【Review】セルゲイ・ロズニツァを日本に導入する――『アウステルリッツ』『粛清裁判』『国葬』text 吉田孝行

『国葬』

日本では映画祭やミニシアターなどで世界中の様々な映画が上映されているが、それでもその世界的な評価とは裏腹に、なかなか上映される機会に恵まれない映画作家がいる。数年前までは、ドイツのペーター・ネストラーやフィリピンのラヴ・ディアスといった作家がそのような映画作家であっただろう。1964年にベラルーシで生まれ、ウクライナで育ち、ロシアの映画大学で学び、長くロシアで活動していたセルゲイ・ロズニツァもまたそのような映画作家の一人であった。

それはこの映画作家が、90年代後半からこれまで、短編を含む20本以上のドキュメンタリーを制作しており、4本制作している長編劇映画ではカンヌ映画祭で二度の受賞経験があり、近作10作品の全てが世界三大映画祭に選出されていることからも明らかであろう。ロズニツァの特集上映もまた世界各地の映画祭やシネマテークで開催されているが、隣国の台湾国際ドキュメンタリー映画祭では、すでに2012年にロズニツァの特集上映が開催され、10本以上の作品が上映されているのである。いずれにせよ、日本で初公開されるロズニツァは、現在、ロシア語圏で最も重要な映画作家であり、極めて独創的なドキュメンタリーの形式と表現を生み出している世界的にも稀有な映画作家であることは間違いない。

ロズニツァはこれまで主に二通りの手法でドキュメンタリーを制作してきた。一つは、通常のドキュメンタリーと同様に、農村の人々や都市の群衆など、実在の対象や現象を自らが撮影して制作するオブザベーショナル映画。とりわけ初期の作品は、ソクーロフを想起させるかのように、静観的な態度で民衆を描き、何よりも映画的感性と詩情に満ち溢れている。もう一つは、過去に誰かが撮影した記録映像を再編集・再構成して制作する、いわゆるアーカイヴァル映画である。今回日本で公開される『アウステルリッツ』(2016)、『粛清裁判』(2018)、『国葬』(2019)の三作品は、いずれもロズニツァの近年のドキュメンタリーであるが、『アウステルリッツ』は前者、『粛清裁判』と『国葬』は後者の手法で制作されている。

ロズニツァの作品の多くは、ドキュメンタリー、フィクションを問わず、ロシアまたはウクライナを舞台にしているが、『アウステルリッツ』は、例外的に、現在ロズニツァが在住しているドイツを舞台にしている。この作品は、W・G・ゼーバルトの同名の小説から着想を得て、生存者や歴史家の視点からではなく、旅行者の視点から、ドイツのザクセンハウゼンとダッハウの強制収容所の現在を記録したドキュメンタリーである。ある夏の日々、いわゆるダークツーリズムで世界各地から強制収容所の跡地を訪れる観光客の集団の姿を、モノクロの固定ショットの長回しで淡々と映し出す。ところどころで観光客を導くガイドの説明がナレーションの代わりに挿入される。Tシャツに短パンといったラフな格好で、牢獄やガス室など、辺り構わずスマートフォンで記念撮影をする人々。大量虐殺という惨劇を記憶するはずの場所が、観光地化されていることの矛盾と皮肉を風刺することで、ホロコーストをめぐる歴史と記憶の継承の問題を問いかけている。

『アウステルリッツ』

『粛清裁判』は、1930年にスターリンの指示で行われた「産業党裁判」という粛清裁判の記録映像を用いて制作したアーカイヴァル映画である。スターリンによる独裁政治の始まりを予期させるこの裁判は、当時上層部にいた8名の有識者を、クーデターを企てたというでっち上げの罪で粛清するために仕組まれた見せしめ裁判である。90年前に撮影されたこの記録映像は、『13日』という題名のソビエト最初期のトーキー映画であり、プロパガンダ映画でもあるが、ロズニツァはこの記録映像に、スターリンの台頭に熱狂する群衆のデモの映像などを挿入して、裁判を再構成した。権力がいかに人を欺き、群衆を扇動し、独裁政治を生み出すかを描き出す。

『粛清裁判』

『粛清裁判』はスターリンによる独裁政治の始まりの映画であるが、『国葬』はその独裁政治の終焉の映画である。旧ソ連邦の最高指導者にして独裁者であったヨシフ・スターリンは、1953年3月5日に死去した。『国葬』は、翌日3月6日から3月9日までの4日間に及んで、旧ソ連邦の全土で執り行われた国葬の記録映像を再編集・再構成して制作したアーカイヴァル映画である。

『国葬』は、3月6日の早朝、モスクワの中心部にある労働組合会館にスターリンの遺体が運び込まれ、会館の「円柱の間」に安置されるシーンから始まる。そこは、奇しくも前作『粛清裁判』の舞台にもなった場所である。その後4日間、市民がスターリンに別れを告げる告別の場が設けられる。スターリンの遺体を一目見ようと、モスクワ中から何十万人もの群衆が労働組合会館に押し寄せる。当時は、インターネットはおろか、テレビの中継さえなかった。スターリンの遺体を直接見るという行為、あるいは近づくことすらできなくても、その近くに集うという行為が、ある時代の終焉を確認する方法であった。群衆を形成するという集団的行為と歴史的経験が深く結びついていた時代の記録映像が映し出されていく。群衆は、モスクワだけではなく、旧ソ連邦の各地でも形成され、スターリンの死を惜しむラジオの街頭放送に耳を傾ける。おそらく軍の撮影隊によって旧ソ連邦の各地で撮影されたそれらの記録映像は、スターリンの礼賛に繋がる恐れから、長らく封印されていたという。

しかし、ロズニツァと彼のプロダクションチームによって発掘され、修復され、鮮やかに現代に蘇ったこれらの記録映像は、何よりも美しく感動的ですらある。この映画を見始めたものは、数ショットがカラー、次の数ショットが白黒、その次の数ショットがまたカラーと、カラーと白黒がアルゴリズムのように交互に展開されていくことに途中で気がつくのであるが、それだけでも、この映画が何か途方もないものであることを予感することになる。そして、この映画は、見るものに二つの美しさを教えてくれる。一つは、その人物がいかなる独裁者であろうとも、故人を前に喪に服す人々の佇まいや沈黙する姿の美しさ。この映画に登場する群衆は、皆押し黙っているが、沈黙する群衆の姿、それこそが語っているのである。広場に集まり街頭放送に静かに耳を傾ける人々。スターリンの遺影を持ち、ゆっくりと街頭を歩く人々。スターリンの死を惜しむ人々の悲しみは、スターリンの圧政により苦しめられた人々の悲しみのようにも見える。もう一つは、故人を追悼する音楽の美しさである。この映画では、スターリンを追悼するために実際にその場で演奏された音楽が音源として使用されているが、とりわけショパンの葬送行進曲の美しさが際立っている。この曲は、よく知られているクラシックの追悼曲であるが、この映画では、映像トラックの編集の都合で音楽を部分的に切り取ったりするのではなく、おそらく意図的に全編が挿入されているのである。実際に演奏された音楽の一回性に対する敬意が表れているとともに、全編を通して聴くことで初めて気づかされる音楽の美しさを教えてくれる。

国葬の最後の日となる3月9日、スターリンの遺体が入った棺は、馬車に乗せられ隊列を作り、群衆に見守られながら、労働組合会館から赤の広場へと向かってゆっくりと移動する。クレムリンの褐色の壁の前にあるレーニン廟の前に棺が到着すると、壇上に登ったマレンコフ、ベリヤ、モロトフといった指導者達の演説が始まる。赤の広場を埋め尽くす数十万人の群衆。マルチカメラで撮影されたスペクタクルなそれらの光景は、プロパガンダ映像ではあるが、旧ソ連邦の人々の心が一つになってこの国葬を執り行っているようにも見える。

そして、スターリンの遺体がレーニン廟に埋葬されようとするその瞬間、大砲が一斉に放たれ、汽笛が鳴り響き、モスクワからシベリアの山奥まで、旧ソ連邦の全ての人々が、一斉に帽子を取り、街を行き交う市民は立ち止まり、労働者は作業を中断し、直立不動となって、静止する。同じ時刻に旧ソ連邦の各地で撮影された人々の同じ身振りが、モンタージュによって次々と反復される。ロズニツァの『国葬』もまた、彼の初期の名作『ポートレイト』(2002)と同様に、「静止」の映画なのだ。この映画の核心は、この同じ身振りの反復の力に他ならず、この驚くべき最後のシーンのために、その前の淡々とした2時間があるのである。やがて、この映画は、スターリンの遺体が埋葬されたレーニン廟の閉じられた扉のショットで終わる。

ロズニツァは、スターリンの国葬の記録映像を、現在から振り返って表立って批判したりジャッジしたりすることはない。国策であれ、プロパガンダであれ、ある歴史の出来事を記録した映像に対する深い敬意が感じられる。また、過去に撮られた記録映像を決して歴史を参照するための「資料」として扱うこともない。これはロズニツァがこれまで制作したアーカイヴァル映画の5本全てに言えることだ。したがって、『国葬』の最後のクレジットで80名以上におよぶカメラマンの一人一人の名前が現れる時、ここまでこの映画を見てきたものは、おそらくは歴史の波に埋もれてしまった先人たちの尽力によってこの稀有な映画が生み出されたのだと、言い知れぬ感動を覚えざるを得ない。ロズニツァの『国葬』は、その手法としても、対象の壮大さとしても、アーカイヴァル映画の金字塔であるといっても過言ではなく、2020年においてもなおドキュメンタリー映画には、まだ未知の可能性があることを教えてくれる。

【映画情報】

『アウステルリッツ』(2016年/ドイツ/ドイツ語、英語、スペイン語/モノクロ/94分)

『粛清裁判』(2018年/オランダ、ロシア/ロシア語/モノクロ/123分)

『国葬』(2019年/オランダ、リトアニア/ロシア語/カラー・モノクロ/135分)

監督・脚本 セルゲイ・ロズニツァ
配給 サニーフィルム

<画像のコピーライト>
『アウステルリッツ』(C) Imperativ Film
『粛清裁判』(C) ATOMS & VOID
『国葬』(C) ATOMS & VOID

11月14日(土)〜12月11日(金)シアター・イメージフォーラムにて3作一挙公開!!
全国順次ロードショー

https://www.sunny-film.com/sergeiloznitsa

 

【執筆者プロフィール】

吉田孝行(よしだ・たかゆき)
1972年生まれ。映画美学校で映画制作を学ぶ。映画とアートを横断する映像作品を制作、これまで30か国以上の映画祭や展覧会で作品を発表している。近作に『ぽんぽこマウンテン』、『タッチストーン』、『アルテの夏』、『モエレの春』など。共著に『アメリカン・アヴァンガルド・ムーヴィ』(森話社)、『躍動する東南アジア映画』(論創社)など。