【リレー連載】列島通信★山形発/今、なぜNDUか〜DDS2012「伝説の映画集団NDUと布川徹郎」に寄せて〜 text 畑あゆみ

『沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー』 ©日本ドキュメンタリストユニオン

「山形発」と銘打っているにも関わらず、初回から東京で行われたイベントについて書き記すのをお許し頂きたい。本サイトneoneo webでも開催前からPRさせて頂いていたドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形in東京(DDS)2012。9月21日、盛況のうちに幕を閉じた。共催団体の一員として、ご協力、ご来場頂いた方々皆様に心より感謝申し上げたい。

さてそのDDS2012の特集上映のうち、「伝説の映画集団 NDUと布川徹郎」特集にも多くの方々にお越しいただいた。観客には、当時をよく知る関係者の方から、映画史の専門家、NDU作品に初めて出会う若い人までさまざま含まれていて、上映後の遅い時間のトークまで多くの方が席を立たずに聞いておられたのには感動した。1968年に誕生し、そして現在もその歩を止めることなく社会に対し果敢に異議申し立てを続けるこのNDUという製作集団について、今回大変な役不足ながら私も少しお話させて頂いたので、以下にその一部を短く記しておきたい。

今年2月に亡くなられた、NDUの中心人物であり理論的な支柱であった布川徹郎氏。一昨年にNDUについての小論を書いておきながら、私自身は結局、布川氏とはお会いする機会を得ぬまま過ぎてしまった。だが、70年代にNDUによって書かれた初期の文章を何度も読み返すという作業を続けたその1年は、血気盛んな若き布川氏との、文字の上での対話の日々となった。「アングラはよくしゃべる」とは、前衛・アングラ演劇シーンにおける活発な批評活動を評した演劇史研究者の梅山いつき氏の言葉だが[1]、同時代に登場したNDUの言語活動もまた旺盛であった。今回製作されたNDU特集カタログに掲載された詳細な文献表からも分かる通り、彼らは他の製作集団に比べても饒舌で、また同時に他者からの批評も数多く引きよせ、論争を起こしてもいる。『映画批評』誌をはじめとして、大小さまざまな媒体で彼らの理念や主張を読むことができるが、その内容は、映画/運動の真の変革を志す彼らの思考錯誤の跡そのものであった。それは同時に、彼らよりほんの少し先を行く小川紳介や土本典昭、東陽一といった自主記録映画のパイオニアたちの活動と自らの運動とをいかに差別化するか、いかに彼らを越えていけるか、という大きな命題と使命感に支えられた模索でもあったのだ。

彼ら自身によって「国境シリーズ」と名付けられたNDUの初期4作品(『鬼ッ子―闘う青年労働者の記録』(1969)『沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー』(1971)『倭奴へ―在韓被爆者 無告の二十六年』(1971)『アジアはひとつ』(1973))のうち、特に後の3作品は「大日本帝国」の国境へ、辺境へと旅しそこで生きる人々を記録し続けた作品群である。同時代の多くの記録者が、砂川や成田、沖縄本島などでの最も激しい闘争の現場へと飛び込みそれを記録することのみで完結していた一方で、NDUはそうした闘争の喧騒から徐々に離れ、沖縄本島からさらに南下し、国家や歴史に翻弄されながら社会の片隅で生きる小さな集団に愚直にまなざしを向けていく。周縁にある人々の視線は常に中心/日本本土へと注がれているが、中心にある人々の眼はめったに周縁の人々の現実を直視することはない。ならば自分たちが、本土/ヤマトの一市民としてそのような限界地域を見つめ返し、近代国家、戦争、資本主義システムが浸食し破壊した、あるいは破壊しつつある人々の生活、古い共同体の姿を記録していかなければならない。これらの作品に映し出されているのは、思想の「最前衛」を担おうとした映画製作集団としてのこうした自負と決意であり、それを行動に具現化し得たことが他の作家と一線を画するNDUの特徴の一つであった。

『倭奴へ 在韓被爆者 無告の二十六年』©日本ドキュメンタリストユニオン

そしてこの彼らの決意とアジアへのまなざしは、自分たち自身への自己批判であると同時に、必然的に映画を見る本土の観客の意識に鋭く切り込むものとなる。NDU作品の70年代初頭当時の観客は主に学生や活動家であったが、それらの映画は、アメリカや国家権力、既成政党に対する異議申し立てだけでなく、むしろ見に来るその観客自身に対して批判的な問いを投げかけるものだった。沖縄奪還を唱え自分たちこそ最前衛と称してはばからない活動家もまた、沖縄社会の現実を本当に知っているのか。いまだ「大東亜戦争」の記憶と傷を抱えている人々の存在を「日本人」としてどう考えるのか。NDUの作品は、こうした問いを言葉ではなく映像によって、そして被写体によって歌われる歌を通して投げかける。『モトシンカカランヌー』の沖縄民謡や猥歌、『倭奴へ』や『アジアはひとつ』に出てくる日本の軍歌やその替え唄などは、当時国内でも一般に親しまれていたものだ。だが、それらの歌が過酷な生活と記憶の中にしみ込んでいる在韓被爆者、台湾人労働者、沖縄の娼婦らによって歌われるとき、全く異なる位相で響いてくる。『日本春歌考』(1967、大島渚)における歌の表象ほど複雑かつ意図的ではないにしても、辺境の地で歌われる歌は、目の前でカメラを回すNDUのメンバーに向けて、そしてその先の本土の観客に向けて歌われ、彼ら自身が享受する戦後民主主義や反戦・反米運動の欺瞞を暴露するものとしてあった。そしてこの手法は、それから30年を経て2005年に再結成され制作された『出草之歌―台湾原住民の吶喊 背山一戦』で全面化する。ここでは、美しい台湾原住民伝統音楽が、近代国民国家に抑圧され続けてきた民族の抵抗の歌として、堂々と映画の中心をなしているのだ。

『アジアはひとつ』 ©日本ドキュメンタリストユニオン

これらの要素は、NDUの輪郭のほんの一部に過ぎない。小川や土本らの影に隠れ、これまでほとんど注目されてこなかったこうしたNDUの実践とその全体像は、いま一度見直され、批判も含め歴史的にしっかりと評価される必要があるだろう。(近々、NDUの井上修氏はじめ関係者、識者数人による文集『燃ゆる海峡』がインパクト出版会より刊行予定とのことで、そちらが大変楽しみである。)ともあれ2012年の今、NDUの映像を見ることの意義は明らかである。それらは、「戦争」はもはや過去の歴史だ、と考えているのは日本人だけであり、沖縄の基地問題、そして現在深刻な摩擦を抱える中国、韓国、そしてロシアとの領土問題をはじめ、過去の戦争の遺産は周辺諸国との関係においていまだ消えることなく存在しつづけている、ということを私たちに改めて思い出させてくれる。彼らが標榜した「出会いの映画」は、現代でもいまだ十分に有効なのだ。

 (了)

 *今回の特集上映後に知己を得た評論家の伊達政保氏から、NDUに関して重要なご教示を頂いた。ここに記して感謝申し上げたい。

 


[1]梅山いつき『アングラ演劇論 叛乱する言葉、偽りの肉体、運動する躰』(2012、作品社)。


■『伝説の映画集団NDUと布川徹郎』は、第4回神戸ドキュメンタリー映画祭(10/19~28) にて特集上映

  問合せ: 神戸ドキュメンタリー映画祭実行委員会事務局(神戸映画資料館内)
  電話:078-754-8039 メール:info@kobe-eiga.net
  映画祭HP→http://www.kobe-eiga.net/kdff/2012/09/ndu_1.html 

■『燃ゆる海峡 NDUと布川徹郎の映画/運動に向けて』
  編著:『燃ゆる海峡』編集委員会  
  発行所:インパクト出版会(問合せ/予約受付) 10月末刊行予定
  電話: 03-3818-7576  FAX: 03-3818-8676
  メール: impact@jca.apc.org

【執筆者プロフィール】 
畑あゆみ(はた・あゆみ)
愛知県生まれ。専門は記録映画史研究。2011年4月より山形国際ドキュメンタリー映画祭山形事務局勤務。発表論文に「「運動のメディア」を超えて ―1970年前後の社会運動と自主記録映画」(『日本映画史叢書第14巻 観客 へのアプローチ』所収、2011年、森話社)など。