「なおす」ことのズレ
2017年の展覧会「コンニチハ技術トシテノ美術」で展示された青野文昭の《なおす・それぞれの欠片から――無縁の声・森のはじまり――1997-2017》を見た時、赤い自動車が描かれた箪笥の作品に触りたくなったことを覚えている。
その箪笥の作品は、実際に赤い自動車の欠片を組み込み、この欠片の周囲の箪笥にペイントで描かれた自動車が欠片のかつての位置を補っている。一方、車体の影を描き込んだ箪笥の引き戸側に取っ手があり、箪笥それ自体の機能も尊重したままであることを窺わせる。そして、鬱蒼と立ち並ぶ巨大なパイロンや様々な欠片の前に作品が配置されることで、森に向かっていく車のように見えてくる。
私がこの作品に触れたくなったのは、赤い車の欠片と箪笥がそれぞれかつての状態を尊重していたからなのかもしれない。2つの異なる時間性は1つの作品に内在しながら見事に紡がれていた。その2つのズレの繋ぎ目がどのようになっているのかに触れてみたいと思ったのだろう。
2019年11月から2020年1月にせんだいメディアテークで開催された展覧会「青野文昭 ものの,ねむり,越路山,こえ」を記録した本書には、車や箪笥に限らず、本、缶、木片など、様々な欠片を活かした作品や、関連するエッセイ、複数の寄稿者による論考が収められている。作品の種類も幅広く、手袋、ゴム長靴、衣服といった欠片であれば、人を模した作品に組み込まれたり、飾られるように配置されたりしている。かと思えば、写真やポスターの欠片を窓や額に入れられたり、その元の形を描写によって補ったりもしている。様々な形式を見せるこれらの作品は、ゼロから作品を生み出す「つくる」行為からではなく、拾われた素材から作品を生み出す「なおす」行為からつくられており、合体や代用、延長などのサブカテゴリーに分けられている。
この「なおす」という方法論は、本書に収録された青野の「修復論」の中で、厳密な定義が組み上げられている。一部を取り上げると、そもそも「なおす」行為は、創造的につくる営みと異なり、修復された部分と元来の部分との「ズレ」から現在/過去の時間、無機質な全体と手ワザとしての行為を表出させる。その結果、均質で固定化した全体像が消え、流動化して揺らいでいく全体像へと変化し、「つくる」営みと異なる意味で積極的でクリエイティブな意義をもたらしていく。
せんだいメディアテーク主任学芸員の清水建人が本書で述べているように、「なおす」ことは、作者自身によって見いだされた拾得物の観察を通じて決まっていくため、「なおす」を形成するサブカテゴリーが予め想定されてない。その対象に対して「なおす」行為を反復しても、素材に対して形式主義化していかないのは、この「なおす」という方法論に青野自身を規定しているからだという。
美術批評家の椹木野衣は、寄稿した「無生物のうた――青野文昭のつくる、なおす、こわす、そばだてる」において、青野の「なおす」ことが通常の「なおす」が持つ治癒や回復という意味に限らず、瓦礫をあくまでも役に立たずの状態に留めておく破壊の側面も有することに着目する。つまり「なおす」営みは、作品の題材そのものの再生へと向かうのではなく、役立たずの状態に留めておく破壊を通じて不可逆的な変形を推し進める。椹木はこの破壊に対する意識を持ちながら、もののねむりを意図的に解き明かし、隠された記憶を呼び覚まし、その集合的な声にそばだてることこそが青野の「つくる/なおす」だと主張する。
美術評論家の福住廉も、本書の論考「人類の普遍的な想像力へ――『民俗学的転回』以後の美術家・青野文昭」で、こうした素材が有する記憶に関連して、美術史的な視点から1980年代に台頭したポストもの派からの影響を指摘する。福住によれば、ポストもの派は、自然や日常の素材をほとんど加工せずに展示したもの派のつくらない身振りに対し、つくる身振りの合理的な手続きを模索していた。そのような潮流にあって、1度制作した作品を燃やして再び直す青野の初期作品における身振りも、ポストもの派の身振りの影響下にあったと考察する。さらに、2000年以後のアート・プロジェクトや芸術祭の台頭に伴い生じた現代美術の構造的変化である「民俗学的転回」以後の作家の作品であることを指すように、青野の作品の民俗性は、遺物と異物を再構成することによって生じているとする。
これらの論考では、いずれも作品の素材が醸し出す生活の時間性に注目する。たとえば、椹木は青野の作品に伴って浮かびあがる「懐かしさ」を問い、福住は作品に生活の匂いや個々の記憶、強烈な死の雰囲気などを感じている。個々の論考は、作品ごとに感じられるこのような時間性を個々の論者が独自の視点で論じており、青野の「なおす」営みを理解する上で重要な参照項になるだろう。
「なおす」から「ひろう」に立ち戻って
本書では、青野の作品における東日本大震災の影響についても寄稿者全員が触れている。実際に本書にも震災によって生み出された廃物を素材とした多くの作品が収録され、添えられたエッセイにもその影響の強さを読みとることができる。
特に清水は、青野自身の震災の記憶の介入や、震災によって生み出された廃物そのものに注目する。震災によって生み出された廃物は、人が不要とした結果の廃物やゴミに留まらず、具体的な他者の意思や記憶を媒介する装置にもなり、被災による自然の力の大きさを否応なしに訴えかけてくる。そのため、廃物という人為にさらに「なおす」という人為を重ねるアイロニーを提示する以前に、震災による自然の力にいかに向き合う必要を生じさせる。清水は、これについて、廃物から被災の文脈を取り除くのではなく、むしろ被災物という物語性を抱えていることを肯定し、形式主義が排除してきた個別のナラティビティに焦点を当てるようになっている、と主張する。
そして、震災と青野の作品の関係を読み解く上で、おそらく重要になるのが、小森はるかによるドキュメンタリー映像『かげを拾う』(2019)の制作ノートである。2019年12月に展覧会の関連イベントで上映されたこの作品は、制作中の青野を記録している。本書では、その作品本編から抜き出された画像や、実際の撮影風景を見ることができる。
制作ノートでは、撮影に赴いた海岸やアトリエで見聞きしたことや、青野の妻である由美子氏と同行した際の話などを丁寧に綴りつつ、当時制作中の2つの作品に言及している。作品の1つは由美子氏の実家である「さとう衣料店」を題材とした作品であり、もう1つは青野自身の故郷である仙台市八木山(越路山)を題材とした作品である。それぞれ津波で流された後に新しく再建されたが、解体に際して拾った素材から作品をつくる最中であった。
その制作中の出来事を小森自身の体験と共に思い起こしているのが興味深い。小森は2011年、偶然にもさとう衣料店の存在も知らずに同じ場所を訪れ、瓦礫の撮り方が分からず、その地のカモメを撮っていた。再びその土地と青野の作品制作を撮ることになった小森は、8年の時間経過を意識しながら撮影していたという。
この制作ノートの中で小森もまた、前述の論考のような視点で青野の「なおす」を捉えているが、一人の手では負えない大規模な修復・開発が気付かぬうちに「なおす」営みを奪う可能性を意識している点で他の寄稿者と異なっている。「復興」という大規模な修復・開発が進んだ一方、壊されたり流されたりしても残されたものを大事にするという姿勢は、徐々に忘れ去られようとしている。小森は、欠片を拾う行為を通じて、その姿勢の中に居続ける者として青野を捉えているのかもしれない。
既に先行する批評で指摘されている[i]が、小森の作品には、作品の主題から形式を導く姿勢がみられる。たとえば、監督自身を画面外に描かざるを得なくなるほど熱心に事態を説明し続けるたね屋を描いた『息の跡』(2017)と、様々な人への取材を続けていく阿部裕美を捉えることから徐々に変化していく陸前高田を描き出す『空に聞く』(2020年9月公開予定)を比較するだけでも、全く異なる形式であることがわかる。一方、青野も「なおす」行為を通じて自身で拾った素材から丹念に主題を見いだし、1つの主題に向けて作品をつくりあげていく。ここで注意しなければならないのは、2人がその主題を描くために素材や手法に対する吟味の過程を重視していることであろう。残された映像や作品が最終的に置かれなければならないあらゆる文脈にとって最善を問うために、小森は適切な撮り方を戸惑わせる瓦礫ではなくカモメを撮ることで、青野は「ひろう」行為を通じて素材や作品に対する吟味を続ける。このように考えると、彼らの吟味の過程を探る一端が本書にあるように思えてくる。
[i] 藤井仁子による『空に聞く』のレビュー(『AAC』vol.99、2019年、www.aac.pref.aichi.jp/aac/aac99/_SWF_Window.html、2020年5月13日最終閲覧)を参照。
【書誌情報】
『AONO FUMIAKI NAOSU』
執筆:青野文昭、小森はるか、椹木野衣、福住廉、清水建人(smt)
編集:細谷修平、清水建人(smt)
デザイン:伊藤裕
定価:3500円+税
刊行:2020年4月8日
判型:A4変型
企画・発行:せんだいメディアテーク
制作・発売:T&M Projects
ISBN 978-4-9094-4213-0
https://www.tandmprojects.com/collections/frontpage/products/aono-naosu
【執筆者プロフィール】
五十嵐 拓也(いからし たくや)
早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程在籍。アメリカ映画研究。東京・池袋の新文芸坐にて上映企画提案にも関わる。主な論考に「『偽りの花園』における奥行きの演出――アンドレ・バザンと表現の明白さを巡って」、「映画『コレクター』の脚本調査報告」など。上映企画提案に「5年目の『3.11』を前に/ドキュメンタリー『息の跡』関東初上映」、「特別レイトショー『王国(あるいはその家について)』」。