バークレー美術館&パシフィック・フィルム・アーカイヴ(HPより)
この連載ではこれまでに、パンデミック下の映画制作や映画研究者のコミュニティという視点から、ロサンゼルスでの生活で出会う人々やものたちを通じて映画文化の「これまで」と「これから」について考えるささやかな試みを行ってきた。今回は、映画制作、そして研究・批評と並び、映画をめぐるコミュニティを構成するもうひとつの重要な要素——映画や映像作品をいかに記録・保存し、それらをいかにより広い観客へ開いていくのかということ——について考えてみたい。具体的には2021年秋に企画したある上映会にまつわる経験をふり返りつつ、非商業映画を対象とするアーカイヴとキュレーションの取り結ぶ有機的な関係について考えをめぐらせていきたい。
映像・映画文化における記録・保存活動の重要性については論を俟たない。日本の映画・映像アーカイヴ活動は欧米での動向に比して法制度やシステムの整備において遅れをとっていたが、川喜多かしこら先駆者の努力が身をむすぶかたちで徐々にその重要性が周知されてきた。また、国立映画アーカイヴの公的なシステムの整備に加え、映画保存協会等のNPOの活動も日本のアーカイヴ活動を支える重要な支柱となっている。しかし、その活動規模やアーカイヴが対象とする範囲について、とくに非商業映画に関しては、まだまだ拡張の余地があるのが現状だ。
上映会を企画する——1990s Experimental Film in Japan
そうした日本の非商業映画をめぐるアーカイヴの現状を深く考えるきっかけになったのが、2021年10月に開催された日本の実験映画の上映イベント企画に関わった経験だった。同年夏ごろ、日本の実験映画・アートを専門とするミリアム・サス教授に声をかけられるかたちで、カリフォルニア大学バークレー校附属のパシフィック・フィルム・アーカイヴ(PFA)での上映企画のキュレーションに関わることになった。その企画趣旨は、実験映画に焦点を当てるPAF恒例の企画Alternative Visionsの一環として、日本の実験映画における女性の活躍に注目するプログラムを構成するというものだった。ジェンダーやセクシュアリティ、また人種や階級の問題を起点に、映画史のカノンを批判的に考察し、マイノリティの観点からオルタナティヴな映画のあり方を探る批評的営為の重要性は、ここしばらく映画研究や批評、アーカイヴやキュレーションのコミュニティの中心的な関心事のひとつとなってきた。このように「非西洋」の女性の実験映画に注目が集まる背景にも、映画をめぐるコミュニティの多様性への関心の大きさが関わっているのだろう。
いざ企画に向けて本格的に動き始めたとき、キュレーション経験ゼロの私がもっとも苦労をしたのが、個々の制作者の方に連絡をとりレビューのための素材を提供してもらうという基本的なステップだった。今回のキュレーションの過程では、出光真子や中谷芙二子、石田園子らの先駆的な活動に目を向けつつも、結果的にとくに焦点を当てることになったのがイメージフォーラム・フェスティバル(IFF)やぴあフィルムフェスティバル(PFF)で80年代以降に発表された女性制作者による作品群だった。以前からのご縁で連絡先を知る作家の方や、個人のウェブサイトをもっている制作者には比較的容易に連絡を取ることができたのだが、作品を拝見したことはあっても連絡先が分からない方も多くいた。また、現在では映画制作の世界から離れている方や寡作の制作者も多くおり、作品選定の試写のため素材にアクセスを得る手段を探るのがひとつの試練だった。その過程で、ご助力くださったのがイメージフォーラムの門脇健路さんで、彼に同館が有する連絡先のリスト等をたどっていただいたおかげで、多くの制作者にコンタクトを取ることができた。また、PFFに関しては過去のフィルム作品を五カ年計画でデジタル化するプロジェクトに着手したという情報を得ることができたが、素材へのアクセスの難しさもあり今回は検討を見送ることとなった。
こうしてサス教授と進めた作品収集をもとにPFAの学芸員キャシー・ゲリツとの相談のうえで決定したのが90年代のIFFで発表された女性制作者の作品群に焦点を当てた企画である。 “1990s Experimental Film in Japan: Women’s Anarchic Visions of the Everyday” と題したその企画では、制作者の方々のご厚意もあり、浅野優子『蟻の生活』(1994)、齋藤ユキヱ『水ノフルヨルニ』(1992)、才木浩美『あながちまちがってるともいえない空』(1996)、寺嶋真里『緑虫』(1991)、そして小口詩子『バラ科たんぽぽ』(1990)というそれぞれ強い個性をもつ魅力的な作品を組み合わせることができた。実験映画というと、一般的には物語を排した抽象的なイメージや音の連鎖がまっさきに思い浮かぶかもしれない。しかし、このプログラムで扱った作品はいずれもシニカルなユーモアや遊び心にあふれる物語への実験的な介入を行なっているのが特徴だ。例えば浅野優子のストップモーション・アニメーション作品、『蟻の生活』は独特の儀礼に満ちた蟻の宮殿へ彷徨いこむカマキリが、その儀礼を通して蟻の世界へと入っていき、そのルールへと従属させられていく様子を描いている。こうした「物語」の積極的な活用が90年代の女性による実験映画を特徴づけていたことの一因には、欧米と比して実験映画の党派的なスタイルへの志向が薄い日本の実験映画サークルに、狭義の実験映画の定義を逸脱するような作品が生まれやすい土壌があったことが関係しているのかもしれない。
浅野優子『蟻の生活』
上映会当日には学生だけではなく一般の観客も多く見られ、上映後のQ&Aも含めてこの時世にもかかわらず盛り上がりを見せるイベントになったが、この上映会への反響としてとくに興味深かったのが、イベント終了後に、上映会に興味をもった方から問い合わせがチラホラと届いたことだ。そうした問い合わせに共通していたのが、興味のあるトピックや作品群なのに作品にまつわる情報にさえアクセスする手段が見つけられないという声だった。たしかに、サンフランシスコを拠点とする実験映画の配給組織キャニオン・シネマや女性の映画制作に焦点を当てる配給組織ウィメン・メーク・ムーヴィーズ、そして実験映画の保存や上映を行うアンソロジー・フィルム・アーカイヴといった、非商業映画の保存や配給を扱う組織が大きな存在感を見せるアメリカの文脈と比して、日本では非商業映画の保存や配給をめぐる基盤が整備されているとは言い難い状況だ。
日本の非商業映画をめぐるアーカイヴのこれから
もちろん、実験映画の保存やカタログ化をめぐる動きがまったく見られないというわけでは決してない。日本国内の動きでいえば、実験映画や自主上映映画の上映や配給の基盤として重要な役割をはたしてきたIFFやPFFの存在はもちろん看過できない。先ほども述べたように、PFFは5ヵ年計画で過去の作品をすべてデジタル化する計画を進めているし、現時点でもそのウェブサイトでは過去の受賞作がデータベースとして一覧化され、90年代後半以降の作品に関してはウェブ上で試聴可能なものも多くある。またIFFも過去の作品を新たに上映する回顧上映の機会を全国でしばしば設けている。それに加えて、日本を拠点に実験映画の上映企画やそして配給を行う組織KRAUT FILMは今回の上映会でも浅野優子の作品上映に際し、デジタル化と配給においてご助力いただいた。
また、地域的な枠組みを超えて海外へと作品を紹介するプラットフォームもあらわれている。例えば、北米を拠点に戦後日本の実験映画とビデオ作品(主に50年代から80年代)の記録や保存そしてそのアクセスに関する課題への解決に向けた活動を行う組織Collaborative Cataloging Japan(CCJ)は2015年の設立当時から、オンラインでの上映会や作品データベースの拡充に向けた活動を積極的にすすめてきた。(CCJとはこの春に、PFAで開催した女性の実験映画に関わる企画をオンラインで再現するためのコラボレーションについて話し合っている最中だ。)
しかし現状では、まだまだ多くの注目されるべき作品が保存や修復に関する適切な処置を待っている状況だ。とくに8ミリや16ミリで撮影された作品は、経年的にフィルムの劣化が進んでしまうこともあり、早急に保存やデジタル化に向けた処置をほどこすことが必要だ。映画・映像作品の存在をめぐってはテクストそのものや、それらをいかなる枠組みへと位置づけるのかという批評的営為以前に、それらのテクストの存在をいかにして物質的劣化から守るのか、そしていかにより多くの人へ向けて可視化していくのかというアーカイヴとキュレーションの有機的な結びつきが非常に重要になってくる。とくに今回のPFAの企画の軸となったフェミニスト的関心から記録と保存、そして上映の結びつきについて考えるとすれば、看過されがちな女性のクリエイティヴな営為へ焦点を当てることは、男性中心的に編纂されてきた日本映画史を読み直すための非常に重要な一歩となる。より広い視野でそうした問題を考えるとき、アーカイヴとキュレーションの結びつきが生み出す新たな映画史への考察を、日本という地域的枠組みを超えて越境的なフェミニズムの問題関心とどう対話させていけるのかが、グローバル化する映画コミュニティにおいて今後、ますます重要な課題となってくるのだろう。
【執筆者プロフィール】
中根若恵(なかね・わかえ)
1991年生まれ。南カリフォルニア大学映画芸術学科博士課程在籍。専門は映画学とジェンダー論。論文に「作者としての出演女性——ドキュメンタリー映画『極私的エロス・恋歌1974』とウーマン・リブ」(『JunCture 超域的日本文化研究』7号、2016年)、「親密圏の構築——女性のセルフドキュメンタリーとしての河瀨直美映画」(『映像学』97号、2017年)。