【Review】部屋の内側から描く、五輪へと向かう東京――『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』 text 細見葉介

 写真集のような映画だった。2013年に東京五輪の開催が決まって以来、変貌を加速してきた巨大都市・東京の最前線の現場で何が起こっていたのかを、生活する住民に寄り添った目線からとらえた、青山真也監督の「東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート」である。国立競技場の再整備計画に伴い取り壊しが決まった隣接する都営団地の、2014年から2017年を記録している。

 大きな特徴は、都市の変貌を映す際には真っ先に現れるであろう、位置関係を説明する「俯瞰」がないことだ。あまりにも巨大な東京の印象を映像化することはもはや困難といえるが、巨視的にとらえられる東京の姿とは異なる、生活空間の内側から映し出された「五輪へと向かう日常」がそこにあった。1990年代に都築響一がさまざまな賃貸住宅の室内を撮り続けた写真集『賃貸宇宙』や『TOKYO STYLE』で表わした世界を彷彿とさせる。登場する住民たちは高齢で、多くが単身だ。部屋の中に積まれた洗濯物、食器棚の陶器、商店の果物や缶詰の山、色鮮やかな小宇宙を、写真として成立しそうな美しい構図の長いワンショットで描いてゆく。激動の世相にあって2017年でさえ、もはや一昔前である。街の人々がマスクをしていないコロナ禍前の風景だけで懐かしさを感じてしまう。

 山手線の内側らしからぬ、時間の流れが独立した穏やかな日常場面の数々。空気感を見事にとらえることに成功していて、その場の風や匂いまでも伝わってきそうなほどだ。東京都新宿区という所在地を忘れて見入る時間が長く続く。団地内にあった商店街「外苑マーケット」は下町の世界である。息遣い、独り言、ラジオから流れる音楽、風にそよぐ木の葉、スズメのさえずり、蝉の声といった音も美しい。喧騒だらけの東京にあって、独立した別世界を保っている。ドキュメンタリーでは記録に徹しているようでありながら音声上の演出が目立つ作品が時々あるが、本作は映像のみならず音声でもリアリズムが優先され、抑制的だった。

 ナレーションもなく、大きな文脈への回収は拒まれており、紋切り型表現を拒もうという確固とした意志を感じた。想田和弘が掲げる「観察映画」という言葉がそのまま重なって感じられる、固定された冷徹な観察眼のカメラ。観る者に対して、文脈を与える代わりに、長いワンショットが登場するひとりひとりの心境へ迫ることを求める。この穏やかな生活はどうなってしまうのか……幼い孫が家の中を訪れて話を聞いている視線に近い、部屋にじっと座ったままで時に予想外の展開に驚くような、新鮮なまなざしの心地よさがある。室内での何気ない会話や挙動を、青山監督が存在感を消して撮るに到る道のりは長いものだったはずだ。生活に真摯に向き合ってきた積み重ねが結実して、日常に入って描くことができたのだろう。

 冷静でありながらも、カメラ眼は批判精神に貫かれている。団地の生活空間の内と外には大きな断絶があり、五輪開催へ向けて盛り上がる外側の世界に対しては常に厳しい視線を投げかける。マスメディアの記者たちは、部屋を訪れた際には五輪に批判的な言及なしにブルーインパルスの飛行に関するコメントをしてほしいと頼み、また夏の花火大会では風物詩的場面を都合よく切り取ろうとしているようにも見える。

 霞ヶ丘では、終戦後に引揚者たちの家が密集して立ち並んでいたのを、1964年の東京五輪を前に建て替えてこの団地が誕生した経過が語られ、混乱の中でこの団地に移り住むことになった住民たちは、半世紀を経て再度移転を余儀なくされたことが明かされる。「二度にわたって汚い住宅と言われた」という言葉には、大きな論理の下に犠牲になってきた悲しみが詰まっていた。記者会見では住民から、移転の意向調査上では「移転したくない」という選択肢がなかったことが明かされる。「いい話ひとつ、今回のオリンピックで感じることはない」。戦後、幾度となくドキュメンタリーに描かれてきた高度成長期の産業優先と同じ構図が繰り返されていることに気づく。

 団地という舞台では、高齢化が進んだ川崎市宮前区の野川団地の住民たちを描いた『桜の樹の下』(田中圭監督、2016)の世界と重なって感じられる場面が多かった。団地の外観、部屋の中の風景、そして個性あふれる住民たちの姿も。ゆるやかに過ぎゆく時間は、山手線の内側でも、郊外住宅地でもまるで同じだ。しかし野川団地の日常は続くのに対して、霞ヶ丘アパートは終わりへと向かう日々である。画面には光があふれ、作品を通して夜から朝になるような爽やかな印象を残す一方で、時間の流れは冷酷だ。五輪開催へ向かう華々しいカウントダウンは、団地の住民たちには全く異なる意味を持って見えていたのである。

 五輪と都市開発という軸で、本作と対照をなす作品があった。遡ること約半世紀、この団地が作られた当時、1964年の東京五輪開催直前に隣接する青山エリアでの都市開発を記録した映画『空にのびる街』(藤久真彦監督、1963)である。東京大学出版会刊の『記録映画アーカイブ2 戦後復興から高度成長へ』のDVDにも収録されている。住宅公団が企画し岩波映画製作所が製作にあたったこの映画では、青山通りに面した商店街を建て替え低層階に店舗を構える団地を作るにあたり、商店などを営む8人の地主との交渉が描かれる。開発をめぐる状況は異なっているとはいえ、時代に取り残されてしまう危機感と、開発へのただならぬ期待の感情を伝えている。それぞれに意見の違いや葛藤もあるが、圧倒的な力でビルの建設は進んでいき、古くからの地主・商人たちの考え方は対比して並べられ、変わるべき対象として象徴的に描かれる。「ビルという器が商売の形と中身を変えた」というナレーション。集合住宅が、最先端の理想像だった時代であり、未来の合理主義を象徴する存在だったことがわかる。市川崑監督の『東京オリンピック』(1965)の冒頭に登場する、「古い東京」を破壊するシーンと同じ位置付けである。

 そして現在に至るまで、東京では取り壊しは続いている。戦前の建築では関東大震災からの復興の象徴的存在だった同潤会アパートの数々も、2013年に上野下アパートが解体されて姿を消し、現在形で使われる戦前建築を目にすることは激減した。そして戦後・高度成長期に建てられた建物も解体が進む。あえて再開発を意識することもないほど日常的に、清潔で整然とした高層の空間が風景を占めてゆく。都内を歩けば毎回のように「この風景ももうじき見られなくなるのだな」と思う場面に出くわしてきても、即物的なノスタルジックの感情止まりであり、そこから先には想像力が及びがたい。しかし、それぞれの部屋の中には葛藤と喜怒哀楽があるのだ。東京に、同様の事例は数多くあるのではないかと考えずにいられない。

 五輪開催をめぐる様々な問題が報じられ、完成した新しい国立競技場の姿をテレビで見ない日はない。押し寄せるイメージの洪水により記憶は何度も上書きされ、かつてあった風景の印象を遠ざけていくが、本作は忘却に抗い、失われた住民たちの日々に強く引き戻す力を持っている。五輪が終わって長い時間を経る中で、存在は一層重みを増していくことだろう。

【映画情報】

『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』
(2020年/日本/カラー/16:9/DCP/80分)

監督・撮影・編集:青山真也
劇中8mmフィルム映写協力:AHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]
音楽:大友良英
整音:藤口諒太
配給:アルミード

公式サイト:http://tokyo2017film.com/index.html

写真はすべて©︎Shinya Aoyama

7月23(金)よりアップリンク吉祥寺、アップリンク京都にて1週間緊急先行上映、8月13日(金)より全国順次公開

【執筆者プロフィール】

細見 葉介(ほそみ・ようすけ)
1983年生まれ。会社勤務の傍ら、映画批評などを執筆。連載に『写真の印象と新しい世代』(「neoneo」、2004)。共著に『希望』(旬報社、2011)。著書に『躍動 横浜の若き表現者たち』(春風社、2019)。