ジョン・オカダという日系アメリカ人が書いた『ノーノー・ボーイ』(*1)という小説がある。舞台は第二次大戦後すぐのアメリカ・シアトル、主人公はイチロー・ヤマダという日系アメリカ人二世であり、物語の背景には第二次大戦中の日系人の強制収容がある。原著は英語で書かれており、最初に出版されたのは一九五七年。今回は、本作から語られなかった物語を考えていきたい。
まずは、アメリカにおける第二次大戦中の日系人の強制収用について、『ノーノー・ボーイ』の訳者である川井龍介氏の「ジョン・オカダと物語の背景−訳者あとがきにかえて」から、その経緯をたどってみたい(*2)。
一九四一年十二月に日本軍が真珠湾を攻撃すると、アメリカ西海岸では日系人社会の指導者や「親日」とされたものが逮捕され、次に日本人・日系人に夜間外出禁止令が出される。翌年の一九四二年二月には、ルーズベルト大統領が「行政命令第9066号」に署名、「日本人を祖先とする者は、『敵性外国人(人種)』だとして、約一二万人が太平洋沿岸のワシントン、オレゴン、カリフォルニアの三州の西半分とアリゾナ州南部から立退きを命ぜられた」。陸軍には地域内のすべての日系人を強制的に立ち退かせる権限が付与され、同年三月に最初の立退き命令が出され、八月には立退きが完了したという。立退きを強いられた日系人は一時収容所へ集められ、その後アメリカ国内の十カ所の収容所へ送られた。
『ノーノー・ボーイ』に登場するヤマダ一家もワシントン州シアトルから収容所へ送られ、日本の敗戦とともにシアトルへ戻った。物語は、主人公のイチローが、父母や弟に後れて、刑務所からシアトルに戻ったところからはじまる。イチローは収容所にいた際にアメリカ軍への徴兵を拒否して有罪となり、刑務所で服役していた。つまり題名である「ノーノー・ボーイ」とは徴兵拒否者を指すのだろうか。訳者の解説によれば、そのあたりはもうすこしこみいっているようである。
「アメリカ陸軍は、収容所内から志願兵を募るために、アメリカ市民かどうかは関係なく、一七歳以上の全員約七万八〇〇〇人を対象に国家への忠誠度を調べる質問状を出した。質問は三三項目で、そのうちの二つが重要だった」
ここで訳者が重要と挙げた項目は次の二つの問いである。「あなたはアメリカ合衆国の軍隊に入り、命ぜられたいかなる場所でも戦闘義務を果たしますか」、「あなたは無条件でアメリカ合衆国に忠誠を誓い、合衆国を外国や国内の敵対する力の攻撃から守り、また、日本国天皇をはじめいかなる外国政府・権力・組織に対しても忠誠を尽くしたり服従したりしないと誓えますか」。この二つの問いに「ノー」と回答したものが「ノーノー・ボーイ」と呼ばれ、「反米的とされカリフォルニアのトゥールレイク収容所に集められた」という。
いっぽうで収容所内からの徴兵については、それまで志願兵制度だったのが、一九四四年から選抜徴兵制が適用されたとあり、作中には「二年は収容所に、もう二年は刑務所にいた」とイチローが回顧するところもあることから、イチローは選抜徴兵制の徴兵を拒否したと考えるのが妥当だろうか。
なお、作者のジョン・オカダは、一九四二年にアイダホ州の収容所へ送られた後、軍に志願し戦地へ赴いている。「ノーノー・ボーイ」と徴兵拒否者については、訳者が次のように述べていることも記載しておきたい。
「この小説では、徴兵拒否者であるイチローのことをノーノー・ボーイと呼んでいる。この点については、著者は違いをわかっていてあえて国家に背いたことのイメージの総称としてインパクトの強いこの言葉を使ったのか、あるいは当時その区別を認識していなかったのか、定かではない」
いずれにせよ、ヤマダ一家が戻ってきたシアトルの日系人コミュニティには、少なくとも、収容所から戻ったもの、戦地から引き揚げてきたもの、徴兵拒否者、または「ノーノー・ボーイ」という立場の違いがあったと考えられる。
本作では、そのシアトルの日系人コミュニティの内と外を舞台に、差別の再生産や同胞同士による共同体への批判的な視点を含めながら、国家とは、アメリカとは、日本人とはなにかを問い、主人公のイチローが「自分はなにものであるか」と思考を重ね、刑務所から戻ってきたときに抱えていた空虚さを、人や社会とのあらたな関係のなかで理解し、そこにほのかな希望を見出していく。
その物語の一端を担うのが母との関係性である。イチローにとって母は、「自分はなにものか」という問いの障壁としていくども立ちはだかり、あなたはなにものなんだという叫びにも似た問いを抱かせる存在である。
家に帰ってきたイチローと対面し、「お前のことを自分の息子と呼べること」で鼻が高いと母は言う。イチローの解釈によればそれはこういうことだ。
「息子が裁判官の前で『ノー』と言い、二年間刑務所に行ったのは、母という木から生まれた種が成長した結果であり、自分こそが息子の中にそれを植えつけた母親なのだ」
日本人であることに固執する母のなかでは、日本人として徴兵を拒否した息子は自分の人生を証する存在である。イチローもまた、徴兵を拒否した理由の一端は母にあり、母を喜ばすためだったということは認めるが、いまでは後悔でしかないという心情を吐露する。
「母さんは石で、控えめだが固い決意で狂信的に、叩いて、壊して、壊して、おれの個性というものをつぶした。母はおれに、意地悪く目には見えない憎しみで呪いをかけたんだ」
なぜ徴兵を拒否したのか。もしその理由が明確であれば、あるいはイチローは本作で描かれるイチローと同一ではなかったかもしれない。しかし刑務所のなかで、なぜ徴兵を拒否したのかという問いを重ねれば、日本人であることはいくども立ち現れざるをえず、イチローが抱く「日本人であることがどういうことかわからなかった」という感覚はたしかなものだと考えられる。つまり日本人を巡る考え方の相違がすでに母とイチローを隔てる壁として生じている。再会した母の言動も、イチローには狂っているとしか思えず、その一端として、日本は戦争に勝ったと信じる、いわゆる勝ち組の考え方に母が捉えられていることが示される。本連載の第四回「松井太郎のブラジル」においても、日本が戦争に勝ったと考える勝ち組と日本は戦争に負けたと考える負け組のあいだのブラジルにおける抗争について触れたが、母がイチローに差し出した手紙もブラジル・サンパウロから送られてきたものだった。その手紙によれば、日本の勝利の日は目前であり、間もなくアメリカ西海岸にも日本から迎えの船がやってくるという。母は、手紙の差出人は南米の友達だと言い、「私らはひとりぼっちじゃない」と言うが、イチローは「おれたちはひとりぼっちだ」と母に迫る。
「全部が狂ってる。母さんも狂ってる。おれも狂ってる。ああそうだ、おれたちは間違ったんだ。認めるしかないんだ」
「おれたちはひとりぼっち」という矛盾する表現のなかには、母と自分では問題の根本が異なるというイチローの意志がうかがえるいっぽう、「おれたちは間違った」というとき、母と自分の共有する問題の根の一端に徴兵拒否があることは想像がつく。しかし、刑務所のなかでも考えてきたというその思考にはいまだ揺らぎが垣間見られ、たとえば次のような一節はまるで自分に言い聞かせているようである。「おれたちが間違いを認めた瞬間に、すべてはかたがつくんだ」、「もうこれを認めなきゃならないんだよ」。
「おれたち」、つまり母と息子であったころ、たとえば幼年期に母がくりかえし語って聞かせた日本のむかしばなしのなかに入りこめたころは、母とふたりでともに「日本人の」感覚や考えをもつ「日本人」でありえたとイチローは考える。簡潔にいえば、母とふたり、母に与えられた日本の時間が色濃く流れるなかであれば、イチローは日本人でありえた。けれどもじっさいには、イチローはアメリカで生まれ育ち、アメリカで教育を受け、アメリカで酒もタバコもおぼえた。それでも完全にアメリカを愛するようになったわけではない、とイチローが問うなかで、はじめは「半分日本人」だったのが、いつのまにかその半分は「あなた」となり、「日本」もまた「あなた」つまり母に従属している様相を呈す。
「しかし、おれは百パーセント愛するようになったわけじゃない。あなたがおれの母親であることに変わりはなく、おれはまだ半分日本人だったからだ。戦争が起きてアメリカのために日本と戦えと言われたとき、おれはあなたと戦えるほど強くはなかった。おれの半分、つまりそれは母さん、あなたなんだけれど、その半分をもう一方の半分であるアメリカより大きくしている苦渋と闘うほど、おれは強くはなかったんだ。アメリカである半分とは、本当はおれの全体のはずなんだけれど、おれはそれを見ることも感じることもできなかったんだ」
イチローは思う。「おれの中にあるあなたという半分のおれはもうない」。
徴兵を拒否しても、アメリカで生まれたイチローの権利、つまり法的にアメリカ人であるという権利は奪われなかったが、日本人でもアメリカ人でもなく、いまでは母の息子でさえないと自認するイチローは、つぎに憎み殺しあう「世界」を責める。しかしその「世界」というものが「簡単で単純過ぎて」理解できない。おそらくは「アメリカ」や「日本」についても同様であろう。ではそれはなぜか。それは母を理解できないからであり、母と戦わないことによって破壊されてしまった半分がなんであったのかを理解できないからであるとイチローは理由を挙げる。このときイチローがいう、母を理解するとはどういうことなのだろうか。
イチローが理解できない母の行動は、読む者にも衝撃を与える。
母はイチローを連れて近所へ挨拶に出向く。近所に住む日系人には、勝ち組の信念を共有する数少ない母の友人もいるいっぽうで、アメリカ軍に徴兵された子どもたちをもつ家族も多い。そのうちのひとつであるクマサカ家を訪れたとき、母は唐突に、息子は苦しんだ、しかし息子にも自分自身にも謝る気はないと語りだす。クマサカ家の息子、つまりイチローの幼いころの友人でもある息子は徴兵されてヨーロッパの戦地で戦死していた。そのことを母からなにひとつ聞かされずに連れてこられたイチローは、母の内奥を次のように考察する。
「その母親は生きている息子を連れて、こう言いにきたのだった。あなたたちは日本人じゃない、だから自分の息子を殺したんだ、恥を知り悲しみを知るべきだ、でも、私の息子は大きく強く、生き生きとしている、それは私が自分の息子を弱虫にしなかったからで、自滅させたり裏切り者にさせたりはしなかったからだ」
クマサカ家を先に出て前を行く母の小さなすがたは、イチローの目に自信に満ちているように映る。その自信の根拠はなによりも帰ってきたイチローの存在であるが、母の自信はこの場面を境に失われていく。収容所からシアトルに戻った後、母のまわりには、共に暮らす夫と次男を除けば、いまだ日本の勝ちを信じるというある種の信念を共有する友人しかいないと推察される。そのなかで夫はといえば、イチローに問いただされた際、母さんは病気だというのをくりかえし、日本の敗戦を理解しているにもかかわらず、妻に間違っているとは言えずにおり、次男はといえば、家にほとんどいない。母にとっては、イチローの帰還、そしてイチローとともに日本人として歩むことがなによりの希望であったと考えられるが、はたしてほんとうにそうなのだろうか。
クマサカ家の息子の死について、母は言う。「悪かったのは母親で、息子はなにも知らなかったんだから死んだのは母親です」。イチローはもちろん反論するが、母の考え方によれば、「私たちはいまでも日本人」であり、息子をアメリカ軍に徴兵されたクマサカ家の母親も父親も日本人ではなく、死んだのだ。もしおれが軍隊に入ったら、というイチローの問いに母は次のように答える。
「おまえがアメリカの軍隊に入ったら私も死ぬよ。アメリカの軍隊に入るって決心しただけでもだよ」
狂っているというイチローのことばに、母は「みんな私が狂っているって言うけど」、それは本心ではなく、みんな私の強さが羨ましいのだとつづける。イチローは声を荒らげ、母の表情に一瞬恐れが現れたのを見る。じつはこのときの恐れこそ、母がイチローの帰還に抱いていた感情だったと仮定するとどうだろうか。「狂っている息子を見てみろよ。狂った自分が見えるだろ」というイチローのことば通り、ふたりは互いが鏡となり、互いのすがたを映しあっているように思える。仮にイチローが、なんども「狂っている」と口にせずにはいられないほど、ありえたかもしれない自分のすがたを母に重ねているのであれば、母もまたイチローと向き合うことでこれまで避けてきた真実から目を背けられなくなるという恐れを抱き、イチローの帰りを喜びと恐れの相反する感情とともに待っていたとは考えられないだろうか。
作中では、次男のとった行動により、イチローの目にもわかるように母の気が挫ける。十八歳の誕生日を迎えた次男のタローが、高校の卒業を待たずに軍隊に入ると言い出したとき、自分がタローの立場であれば同じことをしたとイチローは考え、兄の徴兵拒否という行動、自分を壊していく母、それに加えて、兄の苦悩を理解しているからこそ、そこから解放されなければならないと推察すると同時に、「母の人生の意味が少し薄れた」と感じ取る。
そして後日、旧友であり、戦地で脚を失くしたケンジについて、あの子と友達になってはいけない、「あの子は日本人じゃない。私たちを相手に戦ったんだよ」という母に対し、イチローは怒りを通り越した哀れみを抱き、心中で母に問う。母さん、あなたは誰なんだ?
イチローはまず、母の心を壊したのは、かつて日本人であり、これからもずっと日本人だという心の病であると考え、その病は、母なりの方法で子どもに対していい母親であろうとしたその計画を、戦争が、戦争によってアメリカにおける日本人の地位が変わったことに由来すると仮定するが、しかし母が誰だかわからない根底には、母がなにも教えてくれなかったことがあると気づく。母の少女時代、母の実家、母の両親、それぞれがどんな人生をおくったのか、イチローは母の生についてなにも知らなかった。
イチローがそのことに気づいた後、母のまえで母の実の姉から来た手紙を父が読みあげる場面がある。キンチャンという母の愛称で呼びかけ、母と姉しかしらない記憶がそこには記されてあったが、寝室に閉じこもった母はその後、棚に缶詰を並べては振り落とし、並べては振り落としといった行為を延々とくりかえすようになり、やがて自ら命を絶つ。
母の死によって、イチローは母があまりにも日本へ焦がれ、日本でしか自由や幸せを得られなかったことを理解する。それは同時に、日本からアメリカへ来たこと、子どもたちを自分の理想に合わせて育てようとしたこと、アメリカでも子どもたちを日本人にできると考えたことなど、母が多くの間違いに絡めとられるなかで、母が母なりの筋を通してきたと理解することでもあった。しかしその背景を理解するには、あるいは「父親や母親と過去を共有する」には、母がおくってきた人生を知らなければならないということにもイチローは気づいているはずである。
本作『ノーノー・ボーイ』では、ひととのあらたな関係や結びつきをきずこうともがくイチローのすがたが描かれる。そのなかで母との関係は、母の死によって閉ざされてしまったかもしれない。しかし、アメリカとはなにか、日本人とはなにかといったおおきな問いではなく、あらたな関係や結びつきの基底として立ち返る場所が、母の人生の物語の不在を通して語られているのではないだろうか。
*1 ジョン・オカダ『ノーノー・ボーイ』(川井龍介訳、旬報社、二〇一六年)
*2 アメリカにおける第二次大戦中の日系人の強制収容の経緯については、他にも、ジュリー・オオツカ『あのころ、天皇は神だった』(小竹由美子訳、フィルムアート社、二〇一八年)所収の小竹由美子氏による「訳者あとがき」、ミツエ・ヤマダ『収容所ノート ミツエ・ヤマダ作品集』(石幡直樹・森正樹訳、松柏社、二〇〇四年)所収の石幡直樹氏による「訳者解説」も参考にさせていただきました。
【書誌情報】
『ノーノー・ボーイ』
ジョン・オカダ著 川井龍介訳
旬報社 2016年12月発行 2500円 A6判 352p
ISBN 978-4-84-511492-4
【執筆者プロフィール】
中里 勇太(なかさと・ゆうた)
文芸評論、編著に『半島論 文学とアートによる叛乱の地勢学』(金子遊共編、響文社)。