【Interview】沈黙も、大事なコミュニケーションの一部です〜『日常対話』ホアン・フイチェン監督インタビュー

『日常対話」より


名場面あれこれ

▼ 前のページから

――この映画では、監督の感情を色濃く出しながら、背景がきちんと描かれるなど、編集の力量を感じました。例えば何人ものお母様の恋人に話を聞くシーンは、ご自身ではどう考えていらっしゃいますか。

 あれは偶然なのですよ。当初は、母と8年間一緒に生活をした元彼女のひとりだけをインタビューする予定だったのですが、母の今の彼女がそのことを不思議に思って「だったら私もインタビューしてよ!」と言いました。話し好きの彼女は、テープが終わってもずっとしゃべっていましたね(笑)。実はその時、母は別の元彼女と一緒にいて「今、彼女を撮影しているんだよ」と話をしたら、別の元彼女は「どうして私もインタビューしないの!」という話になって、偶然の連鎖が起きました。結局、母の何人もの彼女の撮影をしたわけですが、それでも全員ではないんです(笑)。でもこうした偶然が重なって、普段は気づかない母の別の顔をうかがえたのは、私にとってひとつの発見でした。なにも母の恋愛事情を掘り下げたくて、意図して撮り始めたわけではありませんが、違った顔の母を見てみたいという願望が、私自身にあったのかもしれません。

――「お母様を愛した女たち」という意味では、監督もその1人なわけですしね。

 確かに小さい頃、母の恋人たちを見ると、自分の恋敵のように思っていたかもしれないですね。その人たちを愛するあまり、自分たち姉妹を愛していないのではないか、と思っていたぐらいで。

――お母様が故郷で虐待を受けたり、セクシャルマイノリティであることを親戚が理解できずに戸惑うシーンをみていると、監督やお母様にとっての個人的な問題が、台湾の農村の典型例として普遍的に見えてくる構造になっています。プライベートから一歩引いた、社会的問題として捉えられる映像の二重性は、どの段階で気付かれたことでしょうか。

 母の故郷で撮ったタブーに関する話題は、「どう話していいのかわからない」という受け止められ方をされました。母の親戚のような人々にとっては、同性愛者(同志)という言葉さえわからず、ワードを与えられなければ話題にもならない。話せばお互いを傷つけるだけで、話そうにも話せない、息苦しい世界です。実際にインタビューをした時も、「母が女性のことが好き」なことは全員が理解していながら、そのことを言えず、皆、気まずい表情で困惑していますよね。それは一つの社会的な反応と言えるでしょう。同性愛者でなくても、外国人労働者の妻や、精神疾患を患っている家族、身障者など、タブーで蓋をしてしまいがちな問題に関しては、皆似たような反応をします。質問を投げても、苦笑いをしてやり過ごしたりするのは、嘲笑などではなく「わかっているよ」という意味合いのサインだったりします。表情が既に社会の問題を物語っているのです。そのことをこの映画では、改めて伝えているのかもしれません。

『日常対話』より

――映画のクライマックスである、お母様と対話するシーンは、一世一代の名シーンだと思っていて、私は「とにかく映画を見てくれ!」と人に伝えているのですが、そのシーンに関して、ご自身でお話しできることはありますか。

黄 あのシーンは、実際には3時間をかけて撮られました。朝から昼にかけ3時間。現場には母と私しかいませんでした。カメラを3台設置して置いて出たので、カメラマンは今までで一番楽な仕事だったと言っていました(笑)。でも一番緊張する仕事でもありますよね。どういうシーンが撮れるのかわからないから。実際、そのシーンには、たくさんの“沈黙”がありました。私が一番感じたのは「沈黙は単なる沈黙ではなく、コミュニケーションの一部である」ということです。日本には「空気を読む」という言葉がありますよね?その言葉のように、全てのコミュニケーションは言葉だけでは無く、私と母の2人の間にある化学反応だって、沈黙の中にありました。

もう一つ、このシーンで学習したのは、言葉というものは、それ自体はそこまで信頼できるものではない、ということです。「日常対話」と言いながら、私自身撮影される側でもあり、話をしている時には感情的にもなって、相手が言おうとしていることを正常な状態で聞き取れていたのかどうかは分からないです。自分の聞きたいことだけしか聞けていないのかもしれないですし。話をしている時って、あまり自分の認識は信頼できないですよ。客観的な認識ができないから。しかし撮影し、映像を見返すことによって、私は母が言いたいことが何かを理解できたし、その時の私の反応も客観的に振り返ることができたんです。

あのシーンを見たお客様には、よく「自分の大切な話を大切な人に話すことって、やりたくてもなかなかできないよね」と言われます。様々な事情で伝えることができなかったり、相手が亡くなってしまったりすることもある。私としては「まだ時間のある時に、自分なりの方法や時間を見つけて、ぜひ大切な人と自分の大切なことを伝えてくださいね」と言っています。

――最後に、撮影を終え、無事映画が上映されたことで、ホアン監督とお母様との関係は、どのように変化しましたか。

 運が良いことに、撮影後、私と母との関係は良いものになりました。映画ができた翌日から手本のような親子関係になったわけもでないですが、同じ空間にいても緊張することがなくなり、お互い空気が読めるようになりました。言葉にして口に出しているわけでもないのに「言いたいことは分かったから、お互い仲良く暮らしましょう」という感覚で、母の行動や考えていることが分かるようになったのです。

母は映画ができたあと、映画のことを報じる新聞記事を友達に見せびらかしにいったんですって! 母も今までは自分のことを恥じてきた部分があったのですが、映画のことをシェアしたいと、はじめて人に対して伝えることができた。それまでは、私たち姉妹のことを養子と言ったり、「結婚はわずか1日だけだった」と嘘をついて強弁したり、嘘で自分を誇示するような面がありましたが、それがなくなりました。自分の人生を、嘘をつくことで隠していたのですね。映画を通して、母は自分の人生を受け入れられるようになりました。それはとても喜ばしいことで、収穫でした。映画を作って、母と私の2人の人生は大きく変わりました。それは確かに言えることかもしれませんね。

【映画情報】

『日常対話』


2016年/台湾/カラー/DCP/5.1ch/88 分
原題:日常對話 英語タイトル:Small Talk

監督・撮影:ホアン・フイチェン(黃惠偵)
エグゼクティブプロデューサー:ホウ・シャオシェン(侯孝賢)
プロデューサー:リー・ジアウェン(李嘉雯)
撮影指導:リン・ディンジエ(林鼎傑)
編集:リン・ワンユィ(林婉玉)
編集顧問:レイ・チェンチン(雷震卿)
音楽リン・チャン(林強)、ポイント・シュー(許志遠)
日本語字幕版 配給・宣伝:台湾映画同好会
©Hui-Chen Huang All Rights Reserved.

2021 年7月31日(土)より ポレポレ東中野にてロードショー

日本公開公式サイト:smalltalktw.jp

【監督プロフィール】

監督・撮影:黃惠偵(ホアン・フイチェン)

 社会活動家、映画監督。6歳で母親の営む家業を手伝い始め、家庭の事情により10歳で小学校中退を余儀なくされる。20歳からは複数のNGO で社会運動に従事しながら、ドキュメンタリー映画製作を学び、社会的に弱い立場にある労働者たちの声なき声を作品に収めてきた(『八東病房』『烏將要回家』)。現在は独立映像制作者として活動。本作が長編初監督。