【Interview】沈黙も、大事なコミュニケーションの一部です〜『日常対話』ホアン・フイチェン監督インタビュー

ホアン・フイチェン監督

2016年に台湾で公開され、2017年2月のベルリン国際映画祭テディ賞(LGBT作品賞)に輝いたホアン・フイチェン監督の『日常対話』が、いよいよ日本でも劇場公開される。

本作は、一児の母親となった監督と、台湾独特の文化である”葬式陣頭”を職とする母親の物語。そこには差別や暴力、貧困、ジェンダーなど様々な問題が内包されているが、基本はセルフドキュメンタリー。カメラを通して自分たちの過去を知り、やがて、親子の間で今まで話せなかったことを打ち明ける。シンプルだが圧巻の展開に、観賞後は誰もが自分の家族と「対話」をしたくなる。そんな作品だ。いくつかの偶然を経て、筆者(佐藤)と交流のあるホアン・フイチェン監督に、ドキュメンタリー制作の観点を中心に話を聞いた。

最後になるが、映画に感銘を受けた人々の手により翻訳され、日本に持ち込まれた本作は、2018年の「東京ドキュメンタリー映画祭」を含め、少しずつ上映の輪を広げながら、ついに劇場公開の日を迎えることとなった。配給の台湾映画同好会・小島あつ子さんをはじめ、この映画を日本で紹介したい一心で、思いをリレーで繋いだ関係者の皆様に改めて敬意を表したい。書籍版の「筆録 日常対話」(サウザンブックス刊)も読みやすく、おすすめである。

(翻訳=蘇雅如 取材・構成 佐藤寛朗)

『日常対話』より

プライベートな問題にカメラを向ける

――「日常対話」は、暴力やセクシャルマイノリティの問題など、様々な社会的事情をとらえた映画ですが、僕はホアン監督がご自身の人生をかけて撮られたセルフドキュメンタリーとして、思いをドキュメンタリーに託した作品だと思っています。まずは、どうして自分の家族の問題にカメラを向けようと思ったのですか。

黄 ドキュメンタリーとの出会いは1998年ですから、もう20年以上前ですね。青少年の話を撮ろうとしているある映画監督の作品に、撮影される側として妹と出演したんです。そこで初めて、大掛かりなカメラでなくても撮りたいものが撮れることを知りました。よし、自分もカメラを買ってドキュメンタリーを撮ろうとお金を貯めて、ソニーのTRV-900というビデオカメラを買いました。映像はボタンを押せば撮れるような簡単なものだと思っていましたが、実際に始めるとそうでもない。小説も書くのと同じで、いろいろな過程を考えなきゃいけないですよね。

どうして映像だったのかというと、撮ったものを一番見て欲しいのは母だったからです。母は本を読む習慣もないので、何かを書いて渡しても何の感想もありません。映像であれば、母がいちばん反応してくれるかな?と思ってカメラを回し始めたのです。

――はじめてカメラを向けたのは、お母様に対してだったのですか。

 映画の中にも何度か挿入されていますがはじめはいわゆるホームビデオとして、自分たちの生活を撮っていました。何にでもチャレンジしようと、結婚した妹が分娩室に入っている時にカメラを回したり、母が野菜を育てたり、料理を作ったりする風景を撮りためていました。でもカメラを向けるだけで、インタビューは撮っていません。カメラを向けても、どう会話をしていいのかわからない。そういう時期が続いていたのです。不思議に思ったのは、現実では会話ができないような距離感のある相手でも、カメラを回すと、自分の考えが如実に表れる瞬間があることです。例えば母を撮ると、自然に手や足のズームアップをしてしまう。カメラは自分の意思をそのまま伝える道具でもあると思いました。

――撮りためたものを作品にしようと思い始めたのはいつ頃からですか。

 本格的に作品にしようと思ったのは2012年、私自身が娘を産み、母親になった時からです。2009年から台湾のドキュメンタリー映画製作者協会で仕事を始め、ドキュメンタリーとは何か、制作にはどんな準備が必要かを、仕事を通して学び始めていましたが、資金集めなどは特に考えず、ひとり気ままに撮っていました。やがて自分が母親になり親子関係ができると、私はもう子供ではなく母になったのだ、と思いました。娘を引き受け生きていかねばならない人生の節目に立つと、私も母との確執を改善しなければならない。そう思って、退路を断ち作品を残そうと思いました。人間は、自分の人生で一番重要な問題に関して何かと言いわけを作ったり、逃げたりするものです。私もその局面に立たされ追い込まれなければ、決心できなかったと思います。

――やはり、子供を育てて生きていかなければならなくなったことが大きいのですね。

黄 子育ての日々の中では、毎日、毎日、自分はどういう母親にならなくてはいけないのかを考えます。自分にとっての母は一体どういう母親だったかを問い返したり、今の自分はどうしてこうなってしまったのか、成長の過程を思い返したりするのです。結局、前に進むためには、今までの自分の問題を一度整理しなければいけない。それが映画の原動力になりました。

『日常対話』より

監督の感情を共有するスタッフワーク

――撮影の際、特に何か心がけたことはありますか。

 撮影に際して、私は二つの実験をしようと思いました。一つは、自分と家族や母との関係をカメラで撮影したらどうなるか。もう一つは、この映画を1人で完成させるのではなく、プロフェッショナルのチームを組んで制作したらどうなるか、という実験です。台湾のドキュメンタリーは1人で取材・撮影・編集し完成させるタイプの作品が多かったのですが、私はドキュメンタリー映画製作者協会に入ったことで、ワークショップの後押しをしたり、映画を撮る際の法律的なアドバイスしたりする仕事をしていましたから、必然的に映画を完成させる為の知識や方法が増えて、カメラを回すことになりましたね。

――そうすると、この「日常対話」では、監督のプライベートな問題にスタッフワークを介在させることになります。現場では自分の気持ちを、どのようにスタッフと共有していたのですか。

 まず大前提として、信頼のできるチームを作れるかどうかが問題となります。この映画の編集のリン・ワンユィさんはもともと映画監督ですし、カメラマンの本職はイラストレーターでした。専門的な技術者を呼ぶというよりは、お互いの性格を熟知しているかどうかが基準です。私の一番のプライベートな世界に入るわけですから、まずはその人を信頼しなければならない。友人として、自分のことをきちんと打ち明けられるかどうかが問題でした。

スタッフとのコミュニケーションの方法では、例えば母の故郷にロケに行く時は、どういう場面を撮って欲しいかを具体的に指示します。「母がお金を数えている場面を撮ってくれ」とか、「タバコを吸う場面を撮ってくれ」とか、あるいは「母と友達の関係がわかる場面を撮ってくれ」とか。そのうえで撮影以外の時間では、私が心情をスタッフに語るんです。例えば小さい頃、自分と妹が母にほったらかしにされたときの記憶を話し、同じ目線をスタッフには共有してもらい、コミュニケーションに時間をかけるのです。

編集の段階でも、私が作ったシナリオや撮影しながら執筆していた本の原稿を、全て編集者に見せました。撮影したシーンを見てもらい、その後カメラを回していないところで何が起きていたのかも説明します。私自身の感情を吐露しながら作業を進めるわけですが、それはもう監督と編集者との関係を超えていますよね。通常なら「何カット後にこのシーンを入れて」とか技術的な話をしますが、私は自分と同じ心情で撮影や編集に臨めるかを重視していました。逆にいうと、技術的な問題はスタッフに全幅の信頼を置いていました。

『日常対話』より

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