「なぜこれほどまでに性は人を傷つけるのだろう?」
それは私の長年の疑問であり解けない謎の一つだった。性が孕む何がそれほどまでに人を傷つけるのか、私にはどうしても理解ができず、その疑問を解くための端緒となるような作品だった。
ローラ(ローラ・ベンソン)は苦悩している。
彼女は人と触れ合うことがきず、寝たきりの父親の入院先に通うが、そこで不思議なセラピーを目撃する。真っ白な部屋の中で、患者同士が触れあうことで自分の心の中の壁を壊すセラピーには、病により全身の毛がないトーマス(トーマス・レマルキス)、脊髄性筋萎縮症(SMA)のクリスチャン(クリスチャン・バイエルラン)が語り合う。
顔に触れる。髪に触れる。不快だ。「不快感を感じるのは悪いことではない」とクリスティンはトーマスに言う。不快さに善悪はない。善悪は人工的で、後からついてきたものなのだから。
ローラは不思議なセラピーに参加しているトーマスに惹かれ、また五十代で女性として生きることを選択したトランンスジェンダーのハンナ(ハンナ・ホフマン)とのカウンセリングを通して、価値観が少しずつ変容していく。
『タッチ・ミー・ノット』は不思議な映画だ。
登場人物は実名で、身体的特徴や障がいについての当事者であり一種のドキュメンタリー映画のような体をなしながらも、アディナ・ピンティリエ監督がローラの部屋にカメラを置くという意図的な行為により幕を開ける本作は、単なるドキュメンタリーではなく、監督の綿密に計算された作品であると同時に、彼女自身の謎に答えるための思考実験でもある。
カメラと同時に置かれた監督を映し出すモニター越しに、監督とローラの緊張関係が浮かび上がる。ローラと監督は語りあっているようにも見えるし、お互い一方的に話しているようにも見える。しかし二人の語りが、断片的な物語を結びつけ、加速させる。
監督がローラに対して「なぜ映画のことを聞かなかったの? 私も教えなかった。話題にしないことで暗黙の了解だったのか?」と語るシーンから、映画のことを説明せずにこの撮影が進んでいるかのように予感させる。
中盤、見る側の監督と、見られる側のローラがその立場を交換した時、監督はノーラに「つらい場所ね。あなたの感じていたことがわかるから。見られること。品定められること」と告げる。
性的で過激なシーン、漂白された室内でのセラピーシーンが印象的な本作の中で、監督とローラの距離、撮る者と撮られる者、モニター越しの会話とも言えないような断片的な語りかけ、その交わることのない距離と対話こそが本作のテーマであるのかもしれない。
性が意味を生じるのは、それが隠匿されたものだからだ。
性行為が意味を持つのは、それが単なる性的欲望の発露のみではなく、性行為が生じたという事実が、許可と承認を孕むからだ。裸の身体と性に付随する行いは、親密さと信頼の証となり、欲望によって安心を得るための不思議な儀式とすらいえる。
性と身体が評価と選別から逃れられないという事実が、私たちをこれほどまでに傷つける。親密さと信頼を求めているのに、求めたところで手に入らず、手に入ったかに思えたそれはいつだって不確かで、私たちは常に怯えている。
自分を見失わずに人を愛することは難しい。境界はいつだってあり、それはつまるところ身体という境界に他ならない。解放せよと、人は言う。多くのセラピーでもそう言われている。しかし解放したところで、それが一体何になるのだろうと懐疑的な私に、監督が制作意図を語る中で引用した言葉は、本作が性と身体を語るものではなく、性と身体に過剰に踏み込みながらも、人との関わり方を考えたいのだと、その思考実験を彼女はしているのだと確信させる。
グスタフ・ランダウアーは言いました。「社会は革命によって変えられるものではない。社会は人間同士の関係性やふるまい方といった人間のあり方によって変えられる。つまり、人との関わり方を別のふるまいに変えることで、社会を変えるのである。」
映画終盤、ローラの部屋のカメラと監督のモニターは撤去される。監督はなぜローラに映画について詳しく説明をしなかったのか、その理由を述べはじめる。「あなたを失いたくなかった。それが映画について話さなかった理由なのかも」と。それは、監督に限らず、あらゆる人間が他者に対して抱く怯えであり、その怯えこそが人との関係なのだから。
カメラが解体された後もローラの物語は続き、彼女は自身の性と身体をありありと祝福する。映画最後の風景は、クリスチャンの「この体に感謝している。人生はそれを知るための旅なのだ」という言葉の旅の到達点を見るかのような場面だった。
【映画情報】
『タッチ・ミー・ノット 〜ローラと秘密のカウンセリング〜』
(2018年/ルーマニア、ドイツ、チェコ、ブルガリア、フランス/英語/ビスタサイズ/5.1ch/DCP/125分)
監督・脚本・編集:アディナ・ピンティリエ
撮影監督:ジョージ・チッパー゠リールマーク
録音:ヴェセリン・ゾグラフォフ
美術監督:アドリアン・クリステア
衣装デザイン:マリア・ピーテオ
出演:ローラ・ベンソン、トーマス・レマルキス、クリスチャン・バイエルライン、グリット・ウーレマ ン、アディナ・ピンティリエ、ハンナ・ホフマン、シーニー・ラブ、イルメナ・チチコワ、レイナ ー・ステッフェン、ゲオルギ・ナルディエフ、ディルク・ランゲ、アネット・サヴァリッシュ
配給宣伝:ニコニコフィルム
公式ホームページ:http://tmn-movie.com
画像はすべて©Touch Me Not – Adina Pintilie
シアター・イメージフォーラム(渋谷)、シネ・ヌーヴォ(大阪)、アップリンク京都、福山駅前シネマモード(広島)、名古屋シネマテーク(愛知)にて公開中!
【執筆者プロフィール】
長谷部友子(はせべ・ともこ)
何故か私の人生に関わる人は映画が好きなようです。多くの人の思惑が蠢く映画は私には刺激的すぎるので、一人静かに本を読んでいたいと思うのに、彼らが私の見たことのない景色の話ばかりするので、今日も映画を見てしまいます。映画に言葉で近づけたらいいなと思っています。