「月が出た出た。月が出たヨイヨイ」
このフレーズを聞いてメロディーが自然と浮かんでくるのは、『炭坑節』が炭鉱労働者によって歌われていた民謡がもとになっていると知っている人にとどまらない。全国の祭りや盆踊りでも起用されるこの『炭坑節』が歌われていたのは、九州の福岡にある三池という村の山中にある、三池炭鉱だ。
戦前から戦後と、日本の主なエネルギー源であった石炭は、炭鉱と呼ばれる山の地中深くから掘り起こされ、港へ運ばれる。全国で重要なエネルギー源として活用されていた石炭は、日本の高度経済成長を支えてきたと言っても過言ではない。
しかし、エネルギー改革によって、その中心は石油へと移行し、さらには電気や原発の開発が進んだ今、石炭は私たちの生活から姿を消した。
実際に、石炭に触れたことも見たこともないという若い世代は多い。私もその一人である。そのような世代が、石炭と聞いて思い浮かべるのは意外にも宮崎駿監督のアニメ『千と千尋の神隠し』ではないだろうか。同作では、主人公千尋がひと昔前の日本を彷彿とさせる神の世界の銭湯で働くこととなるが、その中に釜爺というキャラクターがおり、銭湯の火の番をしていた。そして、釜爺が火を炊くのに使っていたのが石炭だ。釜爺のシーンと聞いて、釜爺の部下であるススワタリたちが、重そうな黒い石を運ぶ姿を思い浮かべる人も少なくはないだろう。
とはいえ、残念ながら具体的な形としては、石炭がいったいどのようにして掘られ、どのような歴史があったのかを私たちは知らない。
しかし、私たちの生きる現代の姿があるのも、高度成長期を支えた石炭というエネルギーがあったからなのである。
『三池 終わらない炭鉱の物語』に7年という歳月をささげた熊谷博子監督は、宮原坑を訪れた時に「地から声が聞こえてきた」と語っている。赤いレンガに囲まれ、荒野にそびえ立つその姿は、映像からであっても人々の紡いできたであろう強烈な歴史を感じさせられた。
最初は囚人達が山肌に向き出た石炭を拾うところから始まったというこの強制労働は、次第にエネルギー源を求める、国の終わらない欲望の渦へと巻きこまれていくことになる。
山を掘り、石炭を掘り起こすために作られた炭坑では、人手不足のために1942年から朝鮮人を加えた強制労働がはじまる。三浦綾子の小説『銃口』で、舞台は北海道だが、主人公の竜太が炭坑から逃げてきた朝鮮人をかくまうシーンがある。彼らはたこ部屋と呼ばれる部屋に捕らわれ、強制労働を行わされていたとともに、卑劣な差別を受けていた。また、三池炭鉱では、中国からも多くの人を集めては、無賃金で働かせていたというから驚いた。
『三池 終わらない炭鉱の物語』では、まだ裁判中にも関わらず、そうして中国からやってきた元強制労働者のインタビューも収録されている。こうした外国人移民に対する差別や卑劣な扱いは、今の日本社会からも完全には消えていない。
さらには、捕虜として確保されていたアメリカ兵もまた炭坑で強制労働をさせられていた。その仕事の過酷さゆえに、自らの身体を傷つけてまでも労働から逃れようとしたというインタビューには、当時の労働の残酷さと生々しさを感じた。 そして、『三池 終わらない炭鉱の物語』でもっとも印象的だったのが、三池争議のエピソードである。
石炭から石油を原料とした工業に切り替えるという国の要望のために、地下深く、常に死と隣り合わせで働いてきた労働者たちを会社側が大量解雇すると言い出したのだ。
これをきっかけに60年安保と同時期に行われた三池争議は、総資本対総労働と言われるほどの戦いに発展し、ほとんど内戦状態だった。
『三池 終わらない炭鉱の物語』では、当時、三池争議の劇中にいた代表者の数々にインタビューが行われ、混乱の最中にあった人々の思いや資本側の思惑を紐解いていく。また、そうしたインタビューでは、長いストライキの中、戦っていた男性陣の裏で女性や子供たちの苦労も浮き彫りにされていた。人権を獲得しようと戦った人々は次第に2派にわかれ、労働者組にも派閥が生まれてしまう。それにより生活は困窮を極め、革命を成しえることはできなかった。
しかし、こうした敗北も含め、私たちが三池の炭鉱をめぐる出来事を「負の遺産」として簡単に片づけるのはあまりにも無責任である。現在、炭鉱が全盛期であった時代が振り返られる上では、高度成長、復興、活気、エネルギーなどといったポジティブな言葉が並びがちだが、こうした単語の裏に、人権を無視され、まるで国の駒のように働かされた人々の歴史があることを私たちは記録し、記憶していかなければならない。
1997年、三池炭鉱は閉鎖される。しかし、今もまだ三池に残された30を超す炭鉱関連施設と、『三池 終わらない炭鉱の物語』の中で語られる100人近くの証言は、三池炭鉱が閉鎖された今も、そしてこれからも残り続けていくべきだ。
熊谷監督の炭鉱を巡る思いは、『三池 終わらない炭鉱の物語』に留まらない。新作『作兵衛さんと日本を掘る』ではさらに民衆の原像に迫り、山本作兵衛の絵を映し出すことで、高度成長期を支えた炭鉱の人々のリアルを、そして、今も日本の抱えるエネルギー問題をも浮き彫りにしていく。
山本作兵衛は、7歳の頃から炭鉱と生活を共にしていた生粋の炭鉱夫だった。炭鉱が閉山された1957年。65歳で筆を取り、自身の経験してきた炭鉱での体験を2000枚以上の絵と日記に記してきた。そのうち697点が、2011年5月に、ユネスコ世界記憶遺産に登録されている。日本人では、はじめてのことだった。
子供や孫達に炭鉱での生活や人情を残したいという山本作兵衛の情熱は、記録作家上野英信や作家、詩人である森崎和江、そして、画家の菊畑茂久馬にも伝播し、ユネスコ世界記憶遺産に登録される前から、数々の図録や本が出版され注目を集めていた。
菊畑茂久馬は、その山本作兵衛の絵を見て「思いが身体の中に本当に宿って、それが命そのものになっているという状況」と話した。その不純物を全く含まない強い思いによって描かれた絵をみた菊畑茂久馬は、それから20年間絵を描くことが出来なくなったと言う。
12歳からすでに鍛治工見習いとして働いていた山本作兵衛は、絵画に関する教育はおろか、義務教育も満足に受けられてはいない。にもかかわらず、彼の絵は日本を代表する現代美術家の絵画人生を変えてしまった。
山本作兵衛の絵には、石炭と懸命に向き合う人々の表情が生き生きと描かれており、炭鉱で働いていた人々の生の息づかいが感じられた。絵とともに、必ず文字が書き込まれているのも特徴で、そこに記されたゴットン節などが、絵画のもっている物語性をより強めている。
また『作兵衛さんと日本を掘る』では、そこに数々の証言が重ねられ、暗い炭鉱での労働を私たちの脳裏に一つの体験として刻んでいく。炭坑では、石炭を掘る「先山」と、その石炭をザルですくって箱に入れる「後山」とがタッグを組んで仕事が行われていた。先山となるのは男性で、女性も後山として炭鉱で働いていた。
山本作兵衛の残した絵には、男性と一緒に蒸し暑い炭坑の中で上半身を露わにして働く女性の姿が描かれていた。
『作兵衛さんと日本を掘る』には、元女炭坑夫の橋上カヤノさんの言葉も記録されている。橋上カヤノさんは、9歳の時に一家で筑豊へやってきて、19歳で結婚。夫と一緒に炭坑で働いていたが、夫は戦地に送られてしまう。
夫が戦地に行っている間は他人と組んで働かなくてはならなかった。より多く稼ぐためにも、良い先山と組む必要があったとカヤノさんは語っている。そのためには、自身が良い後山となる必要があった。また、8人の子供を生むも、その内の6人を貧しさの中で失っている。戦地で右腕、左指を失って帰っていた夫と、息子に先立たれた後も98歳まで一人暮らしを続けた。
厳しさを乗り越えたカヤノさんは、105歳でその生涯を終えるまで、炭鉱での暮らしを忘れることはなかった。背中に瘤が出来て一人前と言われていた元女炭坑夫のカヤノさんが、訪れてくる人と握手を交わすたびに、「まあ、手が柔らかいこと」と言って優しく微笑む姿が印象的だった。
映画『フラガール』で描かれた炭鉱娘達が、あそこまでひたむきにフラダンスに向かって行けたのも、こうしたカヤノさんのような女達の瘤だらけの背中を見てきていたからであろう。
しかし、舞台となった福島県常磐炭田は、エネルギー革命の波にのまれ、炭鉱は原発へと姿を変えた。そして、福島第一原子力発電所事故の影響により、かつて常磐興産が盛んだった双葉町と大熊町では、今も一部が避難区域に指定されたままである。このような変遷を私たちはどう捉えるべきであろうか。
山本作兵衛の「けっきょく、変わったのはほんの表面だけであって、底のほうは少しも変わらなかったのではないでしょうか。日本の炭鉱はそのまま日本の縮図のように思われて、胸がいっぱいになります」という言葉で『作兵衛さんと日本を掘る』は幕を閉じる。
『三池 終わらない炭鉱の物語』には、時代に翻弄された炭鉱で働く人々の搾取の歴史が、そして『作兵衛さんと日本を掘る』では、山本作兵衛が残した絵や炭鉱で実際に働いた方などの数々の証言から、実際の炭鉱での生の記憶があらわれている。そして、こうした記憶の中には、無言で亡くなっていった無数の炭鉱夫たちの思いが詰まっている。
熊谷博子監督のふたつの作品にあらわれた、「負の遺産」などという言葉で終わらせられがちな炭鉱夫たちの数々の苦難、そしてかつての彼らが持ちえていた“本当のエネルギー”は、日本社会をこれからも支え、繰り返し歴史として語り継がれるべきなのである。
【作品情報】
『三池 終わらない炭鉱(やま)の物語』
(2005年/103分/日本/ドキュメンタリー)
監督:熊谷博子
VE:奥井義哉、隅元政良 映像技術:柳生俊一、田代定三
整音:久保田幸雄 撮影協力:小澤由己子 音楽:本田成子
ナレーター:中里雅子 協力:三池炭鉱に生きた人々
企画:大牟田市、大牟田市石炭産業科学館
製作:オフィス熊谷 撮影:大津幸四郎 編集:大橋富代
CG:祖父江孝則 MA:滝沢康 制作進行:巣内尚子
クレジットは©2015 オフィス熊谷
東京・space&cafe ポレポレ坐にて特別上映
5月31日(金)、6月7日(金) いずれも19時〜
『作兵衛さんと日本を掘る』
(2018年/111分/日本/DCP/ドキュメンタリー)
監督:熊谷博子
出演:井上冨美、井上忠俊、緒方惠美、菊畑茂久馬、森崎和江、上野朱、橋上カヤノ、渡辺為雄
朗読:青木裕子(軽井沢朗読館) ナレーション:山川建夫
撮影:中島広城、藤江潔 VE・美術:奥井義哉
照明:佐藤才輔 編集:大橋富代 映像技術:柳生俊一
音楽:黒田京子(作曲・ピアノ)、喜多直毅(ヴァイオリン)
音響効果:よしむら欅、山野なおみ MA:小長谷啓太、滝沢康
監督助手:土井かやの、長澤義文 配給協力:ポレポレ東中野
宣伝:リガード グラフィックデザイン:小笠原正勝/澤村桃華
協力:作兵衛(作たん)事務所 撮影協力:田川市石炭・歴史博物館、福岡県立大学、嘉麻市教育委員会
企画協力: RKB毎日放送
製作・配給:オフィス熊谷
クレジットは©2018 オフィス熊谷
東京・ポレポレ東中野、北海道・ディノススネマズ札幌劇場にて公開中。
ほか全国順次公開予定。
【執筆者プロフィール】
柴垣 萌子(しばがき・もえこ)
多摩美術大学芸術学科3年生。小説執筆を趣味とし、現在映画脚本なども勉強中。ダンス・楽器などの経験や、さまざまなアートに触れることで磨いた感性、持ち前の好奇心を武器に精進していきます。