは後者ですよね。それも全く捉えないわけにはいかないから、本人のインスピレーションや不安に影響していることは取り入れたりして、悩みながら距離感を考えました。
ー終盤で、坂本さんの横をニューヨークの消防車が走っていく場面が、そのまま9・11の話題につながる展開が印象的でした。環境音を物語の導入に使うというのは優れた距離感の取り方だと感じました。
面白い質問ですね。色々と考えがあったんですけれど。結局坂本さんって、音の専門家ですよね。彼の表現は音が主体です。実際に耳も、ものすごくいいらしい。人間にはもちろんアンテナはないけれど、あるとすれば彼にとってそれは耳だから、彼がどういうふうに世の中を感じるかというと音を通じてなんじゃないかと思いました。もちろん目も悪いわけじゃない。我々と同じように目でもいろんなことを感じられていると思いますけど、やはり音の扱いにはこだわりました。
音って定義されてないんですよね。もちろんサイレンの音とか(定義があるもの)もありますけど、文字ほど具体的ではなく、たとえば、赤いサイレンとかはないじゃないですか。抽象的だから人間の解釈とかが入ってくるし、感じやすいんですね。意識的な理解とはちょっと離れたところで人に何か伝えられる。とてもユニークなんですよね。
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ー音と言語の関わりについてのお話も出てきますね。
音を軸にして表現していくっていざ、考え出すと今度サイレンの音みたいなことはツールとしていろいろなことができるんです。
ー社会と関わる部分と創作の言語化できない部分の接点になっているのかな、と思いました。
あとは、うまくいってるかどうかわからないですけど、音とその記憶とか、 音と人間の知能の関係性といったものも、試してみたかった。私も9.11の頃はニューヨークにいましたし、当時はもう本当に一日中、あのサイレンの音がしてたんです。坂本さんと話すと、音楽って人間の脳のすごく奥深くのところに直接訴えるらしいんです。だから、爬虫類の頃からあるような進化の中でいうと、とても古い部分の本能的なところに音は入ってくるんです。映像もそういうところがあると思います。夢のように潜在意識に訴える。トリガーとしてサイレンの音があって、そのあとに9.11の話になる。そういう構成ができた。
主観性が全くないほうがいいかっていうと、そうではないと思います。僕は、個人的にあの音を聞くと、フラッシュバックみたいな思いがあるんです。あの頃の気持ちが入るんです。そういうのをやってみるとこういう質問が来たりする。不思議なものですね。
ー夢や潜在意識というキーワードが出てきました。作品内でアンドレイ・タルコフスキーの作品を取り上げられていますね。映画として坂本さんを語る上で、映画と坂本さんの接点というのも外せない部分だったんでしょうか。
タルコフスキーの話もいろいろとありまして。(坂本さん)ご本人ももちろん、彼のことがすごくお好きで、「async」(2017)というアルバムの制作中はタルコフスキーのことをいろいろおっしゃっていました。私自身も、大学時代から(タルコフスキーが)好きだったんです。彼の書いた本も読んだりしました。『アンドレイ・ルブリョフ』(1971)という映画があるんですけど、主人公が画家なんですね。画家がさまよい、その時代の中でいろいろあって最後に名作を作る。その構成とか、実はちょっと意識してたんです。そうしたら不思議となんか交差してしまい、坂本さんもバッハのコラールとかって言い出して、ちょっとこれはもしかしたらいいかもみたいに思って。
例えば、『アンドレイ・ルブリョフ』って最後だけカラーなんですよ。彼が残した絵画をフィルムのカラーで全部撮って、あと全部白黒。なんのセリフもない、絵が見えるだけなんだけど、『CODA』ってタイトルを元に考えたときは同じように、最後は演奏、音楽だけっていうのを考えてたんです。僕は自分自身の『アンドレイ・ルブリョフ』を考えていて、芸術家が主人公で、一番最後だけちょっと変わった形になる。それで、いわゆる映画の『CODA』が新たな音楽の表現になる。彼は彼で、『惑星ソラリス』(1972)とかシンセサイザーの効果とかの話をしていた。タルコフスキーさんも無意識のうちに直感的に決めて映画も編集しちゃうべきとかそういうことを本に書いています。だから、色々な意味でタルコフスキーの音の使い方も主観的に取り入れているところがありますね。
あと、たまたまなんですが、この映画がヴェネツィア国際映画祭で上映されたのがメインの劇場で、タルコフスキーが最初に作った映画を上映したのと同じ映画館だったと思います。一部の素材の使用許可を下さったのもタルコフスキーの息子さんで、上映にもいらしてくださった。今はフィレンツェに暮らしていて、そういう不思議なこともありました。
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ーもう一つ登場する作品『ラストエンペラー』(1988)も、イタリアの監督ベルナルド・ベルトルッチという接点がありますよね。
面白かったのが、イタリアでは坂本さんって大スターなんです。ヴェネツィア映画祭っていうのもあるんでしょうけど、歩いてるとずっとサインを求められたり、みんなにすごく愛されてるんです。それはベルトルッチの組の一員だからっていうのが大きいらしく、上映の時も、エンニオ・モリコーネだったらどうするみたいなやりとりがあって、モリコーネもイタリア人だから、名前が出た所でイタリアの人は大爆笑。
ーいろんな要素が噛み合うすごく良い巡り合わせの上映だったんですね。
坂本さんの個人的な生活に焦点を当てていらっしゃるというので、シンバルにカップをのせて音を録るシーンも印象的でした。社会の方に音が結びつくお話と、もう一つ、生活と創作が結びつくお話がテーマにあるように感じました。
ご本人も、いわゆる前衛画家のように、理論を自分で壊して、無垢な感じで出てくる音というのを作りたかったみたいです。 今回はそういう自己制御みたいなものをなくして、本当に自由に作ったんじゃないですかね。同時にピアノの音階とか、人間がロジックとシステムを持っていることを信じられなくなった坂本さんもいたんじゃないかと思うんですよ。だから、いろんな意味があってああいう行為をなさっていた。
ー理論やシステムを信じられなくなってしまった時、坂本さんにとって被災したピアノが救いになるような部分もあったんでしょうか。
救いかはわからないですけれど、映画の中ではあの音をだんだん痛々しいと思っていたのが、ご病気を経て創作のプロセスに入っていかれるときには、新鮮だと思われるようになった。刺激的に思ったんでしょうね。被写体としても面白いと思いました。彼は作曲家でも演奏家でもあり、ピアノに対するアレルギーみたいなものもある。だから、ストレートにこれがピアノだからドレミファソラシドで、このキーの中で、という演奏や作曲をやるわけではない。そこが面白いと思います。そこにまた物語があるような気がしました。
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ー映像のアプローチについても聞かせてください。劇中ではレントゲンの写真や戦争について語るシーンでミサイル発射の記録映像も入ってますね。
面白い質問ですね。坂本さんはいろいろな音楽表現をされてきたと思います。一つは80年代にサンプラーを使いました。音色とかそういったものをデジタルでコピーして加工し直して表現に入れるってことをしたんです。サンプリングってそれこそ今は、ヒップホップとかの世界だと思うし、いわゆるポップスみたいな音楽だとみんな使いますよね。それにインスパイアされたという面もあるかもしれません。今回、技法の一つとしてやるのはアリだなと思いました。被写体が坂本さんだから、どういうのが面白いんだろうと思ってやってきましたね。
ー密接な環境の中で作られたから創作的な影響も受けられたんでしょうか。
それもあります。オマージュみたいなやり方も考えました。レントゲンは実物があった。あと、確かにミサイル発射のやつは、彼が何に対して憤りを感じていたのかを映像で探さないといけないと思っていました。あれ、米軍の映像なんですよ。アメリカ軍ってああいうのを無料で使わせてくれるんです。ただ使い方がアメリカ軍すごいな、みたいな感じのものにはなってないと思います。ああいうテクノロジーを使っていろんなことができちゃう怖さを表したり、音楽にも合わせて使った面もあります。そういったことの表現のバリエーションっていうんですかね。テクノロジーは全て、諸刃の剣ですね。
ーポスターにもなっているバケツをかぶって雨音を聞いている坂本さんの姿を撮られた理由についても聞かせてください。他にも背後から後頭部を映したシーンが多いようにも感じました。
たまたまだと思うんですけど、実はそのあたりの素材を撮っているのは撮影監督の空 音央さん。坂本さんの息子さんなんですよ。だからこれ、父の背中なんです。それもまた微妙な距離感で。もちろん一緒に話し合いながら、実家に行って撮ってもらってます。それも全部、ご病気があったからなんです。病気がわかったときに、企画がもうこれで破綻になるかもしれなくなった。それでスタッフ全員でどうやってこのプロジェクトを続けていこうか考えたんです。何が一番効果的か。その中で生まれた不思議な構図が自然と作品になりました。
ーそれはドキュメンタリーの醍醐味ですね。
そうですね。予定通りにいかなくて、ドキュメンタリーの場合はいいんですよ。状況にはよりますよ。うまくまとまればいいわけで、フィクションの場合で撮影スケジュールあるのに、予定通り行かなかったって。喜んでる場合じゃないケースもあるんですよ。もちろんこちらも大変でしたよ。ご本人も辛かったでしょうし。ドキュメンタリーは即興性が問われるので。そういったこともあって、ご本人が克服しながら作られた音楽が本当に素晴らしいので、それが響くところがあったのではないかと思います。
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【作品情報】
『Ryuichi Sakamoto: CODA』
(2017年/アメリカ・日本/カラー/DCP/American Vista/5.1ch/102分)
出演:坂本龍一
監督 : スティーブン・ノムラ・シブル
プロデューサー : スティーブン・ノムラ・シブル エリック・ニアリ
エグゼクティブプロデューサー : 角川歴彦 若泉久央 町田修一 空 里香
プロデューサー:橋本佳子 共同制作 : 依田 一 小寺剛雄
撮影 : 空 音央 トム・リッチモンド, ASC
編集 : 櫛田尚代 大重裕二
音響効果: トム・ポール
製作/プロダクション:CINERIC BORDERLAND MEDIA
製作:KADOKAWA エイベックス・デジタル 電通ミュージック・アンド・エンタテインメント
制作協力 : NHK 共同プロダクション:ドキュメンタリージャパン
配給 : KADOKAWA ©2017 SKMTDOC, LLC
公式サイト http://ryuichisakamoto-coda.com/
公式Facebook https://www.facebook.com/ryuichisakamoto.coda/ 公式Twitter @skmt_coda
11/4(土) 角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開
【監督プロフィール】
スティーブン・ノムラ・シブル/Stephen Nomura Schible
1970年、東京生まれ。日本人の母親とアメリカ人の父親の元で育つ。18歳でニューヨークに移住しニューヨーク大学で映画製作を学ぶ。在学中に、原一男監督のアシスタント・ディレクターを務める。90年代後半、プロデューサー代理として、青山真治監督『EUREKA ユリイカ』(00)、河瀬直美監督『火垂』(00)などの海外窓口・国際マーケティングを担当。マルグリット・デュラス原作『二十四時間の情事』(59)のリメイクで諏訪敦彦監督『H story』(01)にも参加。ソフィア・コッポラ監督『ロスト・イン・トランスレーション』(03)では、共同プロデューサーとして日本サイドの全製作業務を担当。2004年、エリック・クラプトンが敬愛するブルース界のレジェンド、ロバート・ジョンソンへのトリビュートとなった音楽ドキュメンタリー『セッションズ・フォ
ー・ロバート・J』を監督・製作。以後、広告コンテンツの製作等や映画製作を続けている。ニューヨーク州在住。
【執筆者プロフィール】
イトウモ/Ito-Mo
1990年生まれ。岐阜県出身。大学では映画史と美学を専攻し、演劇活動に携わる。塾講師、新聞記者などを経て現在、ライターとして活動。2017年6月より、批評再生塾第3期に参加中。