【Review】ほのかに育つ意思――『帆花』text 堤拓哉

 白い湯気が立ち昇る熱々の飲み物が入ったカップのように、淡くて温かいものを感じさせるドキュメンタリー映画だ。タイトルの「帆花」という名の女の子は、自宅のベッドに仰向けで横たわり、人工呼吸器を装着している。か細い手足は自力で動かせず、表情の変化もはた目からはほぼ見られない。室内に響く「ピーピー」「ピッピッ」といった医療機器の音が一定のリズムを刻んでいる。そこに帆花さんの「あー」「うー」「おー」といった声がオーバーラップしてくる。

 排痰・吸引が必要な人工呼吸器ユーザーの帆花さんのように、医療的な処置が日常的に必要な子どもを「医療的ケア児」と呼ぶ。現在、全国に約2万人がいるとされ、その数は10年前の約2倍に急増している。ただし本作は、こうした社会的背景の説明を省いている。帆花さんが受けている処置の内容や、利用している医療・福祉制度もほとんど解説しない。「医療的ケア児」を題材にした近年のドキュメンタリー映画とは毛色が異なる(*1)。そのことは、いずれの作品も複数の家族を取り上げているのに対して、本作が1つの家族の風景だけで成り立っている点からも窺える。

 母親の西村理佐さんは、日々の大半を帆花さんの医療的な処置や介助、見守りに割いている。父親の秀勝さんは、働きに出つつも、家では理佐さんと同様の時間を過ごしている。西村一家の暮らしは、帆花さんを中心に回っている。といっても、帆花さんの呼吸を持続させることだけに両親の努力が費やされているわけではなく、彼女の誕生日会が開かれて友人との交流があったり、親戚みんなで動物園に遊びに行くこともある。帆花さんが3歳から6歳頃にかけての、そうした何気ない日常を丹念に描き出すなかから、彼女の「人間としての暮らし」が浮かび上がってくる。

 たとえば、動物園で飼育員がモルモットを手に持って、動くベッドのような車いすに仰向けに横たわる帆花さんの顔の前に近づけてくれるシーンがある。このとき、秀勝さんは首にぶら下げていたカメラを構え、モルモットと帆花さんの顔が画角に入る一瞬を逃さずシャッターを切る。基本的に、車いすに乗った帆花さんの顔は真上を向いており、檻のなかにいる熊などの動物たちを実際に見ることは難しい。それ故に、この機会は極めて貴重だ。こうした他愛のない出来事のなかにおいて、帆花さんは憲法第13条の「すべて国民は、個人として尊重される。(以下、筆者略)」という条文で保障されている人間としての尊厳を守られ、生きている。そのことを秀勝さんの撮った1枚の写真が証明している。秀勝さん、および理佐さんは写真を撮るという行為を通して、帆花さんが「人間らしく」生きているということを確認し、自分のなかに落とし込んでいるとも言える。

 もっとも、帆花さんがモルモットを見て喜んだのかどうか、そもそもモルモットを見たいと思っていたかどうかなど、彼女の意思をはっきりと確認することは難しい。母親の理佐さんの語りによれば、帆花さんは産まれる直前にへその緒の動脈が切れたことで脳に大きなダメージを負い、産まれたときには脳波は平坦で「今後目覚めることはない」と宣告された。自力で呼吸もできなかったため、人工呼吸器を着けることになった。しかし、脳波をキャッチするおもちゃを帆花さんに使用したところ、反応があったように、「脳波がない」という断定もできない。つまり、帆花さんの意思は発達の途上段階にあるだけという可能性も高い。

 重度の身体障害と知的障害を併せ持つ人には二次的な障害として、「経験障害」があると見る向きがある(*2)。経験が不足しているが故に、意思が育たないというのだ。そう考えると、意思がないからモルモットを見せることは無駄だ、などと決めつけるのは早合点である。たとえ、その発達の速度がゆるやかでグラデーションがあったとしても、それは障害特性として配慮されるべき個性になる。むしろ、意思が育っていない人がいると気が付いたら、積極的に支援してこその人間社会だと思う。

 そうした支援の好例としては、先進的な障害者福祉施設の取り組みが挙げられよう。いくつかの施設では、アート・表現活動を通じて、重度の身体障害と知的障害を併せ持つ人たちの意思や個性を引き出そうとする試みが実践されている。具体的には、生活介護事業所「工房集」では、利用者が職員の声掛けにタイミングを合わせ、ゆっくり粘土を握ることで出来上がる立体作品「ニギリ」を生み出している(*3)。意思は経験を積めば育つという単純な話でもなく、引き出す手腕や読み取る方法論も問われるのだ。

 翻って、理佐さんと秀勝さんは、ときに孤独を感じたり、逃げ出したい気持ちを抱えながらも、帆花さんの意思を育むことに余念がない。彼女のありのままの成長に寄り添い、試行錯誤している姿が胸を打つ(*4)。同時に一観客の視点からは、明確に言葉にすることは難しいながらも、彼女の意思の輪郭ははっきりとスクリーンに映し出されているように感じられた。

(*1)『Given~いま、ここ、にある しあわせ~』(高橋夏子監督/2016年)や『普通に死ぬ~いのちの自立~』(貞末麻哉子監督/2020年)など。
(*2)坂川裕野『亜由未が教えてくれたこと』(NHK出版/2018年)P.172。
(*3)『問いかけるアート――工房集の挑戦』(さわらび舎/2017年)P.106。
(*4) ただし、児玉真美『殺す親 殺させられる親』(生活書院/2019年)で論じられているように、特にケアの中心的役割を担う理佐さんがその役割から逃れられず、心身を消耗している点には留意されたい。

【映画情報】

『帆花』
(日本/2021年/DCP/ドキュメンタリー/72分)

監督・撮影:國友勇吾
撮影:田崎絵美
編集:秦岳志
整音:川上拓也
音楽:haruka nakamura
プロデューサー:島田隆一
製作:JyaJya Films+roa film
配給:JyaJya Films 配給協力・宣伝:Regard
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)/独立行政法人日本芸術文化振興会

公式サイト:http://honoka-film.com/

画像はすべて ©JyaJya Films+roa film

2022年1月2日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

【執筆者プロフィール】

堤 拓哉(つつみ・たくや)
批評家・編集者。1989年東京都生まれ。早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系卒業。論考「見えないバックラッシュ――障害のある人たちをめぐるテン年代の諸相」(『対抗言論』2号)。