【Review】その図書館は、まるでユートピアーー『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』 text 舘由花子


『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』の監督、フレデリック・ワイズマンはディレクターズ・ノートでこう語った。「ニューヨーク公共図書館は最も民主的な施設です。すべての人が歓迎されるこの場所では、あらゆる人種、民族、社会階級に属する人々が積極的に図書館ライフに参加しているのです」と。いささか大げさにも聞こえるコメントだが、この3時間半にも及ぶ作品を見終える頃には、彼の言葉がすんなりと心に響く。確かに、この図書館は誰をも受け入れる、まるで社会のセーフティネットのような、まるでユートピアであるかのような施設なのだ。ここへ行けば知性に触れられ、社会に所属し、そして何より、誰かと繋がることができる。簡単なように聞こえるけれど、これが意外と難しいってことは、現代を生きる私たちならわかるはず。

さて、3時間半にも及ぶ、と言ったが、正確には205分という長丁場なこの作品。そこには明確なストーリーラインは一切ない。監督はこの図書館を撮影するにあたって約12週間を要したといい、作品はワイズマンのカメラが捉えたさまざまな場面のモンタージュで構成されている。ニューヨーク公共図書館(以下NYPL)は世界一の図書館とも言われる広大な施設で、観光スポットでもある本館を含む92の図書館のネットワークからなる。もちろん作中に全てが登場するわけではないが、約50の場面を絶妙なバランスで繋ぎ合わせたこの作品は、NYPLのさまざまな表情を見せてくれる。

例えば、映画の冒頭はこうだ。観光スポットとしても名高い、荘厳なボザール建築をじっくりと見せるシーンに続き、ワイズマンはNYPLの名物企画「Book at Noon(午後の本)」を紹介。図書館の出入り口付近で催され、誰でも気軽に見学できる企画で、今回のゲストは進化生物学者・動物行動学者のリチャード・ドーキンス博士だ。カメラは、博士が語るアメリカ社会のキリスト教原理主義者への批判はもちろん、彼が観客らに語りかける様子や、彼の言葉に聞き入る人種も、性別も、年齢もさまざまな人々の様子、そして時に湧き上がる笑い声や拍手の音をスクリーン上に提示する。作品開始からわずか60秒ほどで、私たちは「図書館らしからぬ」エネルギッシュなNYPLの表情に、おそらく誰もが抱く図書館への静的なイメージを覆される。

この予想外で、楽しげなシーンを皮切りに、ワイズマンはさらに予想を超えた図書館の表情を切り貼りしてみせる。順を追って列挙するのではなんとも面白みがないが、いくつかのシーンを挙げてみよう。例えば、NYPLの名物サービスで、「人力Google」とも呼ばれる司書たちの電話対応のシーン。「ユニコーンは想像上の動物です、現実の生物ではありません」なんて、電話越しの利用者に返答する司書の姿がなんともユーモラス。NYPLが「公共」の場として、いかに努力しているかを感じるシーンも多数ある。例えばボランティアが子どもたちに勉強を教えるシーン、就職支援プログラムでリクルートのための説明会を催すシーン、自らも視覚障害をもつ担当者が、障害者に向けて住宅手配のサービスについて説明するシーン。どれも、図書館という領域を超えて、社会で必要とされている役割を担おうというNYPLの熱意が伝わってくる。「知の殿堂」と称されるNYPLならではの場面を挙げるなら、100年にわたってありとあらゆる写真を収集しつづけてきたというピクチャー・コレクションや、400人以上の作家の原稿、書簡などを所蔵するバーグ・コレクション、レンブラントの自画像など貴重な欧州版画を集めた印刷コレクションのシーンだろうか。約6,000万点という世界有数の蔵書数を誇る、NYPLのコレクションの片鱗を垣間見ることができるのだ。ミュージシャンのエルヴィス・コステロや、ミュージシャンで詩人のパティ・スミス、陶芸家であるエドムンド・デ・ワールなど、豪華なメンバーによる講演も興味深い(ちなみに、個人的には話し言葉で詩や物語を語るアーティスト、マイルズ・ホッジスのパフォーマンスが一番心に響いたのだが、この作品を見た人は、それぞれに「ここがお気に入り!」というシーンを見つけられるはず)。

こうした、利用者的な視点からみたNYPLを描く一方で、ワイズマンはNYPLの作り手たちにもカメラを向ける。館長や主任司書、運営役員など図書館運営の中枢を担う人びとをはじめ、分館で働くスタッフらも交え、繰り返し映し出される会議の様子。そこで語られる内容は多種多様だ。資金調達は市と民間、どちらへ主眼を置くべきなのか、そのための政治的なアプローチは?図書館はIT化にどう対応していくべきか?電子書籍の導入は?ベストセラーと推薦図書はどう配分する?図書館を利用するホームレスへの対応は?どれもNYPLをめぐるトピックスでありながら、スタッフらはみな更に大きな視点を持っている。それは、彼らの選択が、果ては世界中の図書館へ、そして社会そのものへ影響を与えるという自覚なのだ。彼らのビジョンが無謀でないことは、スクリーンに映し出される利用者たちを見ていれば自ずと分かってくる。膨大な資料を必要とする人々や、講演を聞きにきた人々、勉強をしにきた子どもたちや、写真を撮る観光客、社交を求めるお年寄りに、隣接する公園で本を読む人々……NYPLが彼らをここへ導き、知へ触れる機会を与え、個人を繋げた。ナレーションのない一連の映像は、それでも十分に雄弁だ。

アメリカ社会のあり方だったり、公共図書館の目指すべき姿だったり。3時間半の長旅を終え、さまざまな感想や学びが得られる作品だが、きっと私たちの胸に浮かぶのは「こんな場所がどこかにあれば」という純粋な気持ちじゃないだろうか。ワイズマンのカメラとともに、この広大な図書館をゆっくりと歩き回り、気になる場所で足を止めてはまた歩くような贅沢な体験を経て、私たちは現代人が必要とするユートピアに出会えるのだ。

【作品情報】

『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』
(2016年 / アメリカ / 英語 / 205分 / カラー / ビスタ / モノラル)

出演:

〈図書館ライブ〉ポール・ホルデングレイヴァー、エルヴィス・コステロ、パティ・スミス、エドムンド・デ・ワール、ハリール・ジブラーン・ムハンマド、タナハシ・コーツ
〈午後の本〉ジェシカ・ストランド、リチャード・ドーキンス、ユーセフ・コマンヤーカ
〈パフォーミング・アーツ〉イヴァン・レスリー、キャロリン・エンガー、マイルズ・ホッジス、キャンディス・ブロッカー・ペン
〈ブロンクス図書館センター〉ダブル・アンタンドル

監督・製作・編集・音響:フレデリック・ワイズマン

撮影:ジョン・デイヴィー 撮影助手:ジェームス・ビショップ 編集助手:ナタリー・ヴィニェー
音響編集助手:クリスティーナ・ハント 製作総指揮:カレン・コニーチェク
サウンドミックス:エマニュエル・クロゼ デジタルカラータイマー:ギレス・グラニエ
製作:ジポラフィルム 字幕翻訳:武田理子
配給:ミモザフィルムズ / ムヴィオラ

公式HPhttp://moviola.jp/nypl

2019518日(土)より岩波ホールほか全国順次公開

写真はすべて © 2017 EX LIBRIS Films LLC

【著者プロフィール】

舘 由花子(たち・ゆかこ)
奈良県出身、東京都在住の編集者。大学院では映画学を専攻。『なら国際映画祭』にたずさわり、作品選定や翻訳、カタログなどの編集・ライティングを担当する。