Hardcore Ambience企画「Another World」:大野松雄《タージ・マハル旅行団「旅」について》+スペシャルライヴより 提供:東京都写真美術館 撮影:新井孝明
変わる術としての映像文化
映像はバタイユの「ドキュマン」、20世紀の記録文化から最先端のテクノロジーまで幅が広いジャンルだ。そんな映像文化の現在形・諸相を紹介する恵比寿映像祭は回数を重ねて話題となっている。今年のテーマは“トランスポジション 変わる術(すべ)”だ。広義に位置をかえることということで様々な映像表現を紹介している。
実験映像・アニメーションなどオールドファンが着目する作品たちから、テクノロジーを用いた先端系の作品まで幅広く作品たちが取り上げられた。その中で印象的なものをいくつかとりあげてみよう。
展示は冒頭、古典的なレン・ライの1930年代の作品たち「カラー・ボックス」、「レインボー・ダンス」からスタート。素朴な知覚の面白さから日常に示唆を与えてくれる作品たちだ。このアーティストの戦後の作品もみることができた。
日常にない世界へ誘ってくれるルイーズ・ボツカイ「エフアナへの映画」は、アマゾンの先住民族をいい距離から観察する。へ・シャンユは自らの幼少期を描いたドキュメンタリー「ザ・スイム」を含む3作品で構成された映像インスタレーションを展示した。中国と北朝鮮の間に位置する地帯に刻まれた歴史を浮かび上がらせる。2作ともファンは多いはずだ。地主麻衣子の「わたしはあなたの一部じゃない」にある花のアニメでは、日常に潜む気がつかない視点が提示される。また同作家の「テレパシーについて」はカメラマンの背後に立つ他者が、投影される風景に影響を与えることを作品にしている。
へ・シャンユ《ザ・スイム》2017年
提供:東京都写真美術館 撮影:大島健一郎 Courtesy of White Cube
地主麻衣子《わたしはあなたの一部じゃない》2019年
©Maiko Jinushi Courtesy of HAGIWARA PROJECTS
テクノロジーとの接点を感じさせる作品としてはCGアーティストのデヴィッド・オライリーが出品。3DCGアニメーションでありながら視る者の情動に訴えかけるためにシンプルに表現をまとめ、アニメーションの「おねがい なにかいって」を送りだした。一方、生態系と生々流転を大衆性のあるゲームのような3D空間を通じて披露した「エヴリシング」は、対照的に生命とテクノロジーを感じさせた。市原えつこもまた技術と社会・環境のミッシングリンクを探る内容で「デジタル・シャーマン・プロジェクト」や「都市のナマハゲ」ではテクノロジーと近代社会から失われていく神秘性を結びつけることをテーマにしている。現代美術との接点を示した異色な作品では、岡田裕子「エンゲージド・ボディ」が、再生医療による個人や社会の新しい関係をテーマにしている。からだの一部によるオブジェやプロジェクトの解説がポップに展開した。
市原えつこ《都市のナマハゲ―Namahage in Tokyo》日本の“まつり”RE-DESIGNプロジェクト(ISIDイノラボ)2016年 提供:東京都写真美術館 撮影:大島健一郎
岡田裕子《エンゲージド・ボディ》2019年
提供:東京都写真美術館 撮影:大島健一郎
異色な作品も目立った。ユニヴァーサル・エヴリシング「トライブス」は、シミュレートされた群衆の動きを通じて、大衆社会をユーモアとともに楽しむことができる。知的な視点が際立っていたのは、サシャ・ライヒシュタイン「征服者の図案」。南インドの手織物の歴史の映像を通じて、アーカイヴ性や脱植民地主義への考察が促される。ミハイル・カリキスによる「とくべつな抗議活動」は、ロンドンの7歳の小学生たちとのコラボレーションで生まれた作品だ。大人たちの環境破壊を子どもたちが生き物の訴えを通じてきく。
サシャ・ライヒシュタイン《征服者の図案》2017年
カロリナ・ブレグワ「広場」は、複数のスクリーンとクッションがおかれ、1つ1つ作品をみていくことで物語が生まれていき、空間を通じて舞台である“台湾”が再構成されていく。黒川良一「ad/ab Atom」はディスプレイをヴィジュアルに展示し、量子力学や顕微鏡を通じて知ることができる世界を人間が知覚可能にしている。知的な作風を披露したのが牧野貴「Endless Cinema」だ。超現実主義のエルンストに言及しながらコラージュの多重なイメージと、動画の多重露光による重層的なイメージの相互を楽しむことができる。カロリナ・ブレグワ《広場》2018年
メディア芸術のテクノロジーを用いた作品がどうしても華やかで目に入りやすいが、映像は学際的で知的なジャンルでもある。映像だけの作品は、細やかだが深い作品が多い。美術との接点を考え、演出やテクノロジーで工夫をしているアーティストたちの存在感が目立っていた。
牧野貴《Endless Cinema》2017年
提供:東京都写真美術館 撮影:大島健一郎
視覚文化論の流行を越えて
異文化の視点からテクノロジーを用いた“トランスポジション”まで幅の広い内容を扱っている展示だ。同時に幻視を論じた巌谷國士訳のエルンストも引用するなど人文学の古層へのつながりも示唆している。
しばらく前にジョナサン・クレーリーの『観察者の系譜』が情報社会論と視覚的表象の文脈からよく読まれた。視覚の意義について論じたマーティン・ジェイの『うつむく眼』が翻訳されたことも重要だ。社会学のフランクフルト学派はナチスに研究所を襲撃されるなどを経て、やがてよく知られているベンヤミンら関係者の亡命がはじまる。米国へ亡命したアドルノと交流したのがこのジェイだ。彼は西欧の思考の中にある視覚性について論じている。新しいものに対する感覚も豊かで、テクノロジーを駆使した私のリーフェンシュタール研究も評価してくれた。より柔軟なジェイの著作ではないが、今回展示された作品たちの背景にある視覚性や映像メディアの面白さの背景を知ることは重要だ。
紹介された伝説のドキュメンタリー
この映像祭ではギャラリーやホールなどで展示・シンポジウムなど様々な企画が行われ、盛り上がりをみせたが、2月16日に伝説のドキュメンタリーフィルムも見ることができた。惜しくも先日他界した小杉武久がメンバーだったことでも知られている、タージ・マハル旅行団『「旅」について』だ。
編集には、人気アニメ「鉄腕アトム」の音をつくったことで知られる大野松雄(音響デザイナー)。本人が述べるところによると、大野自身ははじめ演劇を志したが、映画や音楽の仕事などを、パイオニア精神でいろいろと試みたという。タージ・マハル旅行団の映像は、一緒に参加するお金がなかったこともあり、旅行しているメンバーが撮影し、送られたフィルムを大野が小杉とともに編集した。今日のような高度に様式化した映像編集と比べると時代を感じさせるものだが、メンバーが撮影した日常目線の映像に本人たちの声による回想を交えたりしながら、時間軸を変えて編集してみせている。余白の多い作品でもあるが、エクスペリメンタルな精神がそこから立ち上がり、旅路の雄大な風景が立ち上がる。
映像に登場するのは真鶴港を出てヨーロッパからトルコ・中東を経てタージ・マハルへ向かう彼らの日々や現地の世界、そして演奏・パフォーマンスの風景だ。映像作家が編集したものからみると余白も多いが、手作り感あふれる音楽やパフォーマンスの記録以外にも当時の風物が写っていそうな歴史的映像だ。大自然の中で岩や海に向けて楽器を演奏したり時には手製の楽器で研究・稽古をする様子が出てくる。音源や当時の回顧録だけではわからない当時の現代音楽やパフォーマンスの様子が解る。また観客たちの反応も伝わってくる。大野松雄監督《タージ・マハル旅行団「旅」について》[オリジナル色調整版デジタル]1972年
若き日の小杉は戦後の音楽に新風を起こした「グループ・音楽」で活躍した。舞台人との交流はこの時代から多く、東京都写真美術館で行われた山崎博の展覧会「計画と偶然」に登場したダンサーたちとも連なるところがある。フランスで活躍しヌーヴェルダンスに影響を与えた矢野英征や、その師の三浦一壮とも交流をしているし、暗黒舞踏の土方巽の作・演出による「レダの会発足第1回公演」(アスベスト・ホール)では音楽を刀根と小杉が手掛けた。
私も生前に交流することができ、最晩年に展覧会「音楽のピクニック 小杉武久展」が行われた時には、私は当時小杉がはじめて世に出した原稿が掲載されている「20世紀舞踊」というリトルマガジンを提供し、協力した。その頃小杉は刀根康尚らと「グループ・音楽」を結成し、舞踊とも交流をしていた。この展覧会のオープニングで小杉が私に語っていたのは、創作に於いては、いろいろな人との活動を大事にしているということだった。いろいろやって意識が交差し、そこにはお互いに利用しあうような色気もあって、と当時を回想してくれた。ジャンルの内外で多彩な活動歴のあるアーティストの横顔をこの映像は示している。この日本の音楽史の重要な資料映像は観客を異郷へいざなった。
上映と同時に、大野のライブも行われた。次いで3RENSA(Merzbow duenn Nyantota)の演奏に金村修の映像が組み合わされる。大野はイメージしたものを音像に変換する。環境、エクスペリメンタルな持ち味が組み合わされる。気鋭の3人も続けてその時代から発達した技術や技法を用いながら返していく。メディアや都市の際立ったものを表現する金村の映像をバックに演奏する。音楽ドキュメンタリーによる異界から一転しインナーなトリップになる。最後は相互のセッションによる大団円へとなった。
Hardcore Ambience企画「Another World」:大野松雄《タージ・マハル旅行団「旅」について》+スペシャルライヴより 提供:東京都写真美術館 撮影:新井孝明
映像文化の未来を創出しよう
このフェスティバルはシンプルな発想で多様な映像を貫いた企画だ。テクノロジーの進化と人文・社会科学の再編は続いているが、その中で様々な映像や視覚的表象といった枠組みで語られるこのジャンルを新しいコンセプトから再考することは重要だ。
思想・評論の前田英樹や宇野邦一らが上演芸術の勅使川原三郎らと、かつての演劇・映像という枠組みを映像・身体と読み替えたのは一昔前のことだ。勅使川原は現在では多摩美術大学で教鞭をとっている。同時代に美術では、過去に村上隆や中村政人が台頭したが、同時代に映像で活躍したのは例えばこの美術館も取り上げた三橋純ら多くの才能がいたし、身体表現には池宮中夫がいる。
このような90年代~2000年代の蓄積をさらに新しい概念と枠組みで再編していくことが今日求められている。世界的な電子ネットワークを通じて集合知・AIなどのキーワードが台頭してくる。グローバル化・移民/移住の現代だが、ブレヒトやフランクフルト学派は移住を弁証法の最良の学校・亡命者たちの最も優れた学校と考えた。現代人はペンだけではなくマルチメディアなデバイスを手に情報発信するようになっている。スピーディーな時代の変化の中で、さらなる視点の変化、トランスポジションが求められている。未来へ向けて新たな一歩が求められている。
第11回恵比寿映像祭「トランスポジション 変わる術」
平成31(2019)年2月8日(金)~2月24日(日)
会場: 東京都写真美術館、日仏会館、ザ・ガーデンルーム、恵比寿ガーデンプレイス センター広場、地域連携各所ほか
主催:東京都/東京都写真美術館・アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)/日本経済新聞社
【評者プロフィール】
吉田悠樹彦(よしだ・ゆきひこ)
映像・上演芸術批評、現代美術。
これまで「CINRA」・「美術手帖」・「RealTOKYO」などネット、美術メディア、新聞に執筆。主にメディアアートとの接点から現代美術に入る批評活動のみならずP3 art and environmentによる metaTokyoプロジェクトでmeta都民カフェとして匿名グループアーティストとしてアートカフェを運営したことも。テッド・ネルソンとザナドゥ・プロジェクトのアシスタント。Prix Ars Electronica Digital Communities部門アドバイザーも務めた。若き日より岡田隆彦・吉増剛造や古橋梯二ら美術・文芸関係者と交流。
協力ドキュメンタリー作品に米国の音楽家・俳優のルーツを描いたPBS「Finding Your Roots Fred Armisen」(2017)。ドキュメンタリー映像史上に残るリーフェンシュタールも論じた著作も日英である。