【Review】寄る辺ない気持ちとフィッシュマンズの魔法――『映画:フィッシュマンズ』 text 日方裕司

 今年でメジャーデビュー30周年を迎えたフィッシュマンズ。7月9日に公開を控える『映画:フィッシュマンズ』は、クラウドファンディングによって制作が実現した172分にも及ぶ長編のドキュメンタリー映画である。

 「孤高のバンド」フィッシュマンズ。そのフロントマンの佐藤伸治の急逝から20年以上が経った今もなお、圧倒的な支持を集め、新しい世代に影響を与え続けている。
 フィッシュマンズは1987年、明治学院大学の音楽サークル「ソングライツ」所属の佐藤伸治(Vo)、小嶋謙介(G)、茂木欣一(Dr)を中心に結成。そこへサークルの後輩の柏原譲(B)とHAKASE-SUN(Key)が加入した5人体制で1991年にメジャーデビューを果たす。
 レゲエやロックステディなどを基調にした初期のポップな楽曲から、ダブ、ファンク、トリップホップ、ヒップホップの要素を取り入れたサウンドなど音楽性は多岐にわたる。
 出会いから結成、別れ、再会に至るまでの軌跡を時系列に沿って辿る本作は、メンバーと関係者のインタビュー、当時のライブ映像、番組出演シーン、ミュージックビデオ、佐藤の少年時代が語られる貴重な証言などを織り交ぜて構成されており、新旧のファンはもちろん、彼らを知るきっかけとしても必見の内容となっている。

 私がフィッシュマンズの音楽に触れたのはまだ実家にいた90年代の終わりの頃、たまたま兄の部屋から漏れてきた曲を耳にしたのが初めてだったと思う。なんという曲だったかは覚えていないが、あの時の「喜怒哀楽」のどれにも当てはまらない不思議な歌声はずっと印象に残っていた。しかし当時の私はフラストレーションを発散できるような音楽に夢中だったため、フィッシュマンズの魅力に気づいたのは、21世紀になりしばらく経ってからのことだった。
 それなりの希望を持って実家から出てきたものの、挫折を繰り返していた私はその時も部屋で塞ぎ込んでいた。顔を上げると、机の上に置かれたフィッシュマンズのライブ盤が目に入る。アルバイト先の音楽好きの先輩が貸してくれたCDだったが、音楽自体を聴く気になれない日がずっと続いていて、数日間そこに放置したままだった。CDジャケットの恍惚とした表情で歌う佐藤の写真を眺めているうちに、その日はなぜだか聴いてみたくなった。
 実家で聴いたあの時のままの不思議な歌声。すでに亡くなっており、この世に存在しない佐藤の歌声と幽玄な響きの楽曲は、先行きの見えない不安を抱えて沈み込んでいた私の寄る辺ない気持ちを、不思議と少しだけ軽くしてくれた。「音楽は魔法なんだな」と初めて思った。
 メンバーが離脱していきながらも活動を継続していたフィッシュマンズ。新たに脱退するメンバーにあてて『98.12.28 男達の別れ』と冠したそのライブの音源に収められていた「結局減ってるじゃん」という佐藤の自虐的な笑いを誘うMC。だがそこに込められた切実な想いをこの映画は伝えているのではないだろうか。

 映画本編は佐藤の墓前から始まる。佐藤の写真が収められたアルバム。佐藤の母親から思い出が語られる。そしてフィッシュマンズのメンバーたちが出会った明治学院大学へ。当時の情景を思い出しながら「ソング・ライツ」の部室へ向かう茂木。続いて小嶋、柏原、HAKASEが登場。渋谷La.mama、リンキィディンクスタジオ都立大、三軒茶屋クロスロードスタジオなど、メンバーゆかりの地でデビュー前のフィッシュマンズと佐藤の思い出を語る。
 類い稀な音楽センスを持ち、すでに周囲から一目を置かれていた佐藤。バンドを結成するまでの経緯、実はもう一つあったバンド名の候補や口癖、車が目当てで誘った後輩の柏原などといった逸話の数々。多くを語らず、インタビューやMCが苦手だったとされる一方で、ステージ上ではリズムを無視した自由な踊りを披露する。そんな一見すると気難しそうなのに愛嬌に溢れた、彼の掴み所のない飄々としたキャラは大学時代からだったのかと窺わせる話が続く。

 90年代初頭、バブル末期の日本。音楽業界もその好景気の恩恵を受けて隆盛を誇っており、ライブハウスで発掘したアマチュアバンドを次々とデビューさせ、次世代のスター探しに躍起となっていた。ヴァージン・ジャパンと契約した新人バンド、フィッシュマンズもデビューアルバムのレコーディングを世界の名だたるアーティストも使用した海外のスタジオで敢行するという、今では考えられない好待遇で迎えられていた。
 本が好きで元々はプロのミュージシャンになるつもりはなかったと語られる佐藤。それでもプロの道を選び、期待と不安が入り混じる中、仲間たちと音楽に向き合う日々。しかし完成したデビューアルバムは、彼らが契約したレコード会社系列のCDショップですらひっそりと置かれ、茂木が「何のために契約したのか?」と思ったほど売れなかった。レビューでは酷評され、彼らは大きな挫折を味わう。

 山中湖のスタジオでレコーディング中のフィッシュマンズ。共同作業が出来ない人だったと語られる佐藤とメンバーの間には、どこか不穏な空気が流れているように見える。小嶋は「実は厳しい人だ」と佐藤のストイックな一面と、いつの間にかできている作曲の謎について触れる。
 手書きの歌詞が書かれたノートの隅には「売れたい」という意欲に溢れた言葉。デビューで大きな挫折を味わったことから成功への野心をたぎらせていたのだろうか。別のカットでは、これもまた手書きによって列挙された「売れたい理由」の数々も映し出される。どこまでが本気なのだろうか。
 当時から新人アーティストたちの命運を分けるのはタイアップだった。CM、ドラマ主題歌、テレビ番組のタイアップから数多くのヒット曲と人気バンドが誕生した。各局の音楽番組は軒並み高視聴率、学校や職場で交わす会話はテレビの話題で持ちきりだった。「テレビ」と「音楽」は人々の生活の中心にあった。
 フィッシュマンズもドラマのタイアップを掴む。メロディの構成にも及ぶ厳しい制約を守って曲を完成させ、ヒットを心待ちにするも、彼らが「売れる」ことはなかった。
 この出来事がフィッシュマンズの「業界」に対する不信感を生んだ。「業界」の期待に応えることよりも、自分たちのつくりたい音楽をつくりたい。彼らの想いは大きく膨れ上がる。
 葛藤の中で研ぎ澄まされていく佐藤の歌詞。音楽的な成長を遂げていきながらもバンドの内部では徐々に気持ちのズレが生じていき、メンバーの脱退劇が起こる。

 その後も渋谷クラブクアトロ、VIVID SOUND STUDIO、日比谷野外音楽堂などを巡り、レコード会社の移籍やメンバーの加入と脱退。そして最期の別れまでの遍歴が語られるが、その全容についてはぜひ映画で観てほしい。

 このドキュメンタリーに収められているのは、フィッシュマンズというバンドの歴史だけではなく、誰にでも訪れる「別れ」という普遍的なテーマが描かれている。それは、友人、仲間、そして家族との別れである。去っていく者の背中を見送り、傷ついてきた者たちが、見送られる側になり、二度と会うことのできない別れを迎える。それぞれがそれぞれの抱えきれない想いを胸に、大切な人を失った世界を受け入れられずにいた。

 発表後、多くのミュージシャンにカバーされたバンド屈指の名曲『いかれたBaby』。今ここにいない「君」への想いが歌詞に綴られている。夜空を見上げながら寄る辺ない気持ちを堪えている情景が目に浮かぶ。そんな気持ちに彼らの音楽は寄り添うように佇んでくれる。
 作曲については「歌詞が先」だったとされる。随所に歌詞が手書きされたノートが映る。佐藤の紡いだ言葉たち。その「言霊」によって引き寄せられたフィッシュマンズの音楽には、いつの間にか「魔法」が宿っていたのかもしれない。

 音楽性はデビュー時のレゲエ、スカ、ロックステディから、ダブにヒップホップ、トリップホップ、アンビエントへと、アルバムを出すごとに実験をするかの如く変容していった。その最たるものが1曲35分16秒の1トラックアルバム『LONG SEASON』ではないだろうか。「前作のアルバムでは全編を通してひとつのことを歌っていた。それなら1曲だけのアルバムもできるはず」という主旨のアイデアによってこの金字塔的作品は生まれた。アルバム1枚を通して同じリズムが反復され、いくつかのパートに分けられ少しずつ塗り替えられていく音の景色。自由奔放かつスリリングな音楽の魔法の中で、佐藤は今にも消え入りそうな声で「僕ら半分、夢の中」と歌う。夢うつつの旅をするように、期待も不安も綯い交ぜに渾然一体となって、どこへ連れていってくれるのだろうか。
 彼らの音楽はこのままずっと時代を超えて人々を魅了するのだろうと思った。しかし私たちよりも早く、佐藤は夢から覚めてしまった。フィッシュマンズの魔法も消えてしまったかのように思えた。私たちに残されたのは寄る辺ない気持ちだけだった。

 作品の終盤はとても印象的である。97年から99年まで行われていたフィッシュマンズ主催のライブイベント『闘魂』。多くのバンドと競演を果たしてきたこのシリーズ企画が2019年、20年ぶりに復活した。当日はオリジナルメンバーをはじめ、サポートとしてバンドの活動を支えた歴代の「フィッシュマンズ」たちが集い、彼らの音楽を愛するゲストミュージシャンたちとともに豪華なライブが繰り広げられた。彼らの「再会」を意味するこのライブの映像とともに、現在の日比谷野外音楽堂が映る。

 壮絶な別れを越えて彼らは再会した。新しい仲間とともに。佐藤と一緒に見た夢の続きを見るために。フィッシュマンズという魔法をもう一度この地に呼ぶために。

【映画情報】

『映画:フィッシュマンズ』
(2021年/日本/英語/カラー/16:9/5.1ch/172分)

監督:手嶋悠貴
出演:佐藤伸治、茂木欣一、小嶋謙介、柏原譲、HAKASE-SUN、HONZI、関口“DARTS”道生、小暮晋也、小宮山聖、ZAKほか
制作:SETAGAYA FISHERIES COOPERATIVE
配給:ACTV JAPAN、イハフィルムズ

公式サイト:https://fishmans-movie.com/

写真はすべて©︎THE FISHMANS MOVIE 2021

7月9(金)より新宿バルト9ほか全国順次公開

【執筆者プロフィール】

日方裕司(ひかた・ゆうじ)
1981年埼玉県生まれ。
映画制作を学んだのちにフリーランスの脚本家・映像作家として活動中。
インディーズアーティストのMV、企業VP、WEBドラマ、ショートホラー作品などを手がける。